中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

馬軍霞(Ma Junxia)

2006-08-15 14:15:43 | 中国のこと
私は関西日中交流懇談会という中国の貧困農村地区に教育援助をしてきたNGO団体の会員になっている。この会では5年前から「一対一の教育援助」と言うプログラムを始めた。これは湖南省や寧夏回族自治区の農村の子ども達に学費を援助するもので、私は湖南の中学生の男の子と寧夏の中学生の女の子を援助することになった。
 湖南の男の子は劉紅林と言う土家(tujia)族の少年で、なかなかユニークなところがあって手紙を読むのが楽しかった。高校進学を希望していたが、家が貧しいために断念し、今では音信は絶えてしまった。寧夏の女の子は馬軍霞と言う。
 軍霞は回族の子で、5年前は家が貧しいために中学進学を諦めかけていた。現在では義務教育の学費は国が保証することになっているが、その頃は中学校にも進学できない子どもは少なからずいて、軍霞もそのような状態に直面していたようだが、私が援助することで中学校に進学した。その喜びの大きさを軍霞は私への初めての手紙で詳しく記し「陸に打ち上げられていた魚が水に戻れたのです」と表現していた。軍霞は国語が好きだと言うだけあって、文章はなかなかうまく、年2回受け取る手紙には古典からの引用や譬があって感心させられている。
 軍霞に初めて会うことができたのは一昨年のことだったが、初対面と言うこともあって軍霞はかなり緊張していた。それでも別れる時に「私は歳だから、もう来られないかも知れない」と伝えると、みるみる目を潤ませた。しかし幸いなことに昨年も今年も寧夏を訪れて軍霞に会うことができた。17歳にしては小柄だが、この9月で高校2年生になるという軍霞はさすがに成長した印象だった。「爺爺」と呼んでくれ、階段の昇り降りの時には寄り添って腕を支えてくれたので、本当に孫娘のように愛しく思われた。後で事務局の女性から聞いたことだが、軍霞に「爺爺は来年も来るのか」と尋ねられたので「来れないかも知れない」と言うと、溜息をついてがっかりしたようだったそうだ。それを聞くと、また来年も行かなくてはならないかなと思ったりしたことだった。
 軍霞は学校の教師になることを希望し、そのために大学進学もしたいようだ。私はその夢が叶えられることを願っているし、この寧夏の孫娘をこれからも励まし、援助していきたいと考えている。