中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

善意(2)

2007-01-31 09:51:12 | 身辺雑記
 西安の李真の友人の謝俊麗が、メールで次のような手記を送ってくれた。少し長いので適当に整理した。

 中国迷爺爺の「善意」を読んで、私も同じようなことを経験したことを思い出しました。

  2005年の11月、3連休を利用して水俣に住んでいる大学時代の先生を訪ね た。来日してから初めての新幹線に一人で乗るし、住んでいる東大和市から目的地までは5回乗り換えなければならないので少し心配だった。あらかじめインタネットで調べたり、友人にも電話して確認したりして準備した。

 家を出て東京駅に着くまでは不安だったが、いったん新幹線に乗ったら落ち着いた。好奇心で眠れないだろうと思っていたが、意外によく眠った。新八代までは順調だった。博多から新八代までの新幹線では親子連れの人に席を交換してあげた。そばのお婆ちゃんは私より不安そうに、何回もチケットを見て確認しているようだったが、しばらくすると、「すみません」と声をかけてきた。お婆ちゃんの目的地も新水俣で、もう何年ぶりなので、いま乗っている新幹線は正しいかどうか、次の乗り換えも心配のようだった。外国人の私は本の知識しかなかったが、説明して安心させてあげた。日本で日本人に説明するなんて、私にとっては嬉しいことで、自信も戻って、ほっとした。
 
 しかし、「楽しみ極まれば悲しみ生ずる」。新八代で降りたら、すぐ向こうに新幹線が停車していた。まだ時間があるのにと思ったが、お婆ちゃんが乗ったので、中国ではよくあることで、多分早めに着いたのだろうと思いながら乗った。指定された座席に座ると、チケットを持って私の席に来た女の人があった。座っている私を見たら、不思議そうな顔をして自分のチケットを見た。それで私も自分のチケットを見たが、確かにチケットに書いてある席に座っていることを確認したのでその人に見せた。この人も「あれっ」と言いながら2枚のチケットを見比べた。その時急に新八代では降りてから30分後の新幹線に乗るようにと先生から聞いたことを思い出した。私が間違えました!すみませんと言って慌てて降りようとしたら、列車はもう動き出した。絶望!!もうどうしようもないので私はその人にどうしたらいいかと聞いた。「車掌さんに聞いた方がいいよ」と教えてもらって、空いている席に座って車掌さんを待っていた。きっと先生はいま駅で待っているでしょう、携帯がない先生にどうやって連絡できるか、頭の中ではいろいろ考えが混乱していた。例のお婆ちゃんは多分この場面を見たので、自分も間違えたと気が付いたようだった。すぐ私のそばに移動して、どうしよう、どうしようと言った。すると、隣の1人の女の人は自分の鞄から本を出して何か調べ初めた。そして「次の駅で降りて、30分ぐらいすると新水俣行きの新幹線があるようだ」と教えてくれた。話してみると、九州に住んでいる人で私が外国人であることを分ってくれた。

 やがて車掌さんが来ると、その女性は私の代わりに事情を説明してくれ、それを聞いた車掌さんは早速自分の案内書を調べて、乗り換えの時間と場所を教えてくれた。それに、間違えて乗り換えたという証明書も書いてくれたし、女性の車掌さんに私を世話するように言ってくれた。この間、前の新幹線で席を交換してあげた家族や、隣の女の人もいろいろ慰めてくれた。隣の女の人は自分の名前と携帯番号も書いて、また何かあったら電話くださいとおっしゃった。私はとてもとても感動した。そして皆に教えていただいた通りにお婆ちゃんを連れて順調に目的地に着いた。待っておられた先生に、間違えて乗り換えたことと、優しい皆さんのことを話した。ずっと心配して待っていてくださった先生も感動されたようだった。

  あれからもう一年以上経ったけれど、今でもあの時の場面を映画を見ているように思い出す。日本に来る前に、日本での犯罪はほとんど外国人、特に中国人だとよくニュースで聞いていたので、きっと日本人は中国人に悪い印象を持っているから冷たいだろうと思い込んでしまっていた。まさか日本でこんな優しい人たちに会えると思わなかった。もしチャンスあれば、もう一度彼女らに会いたい、もう一度ありがとうございますと言いたい。ただ、残念なことは親切にしてくださった女の方からいただいたメモをなくしてしまったので、無事着いたことを伝えてお礼が言えなかったことだ。中国人は親切にしてもらっても後は知らぬ顔と思われていないかと心配している。


