中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

福島の車の風評被害

2011-07-30 13:32:07 | 身辺雑記

 原発事故のため、福島県の住民は大きな被害を蒙った。とりわけ原発の周辺に住んでいた人たちは、当分帰れないような状況で、気の毒としか言いようがない。それだけに絶対安全と言ってきた東京電力や、安全神話を広めて原発を次々に作って来たこれまでの政権のあり方に憤りを覚える。

 

 ところがその福島が理不尽な風評に晒されているという記事を見た。「福島ナンバーの車は放射性物質で汚染されている」という風評が広がっているのだそうだ。中古車販売業者の団体は、風評被害で売り上げが落ち込んでいるとして東電に金銭的な補償を求める方針を固めたという。県外に逃れたユーザーからは福島ナンバーの車が冷たい目で見られていると声もあるとのことだ。

 

 福島市のある中古車販売会社では、震災後の売り上げは前年比4割減、特にネット販売が大きなダメージを受けたと言う。郡山市の中古車販売店でも売り上げの3割を占めてきた県外客へのネット販売が震災後はゼロになった。社員によると「福島ナンバーというだけで見向きもされない」ということだ。県内の中古車販売約100社で作る「福島県中古自動車販売商工組合」によると、震災前は県内全体で月に推定で2000台前後売買された。しかし原発事故後は「福島」「いわき」「会津」ナンバーの中古車は同業者向けのオークションに出しても応札がなく、宮城や新潟、北関東など近隣からの引き合いもないという。

 

 このような風評被害はユーザーにも及び、自動車の登録を行う国土交通省福島運輸支局には、原発事故で県外へ逃れた避難者から、偏見などを理由にナンバーを変更したいという相談がこれまで20件前後寄せられているそうだ。同支局によると、埼玉県に避難した女性が4月上旬、電話で「幼稚園に子供を送り迎えする時、周りの母親から冷たい目で見られた。子どもがかわいそうなので早く埼玉のナンバーに変えたい」と涙声で訴えたそうだ。東京都に避難した男性会社員は「都内を走っているとジロジロ見られ、つらい」と言い、やはり都内に避難した事業所経営の男性は「福島ナンバーだと商売にならない」と、それぞれ変更を希望する理由を訴えた。これらのことはあながち被害妄想とは言いきれないだろう。

 

 いったいこれはどういうことなのか。以前10日付のブログにも書いたが、福島の風評被害はこれだけでなく県内産の工業製品にも及んでいる。例えばある家内工業のかばん製造業者は大手百貨店から「今後は安全を確認できなければ購入しない」と通告されたという。屋内で作られたものがなぜ危険だと言うのか。「愚かしいとも横暴とも思う。よほど頭の悪い社員が納入業者を見下したように対応しているのではないか。郡山市の梱包材メーカーは震災前に出荷された商品ですら返品されてしまう状況だそうで、まったく無茶としか言いようがない」と私は書いた。

 

 さらに「被災地に対してさまざまな形で支援していくことは当然のことだが、風評に乗った行き過ぎた行為はそれと矛盾しないか。前記の大手百貨店にしても表向きは支援キャンペーンや募金活動などをしているだろうにと思うが、支援と商売とは違うということか。一般の市民にしても、被災地には同情してカンパなどをするのに、一方では風評に惑わされて福島やその近くの県の産物を忌避するのは矛盾してはいないか。そのことによって農家の人たちが苦しむということには考えが及ばないのだろうか」とも書いたが、車の風評被害についても同じようなことを感じる。

 

 街に出るとあちこちに今も「がんばれ東北!」とか「いつも心に東北を」とか美しいスローガンを見かける。いささか情緒的なのは気になるが、そのこと自体に問題はない。東北の各県が蒙った甚大な災害はそう簡単に忘れてはならない。しかし、言うまでもなく福島も東北の一つの県だ。福島が他の県と際立って違うのは原発の被害で、多くの県民が避難を余儀なくされ、いつ戻れるか当てがない。そのような苦しい状況にある福島の製品や、福島ナンバーの車を、まるで放射線をたっぷり吸収して撒き散らすかのような目で見るのは、間違っているどころか犯罪的だ。確かに放射能のことは分かりにくい。普通の毒物のように洗い流したり中和できないことが不安を掻き立てられることはあるが、放射能は危険だから「福島のもの」は何もかも危険と考えるのはあまりにも短絡的だし、知的水準が低いと言われてもしかたがない。

