原発事故のため、福島県の住民は大きな被害を蒙った。とりわけ原発の周辺に住んでいた人たちは、当分帰れないような状況で、気の毒としか言いようがない。それだけに絶対安全と言ってきた東京電力や、安全神話を広めて原発を次々に作って来たこれまでの政権のあり方に憤りを覚える。
ところがその福島が理不尽な風評に晒されているという記事を見た。「福島ナンバーの車は放射性物質で汚染されている」という風評が広がっているのだそうだ。中古車販売業者の団体は、風評被害で売り上げが落ち込んでいるとして東電に金銭的な補償を求める方針を固めたという。県外に逃れたユーザーからは福島ナンバーの車が冷たい目で見られていると声もあるとのことだ。
福島市のある中古車販売会社では、震災後の売り上げは前年比4割減、特にネット販売が大きなダメージを受けたと言う。郡山市の中古車販売店でも売り上げの3割を占めてきた県外客へのネット販売が震災後はゼロになった。社員によると「福島ナンバーというだけで見向きもされない」ということだ。県内の中古車販売約100社で作る「福島県中古自動車販売商工組合」によると、震災前は県内全体で月に推定で2000台前後売買された。しかし原発事故後は「福島」「いわき」「会津」ナンバーの中古車は同業者向けのオークションに出しても応札がなく、宮城や新潟、北関東など近隣からの引き合いもないという。
このような風評被害はユーザーにも及び、自動車の登録を行う国土交通省福島運輸支局には、原発事故で県外へ逃れた避難者から、偏見などを理由にナンバーを変更したいという相談がこれまで20件前後寄せられているそうだ。同支局によると、埼玉県に避難した女性が4月上旬、電話で「幼稚園に子供を送り迎えする時、周りの母親から冷たい目で見られた。子どもがかわいそうなので早く埼玉のナンバーに変えたい」と涙声で訴えたそうだ。東京都に避難した男性会社員は「都内を走っているとジロジロ見られ、つらい」と言い、やはり都内に避難した事業所経営の男性は「福島ナンバーだと商売にならない」と、それぞれ変更を希望する理由を訴えた。これらのことはあながち被害妄想とは言いきれないだろう。
いったいこれはどういうことなのか。以前4月10日付のブログにも書いたが、福島の風評被害はこれだけでなく県内産の工業製品にも及んでいる。例えばある家内工業のかばん製造業者は大手百貨店から「今後は安全を確認できなければ購入しない」と通告されたという。屋内で作られたものがなぜ危険だと言うのか。「愚かしいとも横暴とも思う。よほど頭の悪い社員が納入業者を見下したように対応しているのではないか。郡山市の梱包材メーカーは震災前に出荷された商品ですら返品されてしまう状況だそうで、まったく無茶としか言いようがない」と私は書いた。
さらに「被災地に対してさまざまな形で支援していくことは当然のことだが、風評に乗った行き過ぎた行為はそれと矛盾しないか。前記の大手百貨店にしても表向きは支援キャンペーンや募金活動などをしているだろうにと思うが、支援と商売とは違うということか。一般の市民にしても、被災地には同情してカンパなどをするのに、一方では風評に惑わされて福島やその近くの県の産物を忌避するのは矛盾してはいないか。そのことによって農家の人たちが苦しむということには考えが及ばないのだろうか」とも書いたが、車の風評被害についても同じようなことを感じる。
街に出るとあちこちに今も「がんばれ東北!」とか「いつも心に東北を」とか美しいスローガンを見かける。いささか情緒的なのは気になるが、そのこと自体に問題はない。東北の各県が蒙った甚大な災害はそう簡単に忘れてはならない。しかし、言うまでもなく福島も東北の一つの県だ。福島が他の県と際立って違うのは原発の被害で、多くの県民が避難を余儀なくされ、いつ戻れるか当てがない。そのような苦しい状況にある福島の製品や、福島ナンバーの車を、まるで放射線をたっぷり吸収して撒き散らすかのような目で見るのは、間違っているどころか犯罪的だ。確かに放射能のことは分かりにくい。普通の毒物のように洗い流したり中和できないことが不安を掻き立てられることはあるが、放射能は危険だから「福島のもの」は何もかも危険と考えるのはあまりにも短絡的だし、知的水準が低いと言われてもしかたがない。
徒に風評に惑わされるのは愚かしいことだが、風評を伝播させるのは罪深いことだ。