猪突猛進

2007-01-30 11:05:43 | 身辺雑記
 タクシーに乗ると、運転席の背に乗客用のパンフレットが挟んであった。手に取ってみると表紙に、こんなことが書いてあった。

 「おめでとうございます」 
 今年は猪突猛進!
  ○○タクシー社員からの新春メッセージ

  一見しておかしくて笑いそうになったが、これに限らず、今年は猪年と言うことで、テレビのCMなどあちこちで「猪突猛進」という言葉を聞いた。企業の社長の中には年頭の挨拶や訓示の中で使った人もあったのではないだろうか。政治家でも地元の後援会などでの挨拶の中で言ったのがいるかも知れない。年賀状にもこの言葉を使っているのが何通かあったし、頭を下げて勇ましく突進しているイノシシの図案は多かった。

  今年は丁亥(ひのとい)、日本ではイノシシ年だが、前にも書いたように本家の中国ではブタ年だ。ブタは財運をもたらすということで、中国では吉年とされている。中国人にイノシシ年と言ってもあまりイメージが湧かないと思ったから、中国の友人達への年賀状には貴州省のある村で撮った写真を入れ、「狗に見送られて猪がやって来た」というキャプションをつけた。狗はイヌ、猪はブタである。

        
 
 街ではいろいろなイノシシの人形の置物を見かけるが、何となくブタのように見える可愛い姿のものが多いように思う。「カワイイ」が流行の時代の影響なのかも知れない。

 ところで、「猪突猛進」だが、この言葉は必ずしも勇ましさを表すだけでないことに注意する必要がある。例を挙げると、

 ①「向こう見ずに猛然と突き進むこと」(広辞苑)
   広辞苑には「猪突猛進」と並べて「猪突豨勇(ちょとつきゆう)」という言葉も挙げてあり、「あとさきかまわず突進すること。またその人。いのししむしゃ」となっている。豨とは大きなイノシシを指すようだ。
 
 ②「周囲の人のことや状況を考えずに、一つのことに向かって猛烈な勢いで突き進むこと」(大辞泉)

 ③「一つのことに向かって、向こう見ずに猛烈な勢いで、つき進むこと」(大辞林)

  「向こう見ずに」とか「周囲の人のことや状況を考えずに」などとあるから、この言葉は決してよい意味だけではないとも言える。考えようによっては「浅はか」「愚か」にも通じそうだ。そこまで深読みはしなくても、やはりタクシーには「猪突猛進」はそぐわないのではないだろうか。向こう見ずに、周囲の状況を考えずに勇ましく、猛烈な勢いで突っ走られてはたまらない。幸い、乗ったタクシーの運転手は穏やかな落ち着いた人だった。


ある歌

2007-01-29 09:19:45 | 身辺雑記
 奈良の義妹に用事があって電話したとき、一通り用件が終わると彼女は「千の風になって」という歌を知っていますかと尋ねた。そういう歌があるのは聞いたことがあるようだが知らないなと答えると、とても好きなんですと言った。電話を切ってからインタネットで調べると、あった。昨年末のNHKの紅白歌合戦で歌われてから、人気が上昇していると言うことだ。紅白で歌われるくらいだから以前から評判にはなっていたのだろう。私は紅白は見なかったからどんなメロディーなのかは分らないが、詩を読んでみると、ふと妻のことを考えて不覚にも涙ぐんでしまった。折り返し義妹に電話し、読んだよ、ちょっと涙が出たと言ったら、そうでしょう、私もお姉ちゃんのことを思い出して涙が出たんです、お墓が遠いからいつも気になっていたんですが、この歌を聞いてそういう気持ちでいればいいのかなと思いましたと言った。

  「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」で始まるこの詩を読んでいると、若い頃好きだった英国の女性叙情詩人のクリスティーナ・ロゼッティ(Christina Rossetti 1830~1894)の次のような詩を思い出した。訳者は不詳。