 

 徒に風評に惑わされるのは愚かしいことだが、風評を伝播させるのは罪深いことだ。

 

 

 

 

 

 


中国の高速鉄道の事故(2)

2011-07-28 10:09:10 | 中国のこと

 この事故で呆れたことがいくつかある。もっとも呆れたのは追突した列車の先頭車両を埋めてしまったことだ。事故の翌朝、事故車両の運転席は重機で細かく粉砕されて、穴を掘って埋められた。それについて中国鉄道省の報道官は「鉄道省が決めたことではない。私も現地で知った」と言い、「地面が泥沼だったので、作業をやりやすくするための応急措置だった、と聞いている」と釈明したそうだが、事故現場の下は畑地で、泥沼ではなかったはずで、ばかばかしい噴飯ものの弁解だ。鉄道省たるものが、現場をコントロールできずに放任しているのか。証拠を隠滅しているのではないかという批判がネットで噴出したそうだが、当然だろう。このような批判を無視できなくなったのか、中国政府の事故調査チームは事故車両を調べるために掘り出したようだ。当局が方針を転換した可能性があるとも推測されているが、おそらく、証拠の車両を埋めたのは当局の指示だったのだろう。

 

 事故発生後僅か1日半で、事故の発生した路線の運行を再開したのにも呆れた。2005年に発生したJR西日本の福知山線で107名が死亡した脱線事故では、再開までに事故究明と復旧までに55日間を要し、その間、私が住む宝塚と事故現場の尼崎の間は閉鎖された。再開後も事故原因の究明が続けられた。それに比べてあれほどの大事故を起こしながらわずか1日半で通常ダイヤで運行を再開するとは、これも事故の影響を最低限に抑えようとする意図があるのだろう・・・と勘ぐられても仕方がない。

 

 また、事故犠牲者の遺族に対する扱いも理解できないことだ。中国政府は、けがをした乗客への支援を発表したりして万全の対応を強調しているようだが、犠牲者の遺族からは、政府から今後の対応や事故の原因などについて一切説明がないという不満の声が出ていると言うことだ。遺族らは、家族ごとに別々のホテルに分けられて滞在させられており、遺族が集まるため、連絡を取りあって外出しようとすると、警察関係者とみられる人物に尾行されるということだ。こうした動きについて、遺族らは、政府が行動を監視して集団で批判することを妨げようとしていると感じていると言う。遺族達は福州市政府庁舎前に出座り込みをするなどの抗議行動を始めたようだが、特殊警察も出動したと言う。特殊警察とは軍事力を持つ警察らしい。こういうことはあの四川省の大地震の後で犠牲になった多数の児童生徒の親の動きを抑えつけようとした当局の動きと類似のものだ。あの時も業者から政府の役人に対する賄賂と校舎の手抜き工事(オカラ工事と言われる)が問題になって親達の怒りを掻き立てた。このような遺族の悲しみや怒りを顧慮せず、むしろ抑えつけようとする国家とはいったい何なのかと思う。

 

 中国共産党中央宣伝部が、事故についての独自報道を控えるように国内メディアに通知したと言う。通知では、国営新華社通信の記事を使うよう求めている。高速鉄道について「安全対策は万全」と宣伝してきた当局の責任を問う声を封じ込めようとする狙いがあると見られているようだ。中国の各メディアがその通知に従うかどうかは不明だが、やはり一党支配の体制というものは、我々のような国にいる者にとっては、理解を超えるものがある。

 

 

 

 


