中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

2006-08-21 00:24:23 | 身辺雑記
 先月の半ば頃から、私の家の近くに猪が出没して、畑の作物を食い荒らし始めている。私がここに住み始めて20年以上たつが、猪が出たという話は聞いたことがない。近所の奥さんが小さな畑を作っていて、その畑のサツマイモは根こそぎ食われて全滅したそうだ。他にもまだ作物を作っているので、仕方なく柵を作ったと言うので見に行った。


 
 これで被害がなくなればいいが、猪はなかなか貪欲だとも聞いているので、果たして大丈夫だろうか。このあたりの田圃ではもう稲が実を結び始めて、穂が少し垂れるようになっている。稔ると猪は器用に食べるそうだ。穂を口でしごいて米粒を口にいれて噛み、籾殻だけを吐き出すとか。そんな被害にあっては堪らないから、米を作っている農家ではこれからその対策に頭を悩ますことだろう。猪は比較的低い柵でも、助走する余地がないと飛び越えられないと聞いたから、柵は作るのだろう。あるいは猟友会にでも相談して撃ち殺すことも考えているのかも知れない。いずれにしても人騒がせな話だ。

 猪という字は中国では豚を表し、イノシシは野猪と書く。西安の李真にイノシシが出たと話したら「イノシシなんて知らないね」と言った。日本では猪の肉を「山鯨」と呼んで昔から食べていたし、私も好きだ。そう言うと「そんなものを食べるの」と驚いていたから、何でも食べる中国人にとっても、イノシシはあまり身近な動物ではないのかも知れない。

 十二支の最後の猪(亥)は中国ではもちろん豚で、絵画や切り絵でもお馴染みの肥った姿が描かれている。それが日本ではどうしてイノシシとなったのか分からない。この十二支というものが日本に伝えられた頃、日本では豚を飼う習慣がなかったので、よく知られているイノシシを当てたのかもしれない、それとも豚は飼っていたが不潔な奴だと言うことで採用しなかったのかなどと勝手に解釈している。

 かつては自分の息子を豚児とへり下って言ったことがあるが、昔でも今でも人を豚呼ばわりしたらかなりの侮辱だろう。ところが中国では最もよく食べられている家畜が豚と言うこともあってか、親しみを感じる存在と考えられているのではないかと思ったことがある。例えば西安の友人の謝俊麗は、大学時代の寮での同室の学生達は互いに「猪」をつけた愛称で呼び合っていたと言う。彼女は一番年上だったので大猪(dazhu)と呼ばれ、以下二猪、三猪と続いて五猪か六猪までいたそうだ。そのためか俊麗は結婚した今でも豚の縫いぐるみを可愛がっている。仲間を「大豚」などと呼ぶなどとは日本ではちょっと考えられないことだから、聞いておかしかった。またチャットなどに使う絵文字にも豚が多く、どれも可愛いしぐさに描かれている。

 よく知られているように、イスラム教徒やユダヤ教徒は豚肉を食べない。中国の少数民族であるウイグル族や回族、カザフ族、キルギス族などはイスラム教徒だ。新疆ウイグル自治区に行った時、ガイドをしてくれたウルムチの趙戈莉(漢族)にイスラム教徒には豚の話もしてはいけないと言われたことがある。これも西安の友人の邵利明は父親が回族、母親が漢族だが、彼女も豚肉を一切口にしない。気づかずにうっかり口に入れて豚肉と分かると吐き出してしまう。彼女が大阪に来たとき案内したが、困ったのは食事だった。牛肉に比べると安いこともあってか、豚肉を使った料理が多いので気を遣ったものだった。