   私が死んでも愛しいあなた
   悲しみの歌など歌わないでね
   薔薇の花も木陰つくる糸杉も
   私の枕辺に埋めたりしないでね
   雨に打たれ露に濡れた
   緑の芝草だけで十分なのよ
   そして気が向いたら思い出してくださいね
   忘れたって私はかまいませんわ

   私はもう暗闇を見ることもなく
   雨を感じることもなくなるでしょう
   苦しみに耐えぬように歌い続ける
   あのナイチンゲールの歌声も聞こえないでしょう
   そして日の昇り沈むことのない
   あの薄明かりの中に夢見ながら
   時折はあなたを偲び
   また、時に忘れもいたしましょう

  私は前世とかあの世とか、死後のこととかはまったく信じて来なかったくせに、妻の場合には逝ってしまった後、いったい今頃はどこでどうしているのだろうかと何度も考えた。考えては涙したことも何度もある。しかし、だいぶたってから前から好きだったこのロゼッティの詩を読み返してみて、ふと「薄明かりの中に夢見ながら」眠っている妻の顔を想像して何かしら心が休まるような気がした。それは「あの世」にいるのでもなく、もちろん現世で見ることのできるものでもなくて、そのように穏やかにまどろんでいる妻は、私の心の中には確かにいるのだと思ったのだった。

[注記] 「千の風になって」の全文はインタネットで読むことができるが、歌詞の転載をする場合には非営利の場合でも、講談社発行の同名の本を必ず購入し、その上で出典明記して載せるようにとあったので全文の引用はしなかった。

什麼

2007-01-27 10:35:17 | 中国のこと
 中国語を勉強していると、時折「什麼(shenme)」と言う言葉が出てくる。これは疑問代名詞で「なに」とか「なんという」などの意味だ。西安の李真達とチャットしていると、時々中国語で書いてきて意味が解らないことがある。そんな時には「什麼意思?」(どういう意味?)と返すと日本語で教えてくれる。そんなこともあって、この言葉は何となく親しみが持てる中国語のように思ってきた。

  ところが、思いがけないところでこの言葉に出会った。前に紹介した内田百の本の中の「続百鬼園随筆」にある「大晦日の床屋」という作品を読んでいると、前に読んだ時には気がつかなかったようだが、こんな箇所があった。大晦日の夜の床屋で客達が順番を待ちながら会話している場面で、

  「今日の大崎屋の昼鳶ひるとんび什麼したでしょうな」と金物屋が云い出 した。
  「まだ、警察に居るでしょうな」と前の伯父さんが云う。

  「什麼した」の「什麼」には振り仮名がつけてあって「どうした」と読ませている。これを読んで、日本でも「什麼」が使われていたことを知ってちょっとびっくりした。百がこの作品を書いたのは17歳の頃と言うから、明治39年の頃、今から100年ほど前のことだ。出版された当時の百の作品には振り仮名はついていたかどうかは分らないが、その頃の人達は「什麼したでしょう」に振り仮名をつけていなくても、「どうしたでしょう」と読むことはできたのだろう。今ではいったいどれくらいの人が振り仮名なしですらっと読めるだろうか。まさに「明治は遠くなりにけり」の感がする。

  「什」の意味を調べてみると、いくつかある中に「近世の俗語では『何』という疑問詞を什麼(ジュウマ)・(ソモ)・(イカン)と書く」とあったので、ずいぶん昔から使われている言葉だということが分った。やはり現在の中国語と同じ「何」という意味だ。「麼」は語調を整える言葉らしい。ところで幼少の頃、講談全集などを読んでいると、禅坊主が互いに「ソモサン」、「セッパ」と声を掛け合って問答に入る場面があった。意味は分らないがその語調が何となく面白くて口ずさんだりしていた。この「ソモサン」も「什麼」に関係があるのだろうと思いついて調べてみると、やはりそうで、「什麼生」あるいは「作麼生」、「怎麼生」と書くようだ。「いかが」、「いかに」、「さあどうじゃ」という意味で、問答を仕掛ける時の掛け声のようなものだろう。もとは宋代の俗語で、禅宗で使われたものと言うから、確かに中国由来の言葉だ。「怎麼」も中国語の勉強をしていると出てくる言葉で馴染みがあり、「どのようにして」という意味だ。なお「セッパ」は「説破」のことで、これは日本語だろう。「ソモサン」と言われて「論破してやる」と応えたわけだ。