中国の高速鉄道の事故

2011-07-27 09:33:22 | 中国のこと

 中国浙江省温州市で、高架橋を走行中の高速列車が落雷による停電で停止したところへ、後続の高速列車が追突し、双方で8両が脱線し、後続車の前部4両が高架から約15メートル下の畑地に落下した。この事故で39人が死亡し、200人以上が負傷した。中国のメディアは07年から整備が本格化した高速鉄道網の最初の重大事故と伝えている。事故が起きた高速鉄道区間は09年9月に開業し、営業速度は200250キロに設定されていて、追突されたのはカナダの、追突したのは日本の技術を取り入れて国内で生産された車両だ。

  

 私はこの路線ではないが、07年に開業したばかりの上海ー南京の路線の高速列車に乗ったことがある。この路線は高速列車専用ではなく、普通列車や貨物列車も使うもので、時速は最高250キロくらいだ。今回事故を起こした路線も同様のものらしい。平均時速が50キロ未満だった中国の鉄道は、97年に高速度化に着手し、07年には在来線で時速200キロを超す高速列車を本格導入するとともに、平行して「高速鉄道」(中国版新幹線)の建設も主要都市間で進められ、6月30日には北京・上海間で開通した(この路線は当初2012年に開業予定だったが、今年7月1日に胡錦濤国家主席が重要演説を行った中国共産党創建90周年記念日の前日に開業を前倒ししていた。いかにも共産党一党支配の国らしい)。在来線を利用する車両も「中国版新幹線」の車両も同型で「和諧号」と呼ばれるが、日本などの外国の技術を導入したものであるにかかわらず、中国当局は中国独自の技術で開発したものと言い、世界最先端技術だと豪語してきた。パクリは中国人個々のことだけでなく、国家規模でもそうなのかと思ってしまう。

   

  中国の事業には官僚や政治家の来たな職は付き物だ。この高速鉄道事業が政治家や官僚の汚職の温床になっている事実があるようで、巨額の賄賂を贈った業者が基準以下の原材料を使い、ずさんな工事を行うことで利益を上げていることは以前から指摘されていたようだ。今年2月、高速鉄道建設の最高責任者だったの劉志軍前鉄道相は、巨額の賄賂を受け取った疑いで解任されている。いずれ司法の場に引き出されるのではないか。鉄道建設にあたって、手抜き工事や安全基準に満たない材料が使われた可能性もあるとされている。

 

 私の長男は出張で先日開通間もない「中国版新幹線」で、上海から山東省の徳州まで行ったが、完成後間もない徳州駅の駅舎では床が壊れてコンクリートが露出していて、いかにも手抜き工事だと思う状態だったそうだ。車両の外装や内装も日本の新幹線に比べると何か「もっさり」した(垢抜けない)感じだったと言っていたが、それは私も南京に行ったときに感じた。外装や内装の問題は事故には関係ないが、安全運行は何事にもまして心すべきことだ。それが軽視されるとこれからも類似の事故が起こる可能性がある。長男はこれまで徳州に行くのに空路を利用していて、初めて列車を使ったのだが、これからもこんな事故が起こっては堪らない、中国では補償も安いし、これからはまた飛行機を使おうと言っていた。

 

   中国の国土は広大で、そこには網の目のよう鉄道網が敷かれているが、これまでのように平均時速が50キロ未満ではいかにも遅い。中国では2日3日の列車の旅はざらで、私達日本人にはちょっと耐えられないようなものだが、それを高速化しようとするのは当然のことだ。しかし高速化工事を急ぐあまり、ずさんな工事が行われては問題で、その根底に業者からの莫大な賄賂とそれを当然のように収める役人の腐敗があって。これは中国の長年の病弊でどうにもならないものがあるようだ。賄賂や汚職は他の国でもあるが、中国のそれは群を抜いて世界に冠たるものだ。どのようにしてこのような民族性が作られたのだろうかと思う。

 

 

 


エシャレット

2011-07-25 11:14:16 | 身辺雑記

 近所の青物店エシャレットというものが置いてあるのを見つけた。エシャロットを言うのは聞いたことがあるが実物を見たことがない。エシャレットははじめて聞くのだが、これがエシャロットなのかと思って買ってみた。家に帰って調べてみると、エシャロットとエシャレットとはまったく別物だということが分かった。

 

