中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ドクダミと石鶏

2006-08-20 09:58:20 | 中国のこと
 私は前の戦争末期と直後にひもじい思いをしたせいか、食べ物の好き嫌いはほとんどない。だからこれまで中国でも出されるものはみな口にした。蛙はもちろん、蛇料理、大ヤモリのスープ、竹鼠と言う大きな鼠の紅焼(油と砂糖を加えて炒めたあと、醤油などの調味料で煮込んだもの)、油で炒りつけた蜂、竹の中にいると言う細い蚕のような何かの幼虫のから揚げ、煮込んだ駱駝の掌の肉などいろいろあったが、結構美味しいと思った。犬は食べたかったが機会がなかった。中国では猫もスープにしたりして食すると聞いたが、これにもお目にかかったことはない。

 何でもないようなもので、これだけはどうしても嫌だと思ったのは蕺菜(Jicai)、すなわちドクダミの茎だった。初めて雲南省麗江でこれが出された時に、何かとガイドに尋ねたら、北京出身のその青年は「おかしなものです」と言うだけで名前は知らなかったようだ。口にしてみると、何とも生臭いにおいが口の中に広がって吐き出しそうになった。現地の女性のガイドはパリパリと美味しそうに食べていた。今思えばあのにおいはまさにドクダミのものだったのだが、その時は思いつかなかった。その後も何度か出されたが、2度と口にすることはしなかった。ある時「中国美味礼賛」(青土社)と言う本を読んでいると、蘇州出身の詩人、随筆家の車前子(Che Qianzi)の「故郷の野菜」と題した一文の中で「貴州の人は魚腥草 [蕺草]を食べるが、わが故郷の人に食べさせてみると、十人のうち九人は殺されても食べないだろう」と言うくだりに行き当たった。魚腥草という名称から、さてはこれが例のものではないかと思い、辞書で調べると「ドクダミ」とあったのでやっと納得し、それにしても妙なものを食べるものだと改めて思ったことだった。なお中国語の「野菜」は食用になる野草を意味している。

 反対に、こんなにうまいものはないと思ったのは、安徽省屯渓の料理店で出された蛙のスープだった。小さな器に入ったその蛙の黒い皮はとろりとしていて、肉は柔らかく、まことに美味で堪能した。何かと聞くと「山の中の岩の多い渓流で捕れる石鶏(shiji)と言う蛙です。あまり多くは捕れません」と教えてくれた。こんなに美味しいものは初めてだと言ったので、翌日の夕食には上海から同行した友人の唐怡荷が、わざわざ炒めた石鶏をご馳走してくれた。スープには及ばなかったが、これもなかなか美味しかった。



 中国の料理の量はとても多い。近頃は多くは食べられなくなったので、美味しいものを少しでよいと思うようになっているが、あの石鶏のスープはもう一度味わいたいと思う。しかし蘇州人ではないが、蕺菜だけは殺されてもごめんだ。