  百の作品のちょっとした言葉からいろいろのことを知り、大して役には立たないことだろうが、何となく得をしたような気になった。




結婚

2007-01-25 10:48:37 | 身辺雑記
 年末から年始にかけて陰惨な事件が続いた。中でも大きなニュースになったのは兄が妹を殺し、妻が夫を殺した事件で、どちらのケースでも殺した後で遺体を切断して、隠したり捨てたりしている。家庭の経済状態は悪くなく、むしろ恵まれている方で、どちらも被害者に対する憎しみの感情が爆発した結果のようだ。きょうだいや夫婦の間でこのような残酷な事件が起こるのは、よほど憎悪の念が強かったのだろうが、それにしても遺体を切断するなどと言うことは異常極まりない。

 このような家庭内での殺人事件が報じられるたびに、なぜこんなことが起こるのか理解できないし、とりわけ夫婦の間に起こったケースでは、それが何らかの利害を伴ったことであれば特に、夫婦とはいったい何なのだろうと考えさせられてしまう。今回の妻による夫の殺人と遺体損壊遺棄事件の場合でも、夫の度重なる暴力や双方の不倫が原因だとかいろいろ言われているが、何かもう1つ釈然としない。所詮加害者の心理というものは第3者には理解できないことなのだろうとも思う。

 夫婦はもともと他人同士であったのだから、その関係が冷えたり険悪になれば、また元の他人に戻ってしまうと言えばそれまでで、結果としては破綻することも当然あるし、現に別れる例は多く、そのほうが双方あるいは一方にとって良い場合もある。それを他人がとやかく言っても始まらないことだと思う。それでも他人同士が生活を共にしようと心に決めたのは、それが恋愛であれ見合いであれ、相手に対する何らかの共感のようなものがあったからのはずで、それが殺したくなるほどの憎悪に変わるのはなぜなのだろう。このような事件が起こるたびに識者がいろいろ分析したり解説したりするが、私にはすっきり理解できたことがない。なぜ、そうなる前に別れなかったのかと至極単純に思ってしまう。

 私はかねがね結婚というものは、堅苦しい言い方だが、異文化の融合による創造の営みではないかと考えている。このことは国際結婚についてなら理解しやすいだろうが、日本人同士の結婚の場合でも本質的には同じだと思う。それぞれが育った家庭を含む環境というものは、まったく同じではありえず、そういう意味では互いに異なった文化の中で成長してきた。私が知っているある女性は、伊勢のホテルで年末年始を過ごした時、出された雑煮が味噌仕立てで餅が丸かったので、こんな雑煮があるのかととても驚いたと言う。彼女は東北の出で雑煮は澄まし汁で切り餅だったようで、こんな雑煮は初めてだったと言った。こんなことでなくても、夫婦となった2人がそれぞれ育った家での日常のご飯や味噌汁の味でさえも微妙に違っているはずだ。それ以外にもさまざまな生活習慣が違っていて、最初は戸惑うことも多いだろう。それが夫婦としての生活を続けているうちに互いが持ってきた「文化」が次第に溶け合って、その夫婦の家庭の新しい「文化」が創られていく。だからその過程では互いに辛抱や妥協、折り合いをつけることも必要になってくる。大袈裟な言い方をすれば、自己変革も必要になるだろう。

 私のこのような結婚観は古めかしく観念的だと批判を受けるかも知れない。しかしこれは意識的に努力してきたということではないが、40年間の結婚生活から私なりに得た結論で、顧みると結婚と言うものは真に大事業だとしみじみと思う。だから妻を亡くした後で、再婚する気は?と聞かれたことは何度かあったが、その気はまったくないと答えてきた理由の1つは、こんな長い時間がかかる大事業をもう一度やってみる時間も気力も、もはや私には残されていないということなのだった。

ダイエット(2)