 エシャロットは中東原産で十字軍がヨーロッパに持ち帰ったとも言われる。鱗茎の皮の色はタマネギに似ている。鱗茎を微塵切りしたものや下ろしたものを臭み消しやソースに用いるそうだ。中国では胡葱(フーツォン)、台湾では紅蔥頭(アンチャンタウ)と呼ばれ、刻んで油とともに強火で炒め、肉など他の食材を加えて炒め物として用いることが多いとのこと。

 

       

 

 エシャレットは生食用に軟白栽培されたラッキョウの商品名で、一年物の早獲りラッキョウに「エシャレット」という商品名を命名したのは東京築地の青果卸業者だった。

             

 

これが商品化された1955年頃はまだ日本で本物のエシャロットが一般的でなかったので問題はなかった。しかし今となっては非常に紛らわしい。日本では殆どの者がこれをフランス料理で使用される本物のエシャロットと混同しているようで、実物を知らない私もこれがエシャロットかと思って買った。当時の名付け親の青果卸業担当者は「根ラッキョウ」の商品名では売れないと思ったのでお洒落な商品名を付けたと語っているそうだが、なるほどエシャロットの図を見ると、似ているとも言える。それでも紛らわしい名をつけたものだと思う。根ラッキョウでもいいのに、何かいじましい命名という感じもする。

 

 エシャロット(Wikipediaより) 

 

 日本では、単にエシャロットと言うと、この根ラッキョウ(エシャレット)を指すことが多いので、本物がほしい場合はベルギー・エシャロットなどと表示されているものを選ぶといいようだ。このあたりのデパートやスーパでは見かけたことがない。

 

 買ってきたエシャレットを生のままもろみ味噌を付けて丸齧りして食べたが、それはそれとしてまずまず美味いと思った。マヨネーズで食べてもいいようだ。静岡県の遠州地方で特に多く栽培、消費されていて、初鰹の付け合わせとして欠かすことのできないものになっているそうだ。

 


中国の物価高

2011-07-24 12:10:39 | 中国のこと

 中国では最近急激に物価が上昇しているようだ。西安の李真は「上がり過ぎ」と嘆いていた。6月の消費者物価指数の上昇率がおよそ3年ぶりに6%台の高い水準に達し、中国政府は、金融の引き締めに向けた動きを強めているにもかかわらず、物価高を抑えられない状況が続いていると言う。李真は紙のお金を作りすぎだからと言うが、インフレ傾向なのだろう。李真は「爺爺イエイエ(私のこと)がはじめて来た頃(2000年)は余裕があったけれど、今は陳偉(夫君)と2人で働いていても厳しい」と言った。

 

中国の消費者物価は、去年秋から上昇傾向が続き、ことし3月以降、3か月連続して上昇率が5%を超えていたが、6月はさらに拡大しておよそ3年ぶりに6%台の高い水準に達した。特に食料品の価格の上昇率が14.4%と高く。中でも中国人の食生活に欠かせない豚肉は57.1%、卵も23.3%値上がりしているそうだが、これは庶民にとって痛手だろう。

 

上海に住む邵利明も値上がりがひどいと言う。レストランで食事しても料理の値段が高くなり、量も少なくなっているそうだ。外食することが多い中国人には不満だろう。衣類なども高くなっているが、毎日買うものではないから、食料品のように肌で感じることはないとも言った。利明の家は回教徒だから豚肉の値上げは関係ないだろうが、やはり食料品全体の高騰は応えるだろう。マンションの価格などは大阪(利明が住んでいた)と変わらないそうだ。

 

 中国政府は、ことしの消費者物価指数の上昇率を4%程度に抑える目標を定めていて、物価の高騰に歯止めをかけるため、去年10月以降、政策金利を5回引き上げるなど金融の引き締めに向けた動きを強めているようだが、これまでのところはっきりした効果は出ておらず、国民の不満が高まっているそうだ。李真や邵利明の言葉からもそれが窺える。うなるほど金を持っている富裕層ならともかく普通の庶民、とくに所得の少ない貧しい層が生活に困るような現状は、最近各地で農民などの暴動が頻発している中で政府にとっても頭が痛いことだろう。