2007-01-23 08:19:26 | 身辺雑記
 前回は偉そうなことを言ったが、実は恥をさらすことになるが、数年前に私もダイエットをしたことがある。ちょっと肥ってきて腹がだぶついてきたなと思っている時に、ある卒業生がグレープフルーツとゆで卵を主体にしたダイエット法があると教えてくれた。1週間のメニューがあり、それを2週間繰り返すものだ。グレープフルーツとゆで卵は好きだし、メニューでは1週間目には小さなステーキを食べるようになっていたし、他にも食べていいものはあったからやってみようかと思って実行してみた。

 1週間目はさほどの違和感も覚えず過ぎたが、2週間目に入るとだんだん嫌になってきた。それでも初志貫徹と思って続けたが、毎回の食事は砂を噛むような味気なさだ。好きだったゆで卵もグレープフルーツも、何か疎ましいもののように思われてきた。それでも2週間とうとうやり切って、少し達成感らしいものもを覚えていた時に、そのダイエット法を教えてくれた卒業生から電話があって、あれはインチキらしいですと言う。オイオイいったいどういうことなんだとがっくりしてしまった。その後かかりつけのY先生に話をすると、インタネットの記事をコピーしてくれた。北欧の学者の提唱らしく、インチキと言うものではないでしょうと言うことだった。それで何となく安心はした。ダイエットの結果として確かに体重は2週間で2、3キロほど減った。しかし腹回りはさほど小さくなったとは思えなかった。減ったのだからまあまあ成功とも言えるのかも知れないが、まことに後味が悪かったし、食欲が湧かず、何か力が入らないような感じになった。しかも体重はその後やがて元に戻ってしまった。好きだったグレープフルーツもゆで卵も、しばらくは見るのも嫌だった。今でもあまり積極的に食べようとは思わない。やはり食事は楽しいものでなくてはならない。そのせいで少しくらい肥ってもいいじゃないかとも思う。砂を噛むような思いをしながら食事をするなんてバカらしいことだ。

 運動しなさい、歩きなさい、それが一番ですとよくアドバイスされる。最近ではスクワットをするのがいいとも聞いた。温水プールで歩き回るのもいいそうだ。あれこれ聞かされるが生来の怠惰さか、やってみようという気が起こらない。歩くくらいはできるだろうと言われるが、この何年か歩くとすぐにふくらはぎが痛んで歩き辛くなるのでと弁解ばかりしている。近頃はメタボリックシンドロームとか何とか、なにやら怖そうなことも言われていて、「あなたもメタボリックシンドロームではありませんか」などと呼びかけられると、よくは分らないけれども不安になってもくるが、まあいいやと気にしないことにした。


ダイエット

2007-01-22 10:20:10 | 身辺雑記
  関西のある民放が製作した、納豆のダイエット効果を紹介した番組が、架空のデータを使った虚偽の内容だったということで幹部が謝罪した記事が新聞に載っていた。この番組は見ていないが、それが放映された後、スーパーなどの店頭から納豆が消えるほどの売れようだったらしい。以前にもダイエットではないが、ココアが健康に良いとある民放の人気番組で放映したら、ココアが入手困難になったことがあった。ばかばかしいと思いながらもテレビの影響の大きさを改めて知った思いがしたものだ。

 インタネットで見ると納豆騒動の「被害者」の怒りのコメントが載っていた。

 ある40代の女性は「今日も買いに来たんです。信じていたのに」と絶句した。以前は月に数回食べる程度だったが、番組で「1日2パックを毎日食べ続けて」と聞き、その通りにしていた。「でも体重が減らないからおかしいと思っていた」
 60代の男性は放送を見た妻と娘が「毎日2パック食べなければいけない」と言い出し、会社帰りに毎日買いに行かされた。「いい迷惑。テレビ局はいいかげんにしてほしい」。