記者の質問

2011-07-22 08:55:14 | 身辺雑記

 女子サッカーチーム「なでしこジャパン」が、ドイツでの世界選手権大会で強豪の米国を破って優勝した。PK戦の末とは言っても快挙であり、明るいニュースであることは間違いない。

 

 その「なでしこジャパン」で活躍して最優秀選手に選ばれた沢穂希主将らメンバーが佐々木監督とともに首相官邸を訪れて菅首相に優勝報告を行った。首相は「今から間に合うか分からないが勉強したい」とチーム内の統率力を持ち上げたそうだ。ごたごた続きの党内の状況や自身の置かれている立場が頭にあったのか。

 

 その後での記者団との会見で監督は首相の発言に対して「ジョークだと思う。大変なときなのでぜひ、頑張っていただきたい」と述べたそうだ。それに続いて記者からは沢主将は「首相へのアドバイスは」と質問が出たらしい。それに対して沢主将は「ないです」と返答したとあった。

 

 質問した記者は沢主将にどのような答えを期待していたのか。首相にもっと統率力を発揮してほしいというような型に嵌った答えを求めていたのか。それとも若い女性のスポーツ選手だからどうせ大したコメントは出るまいと高を括っておざなりに質問したのか。いずれにしても「首相へのアドバイスは」とは馬鹿げた質問だと思う。それに対して彼女が「ないです」と答えたのは正直で賢明だった。そう答えても決して政治に無関心なスポーツバカとは思わない。質問をした記者のほうが愚かしい。

 

 いろいろな場面で、いろいろな人に新聞やテレビの記者が質問するのを見聞きするが、中には虎の威を借りるような態度の者もいる。このような者に限って礼儀をわきまえず横柄、生意気なのがいることは、私自身も経験して不愉快な思いをしたことがある。

 

 マスコミの前線にいると、何かある種の権力を持っていると錯覚を起こすようになるのか。記者たる者は、常に謙虚で知的であってほしい。

 

 

 

 


血液型と性格(2)

2011-07-20 10:15:05 | 身辺雑記

 血液型と性格については前(2008年8月8日)にも書いたので、採録する。

                

 卒業生などに(女性が多いが)時々「AB型でしょう」などと聞かれることがある、「O型だよ」と答えると「あれ、おかしいな」というような表情をしたり、何型かと聞かれてO型だというと「やっぱり」と納得したりする。もちろん、血液型で私の性格を推測しているのだ。タレントや俳優、スポーツ選手などの有名人の紹介を見ると、必ず「血液型 B型、 星座 天秤座」などとある。私はこのようなことには疎く、血液型は医学上の問題として知ってはいるが、星座などは知らない。以前興味半分で見たことがあったのだが、覚える気はなかったから曖昧だ。

 星座占いなどは日本だけでなく、欧米でも人気があるようだ、もともとは欧米生まれだろうから当然だろうが、今では中国の若者も興味を持っているようだ。他にも生年月日で性格や運勢を判断したり占ったりするのもある。しかし血液型による性格判断は日本独特のものらしい。米国人に血液型を尋ねたりすると不審がられるか気味悪がられると聞いたことがある。血液型占いは1970年代の高度経済成長期に大流行して以来、すっかり日本の社会には定着してしまっている。

 だいたい、A、B、AB、0の4種類の血液型だけで複雑な性格などが決まるものではないし、性格そのものは遺伝だけでなく後天的な要因の影響も大きく受けて形成されるものだ。だから簡単な血液型だけで複雑な性格など判るはずがない。もっとも、そう言っても、血液型の信奉者は納得しない。血液型にはまだ解明されていない何かがあり、それが性格形成の要因になることは完全に否定はできないだろうというわけだ。まあ、しゃかりきになって議論することもない。遊びと思えばいいのだ。血液型が性格形成に関係するということには何の科学的な根拠もないが、だからと言って遊び心まで否定することはない。ただ知っておかなければならないのは、血液型には、差別、選別の歴史があったことで、そして今でもその傾向は無きにしも非ずということだ

 血液型がウィーン大学のラントシュタイナーによって発見されたのは1900(明治33)年と古く、彼とその弟子達によって、1902年には4種の血液型が確定された。またその後ドイツのハイデルベルグ大学のデュンゲルらによって血液型には遺伝性のあることも発見された。それ以後ドイツでの研究が進むにつれ、西欧人に多いA型は優性血液型、アジア人に多いB型は劣性血液型とする考えが生まれ、アジア・アフリカ人よりも西欧人の方が優秀な民族であるとの民族差別思想が生み出された。

 大正時代にこのことが日本に知られると、さまざまな反応、論争が起こり、やがては昭和の初めに血液型は人間の気質に関係すると言う「学説」が出るようになり、さらには血液型は性格に関係するとまで言われるようになった。兵士の資質や、犯罪者、思想犯にも血液型が関係しているとか、さらには精神病までが血液型に関係しているとか、さまざまな「研究」結果が発表され、学会はもとより世間でも血液型ブームを引き起こした。このあたりのことは松田薫『「血液型と性格」の社会史』(河出書房新社1991)に詳しい。

 このようなことが日本独特の血液型信奉の源流になっているわけだが、遊び的なものならともかく、世間にはとかく単純に物事を信じ込む人もあって、こういう人が一定の地位を持ったりすると困ったことになる。にわかには信じられないが、かつて一部の企業で採用応募者に血液型を記載させたとか、面接で尋ねたということもあると聞いたことがある。事故の被害にあった場合の用心とは考えられないから、その企業に向く「資質」を見ようとしたとしか考えられず、事実とすればとんでもないことだ。そのほかにも結婚相手や恋人の血液型で「相性」を判断しようとしたりすることもなくはないだろう。こうなると遊びの域を越えて差別的な人権問題となる。

 私には自分の性格というものは大まかにしか分からない。人の性格も自分が付き合って知る程度でいい。この人はこんな性格だから何型だろうとか、この型だからこういう性格だろうなどと考えるのは、まったく無意味なことだし、そのように固定した考えで人を見るのはどうかと思う。とにかく性格を血液型などであれこれ言うのは好きではない。あなたの血液型はO型だから、性格はこれこれと「判断」されても、放っておいてくれと言いたくなる。


2011-07-18 22:19:12 | 身辺雑記

 夜、台風接近の少し強い雨に吹かれて帰宅すると、門柱に蝉が脱皮していた。脱皮してそれほどたっていないのか、体色はまだ淡いがクマゼミのようだ。脱皮してすぐの蝉を見たのは久しぶりのことだ。

 

  

 

 このところずいぶん暑いが、今年はまだアブラゼミもクマゼミも鳴き声を聞いていない。千葉にいる義妹は、アブラゼミもクマゼミも聞いていないがヒグラシの声は聞いたと言ったが、これはずいぶん早い。時期を間違えたのではないか。

 

 雨はだんだん強くなるだろうから、脱皮してすぐの体には応えるだろうと思って家の中に入れてやった。その内に体も固まるだろう、朝になれば放してやろうと思う。

 

         

 

 


血液型と性格

2011-07-17 10:19:31 | 身辺雑記

宮城県と岩手県の知事に会った際の、傲慢きわまる態度と発言で非難を浴びて辞任した松本龍・前復興担当相が、辞任前の釈明の中で「私はちょっとB型で短絡的なところがある」と言った。政治家たるものが馬鹿げたことを言ったものだが、海外でも関心を呼んだようで、血液型による性格判断になじみがない欧州メディアは「失敗を血液型のせいにできるのか」と驚きを隠さないという記事を見て、そうだろうなと思い、何となく気恥ずかしい思いをした。

 

国BBCの東京特派員記者は、「血液型のせいにするなど荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、日本では血液型は性格に影響すると信じられている。B型の人はがさつな性格(abrasiveness)だと言われている。少なくとも松本氏については、その通りだったと言えるだろう」と辛辣だ。欧州のメディアは彼の放言よりも、血液型での性格や相性判断が日本で流行っていることに注目して伝えているようで、「血」による分類がナチスの人種偏見を連想させて警戒する見方もあるようだ。 