 この番組が放映されたのは1月7日のことのようで、まだ半月ほどしかたっていない。それで「体重が減らないからおかしいと思っていた」こと自体がおかしいのではないか。納豆だけでそんなに簡単に体重が減れば世話はない。妻や娘に言いつけられたのか頼まれたのかは知らないが、会社帰りに毎日買わされていたとは、今どきの家庭での妻や娘の態度が想像されて、何か悲哀のようなものが感じられる。新聞の記事によると、食べ物が健康や病気に与える影響を過大に評価することを「フードファディズム(食の流行かぶれ) 」と言うのだそうだ。かつてホウレンソウに含まれている蓚酸が有害だと言われてちょっとした騒ぎになったことがあったが、実際にはそれはごく微量で、1日に大量のホウレンソウを何日も続けて食べれば害はあると言うことで、日常生活ではそのようなことはあり得ない。この「フードファディズム」とやらの傾向は強くなっているのではないか。毎月健康に関する月刊誌の広告が新聞に載るが、目次を見ると実にあれこれの食べ物があれこれの症状に「効く」と言っている。いったいどの程度のデータに基づいているのか怪しいものだと思う。書いてあることをすべて実行したら、完全健康体になって、いつまでも生きるのではないかと思うくらいだ。すぐにこのようなニュースに飛びつくことも愚かしいが、健康、美容に敏感な世相に乗っかって安易に無責任に「情報」を提供するメディアも反省するべきだ。

 ダイエット、ダイエットと近頃は特に女性の間で大流行だ。いわゆるダイエット産業は市場ではかなりの規模になっているのだろう。中にはずいぶん高値なものもある。テレビや何かでダイエット、ダイエットと喧伝するから、ダイエットしないといけないような心理になってしまうのかも知れない。それほど肥満体の女性が増えているようにも思えないのだが、聞いてみると2、3キロくらいのことで一喜一憂しているようで、それくらいのこと気にすることでもないじゃないかと言っても、当人にとっては大問題らしい。西安の謝俊麗や東京にいる上海の施路敏とチャットしていても、これまでに何度も「明日からダイエット」と言うので、そのたびに冷やかしている。こんなことでは「ダイエットと毎日、朝昼晩○○回唱えれば痩せられます」というダイエット法でも売れるかもしれない。街では若い女性達が実によく食べているのを見ることは多い。若くて健康なのだろうなと羨ましくの思うのだが、そのように健啖ぶりを発揮しながら一方ではダイエットと言うのは、ヘビースモーカーが「健康に良くないから節煙しようか」などと言ったりするのと同じことだ。

 痩せていれば美しいと考えるのはおかしいと思う。人の美醜などは人によって感じ方が違うし、体型や顔などの外見だけで美しいとか美しくないとか言うものではないと思う。美醜の問題ではない、健康の問題だと言われるかも知れないが、僅かな体重の増減を気にしてあたふたするのはストレスになって、かえって良くないのでないか。

サザンカ

2007-01-21 09:53:57 | 身辺雑記
  さざんか さざんか 咲いた道
  焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き
  あたろうか あたろうよ
  北風 ピップウ 吹いている

 こんな童謡があった。いかにも昔の風景で懐かしさを覚える。この歌でも分るようにサザンカは冬の花だ。庭木や公園、駅の周辺の植え込みなどどこにでも見かける。そう言う意味ではごく平凡な植物だし、近縁のツバキに比べても花はさほど華やかでもないが、やはり冬眠している樹木が多い中で花を咲かせている姿は、冬の殺風景さに彩りを添えていて親しみを感じさせる。年末にはあまり注意をしていなかったが、最近ではもう花の盛りを過ぎたようで、萎れたり花びらが散ったりしているものが目立つ。これも暖冬の影響なのだろう。





 サザンカ。漢字では山茶花と書き、字面と発音が合わないが、広辞苑によると「サンサクァの転」とあるから昔はサンサカとかサンザカと呼ばれていたのだろう。しかし「山茶」という字は、中国語ではツバキを意味する。かつて訪れたことがある雲南省麗江古城郊外にある明代に建立された玉峰寺という古寺には「山茶之王」と名づけられたツバキの大木があった。樹高は3メートル以上、太い2本の幹が複雑に分岐しよじれ合って1本のように見え、大きな花をたくさんつけていた。1年に10回、一度に2千個の花をつけると言う。明代に植えられた樹齢500年以上とあった。



 ところが、ツバキを「椿」と書いてしまうと、中国ではまったく違う植物を指すことになるからややこしい。「椿」を日中辞典で調べると、香椿(xiangchun)と言う植物で和名は中国語の発音を写したチャンチン。センダン科に属して夏に小さな白い花をつけ、家具や楽器などを作るそうだが、見たことはない。

チャンチン

  (http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/cyanchin.htm)