私の血液型はO型だが、これがどんな性格を表しているのかということはまったく知らないし、関心もない。輸血の際に必要だから知っているだけのことだ。実際の輸血の際にはもっと詳細な型を調べなければならないらしい。だいたい,A、B、AB、Oの種類の血液型で複雑な人間の性格など言い当てられるはずもない。池内了『疑似科学入門』(岩波新書)では、「(血液型は細かく分類すれば最低50種類はあり、それで人を区分するのは多すぎる。4種類だけに集約することが占いに好都合になっているだけなのだ。)血液型を問うことが挨拶替わりになり、大手を振って罷り通っている日本は、本当に科学・技術を重んじている国なのかどうか疑ってしまう」と言っている。 

 

  西安の李真に中国でも血液型占いはあるかと尋ねたら、最近はあると言った。おそらく日本から伝わったものだろう。李真に言わせると中国人はAB型に敏感で、この型は神経質だとされていて、結婚相手にしない場合もあるそうだ。僕の妻はAB型だったがおっとりしていたよと言ったら、「日本人のAB型は中国とはちがうのだろう」と言ったのがおかしかった。中国でも日本と同じように星座占いは人気があるようだが、これは西洋から来たもので、古くからあるのは十二支占いだそうだ。たとえば、結婚の相手同士は相性がいいかどうか十二支も見るようだ。中国人は占い好きだから、血液型占いも取り込まれていくのかも知れない。

 

 ちょっとした遊びのつもりで血液型がどうのこうのというのはいい。しかし、ある企業では社長の意向で、B型のものは採用しないということがあったらしいし、採用試験に応募する面談票に血液型の記入欄があったという例もある。私が社長ならこのような面談表を作った担当者を叱責するが、それがまかり通っているのは、血液型が性格に影響すると考えている経営者は案外多いのではないか。こうなると就職差別であり、人権問題だ。欧米など外国から異様なものとして見られても仕方がない。

 

 

 


満月

2011-07-15 23:29:57 | 身辺雑記

 今夜(7月15日)の月は満月。満月は望、もちづきとも言う。陰暦15日に月は望となる。今日は旧暦6月15日。たまたま新暦と旧暦の15日が一致した。

 

 街に出た帰りに立ち止まって月を見た。雲ひとつない空に浮かぶ満月を、涼しい空気に触れながら見た。今夜の月の出は東京地方で1849分だから、このあたりでもまだ高くは上がっていなかった。

 

 子どもの頃見た満月は青白くてとても明るく、幼かった私は妹と影踏みをして遊んだ。遊ぶ私達の影はくっきりと黒かった。今頃このあたりで見る満月は、今夜もそうだが少し橙色を帯びている。辺りは街灯や民家の灯火で明るく、自分の影も見られない。今はどのあたりに行けば昔のような青白い満月が見られるのだろう。

 

私は月が、とりわけ満月が好きだから、どこか山の谷あいにある小さなコテイジのベランダで、肘掛け椅子に凭れ、涼風に吹かれて青い月を眺めながら過ごすことができたら、どんなに心が休まるだろうかと想像することがよくある。

 

立ち止まってしばらく満月を眺めながら、大昔の人たちはどのような思いで月を眺めていたのだろうかと思った。「年年歳歳花相似たり」と中国の詩人は詠んだが、満月も太古の昔から同じ姿だった。私が今見ている月は原始の人たちが見ていたものとまったく同じだが、彼らは月をどのように思ってみていたのだろう。月は旧暦1日(朔)の時は真っ暗で、それからだんだん満ちていく。古代の人間にとっては不思議な現象に思えたことだろう。ある民族は月にはいろいろあって、毎晩違う月が出てくると考えていたということを読んだことがあり、なかなか面白いと思った。

 

明日の月は十六夜月(いざよい月)、その後はだんだん月の出が遅くなって、立待月、居待月、寝待月、更待月と続く。江戸時代あたりから言われたものだろうが、それぞれ月の出に対する思いがあって風流な命名だ。

 

 

       

                           インタネットより