 それでは、サザンカを中国では何と呼ぶかと言うと、「茶梅chamei」とか「油梅youmei」、「海紅haihong」などと言うようだ。サザンカにもツバキにも名前に「茶」という文字を使っているが、茶も同じツバキ科の植物で、昔の中国人は直感か経験でサザンカもツバキも茶と同じ仲間と考えて、「茶」の文字を名前に使ったのだろう。

 ツバキは2000ほどの品種があるようで、米国では高級な趣味として収集家、愛好家もいると聞いたことがあるが、それに比べるとサザンカは地味だ。しかしやはり冬にはなくてはならない植物のように思う。とくにうっすらと雪が積もった時などは、葉の緑、花の赤、雪の純白のコントラストはとても美しいものだ。


            

消費期限・賞味期限

2007-01-19 09:17:27 | 身辺雑記
 創業100年の老舗の洋菓子メーカーが、消費期限が1日過ぎた牛乳をシュークリームの材料に使ったということで騒ぎになっている。いったん事が表に出るとその後も使用期限を過ぎた材料を使ったとか、ある製品では規定の100倍かの細菌が検出されたとか、工場内に大量のネズミがいたとか、12年前に起こった製品による食中毒発生の事実を隠蔽していたとか、次から次へといい加減な企業体質が明るみになってきた。この企業は潰れるのではないかとまで言われているようだ。今の世の中はいったん企業の不祥事が明るみに出るとマスコミを中心に激しい「水に落ちた犬叩き」が行われ、時には倒産の危機にまで追いやられることもある。この企業もそれを恐れて、事実が分っていたのに隠蔽するという姑息なことして、その企業倫理の乏しさが非難をさらに増大させる結果になった。自業自得と言うものだろう。

 小さな店で商売をしているある卒業生は、かねがね今の大企業には企業倫理を重視するという姿勢が乏しく金儲けばかりを考えていると言っているが、いっこうに景気のよさが実感されないで、日々ささやかな商いをしている者の言うことは、当たらずとも遠からずではないかという気はする。

 それにしても一流の食品のメーカーが材料の使用期限について鈍感だったと言うことは理解に苦しむ。このメーカーの責任者は、ベテランの職人が匂いと味で材料の品質を判断していたからと言い訳のような説明をしていたが、そのような前近代的な方法を続けていたことの反省が乏しい。私は独居生活だから買った食品が余ってしまうことはよくある。そのような時には、期限切れの牛乳などは嗅いだり味見をし、卵などは割ってみて形を確かめてから使っているが、そんなことを企業でやっていたのかと思うと、笑い事ではないのだろうが滑稽な感じもした。私の場合にはそれで体調を崩してもどこにも文句を持って行けず、それ見たことかと言われるのが落ちだが、企業には社会責任というものがある。その意識が鈍感になっているのだろう。食品メーカーに限らず他の企業も他山の石として自戒を怠らないことだ。

 最近の消費者、とりわけ若い人たちは、消費期限はもちろん賞味期限にも敏感で、期限を過ぎると捨ててしまうことが多いと言うことだ。最近私が入会している会のバザーに、家にあった蜂蜜を出したが、1人の女性が手に取り「賞味期限は?」と言いながらラベルを見てから納得したのか買っていった。蜂蜜は半永久的に持つもので、食品だから一応賞味期限の表示はあるが、そこまで気になるのかなと思った。おそらくあの蜂蜜は、期限までに使い切れなかったら捨てられるのだろう。
 この2種類の期限は次のようになっている。これを機会に改めて勉強した。

  賞味期限(しょうみきげん)とは、加工食品を包装状態のまま所定の環境に置いた状態で、製造者が安全性や味・風味等の品質が維持されると保証する期限を示す日時である。この表現の期限は、衛生面による問題よりも品質を問う部分に依存するため、主に長期間衛生的に保存できる加工食品に用いられる。
  類似した表現では消費期限があるが、これは特に生鮮食品や細菌の働きによって変質しやすい生の加工食品(例としてはコンビニエンスストアの弁当や惣菜など)に対して使用される。これは、期限を過ぎると、風味以前に食品としての安全性が確保できない事から、消費に適するか適さないかという意味での区切りである。この差は製造日を含めて概ね5日以内に急速な品質の低下が認められる食料品については、この消費期限で表現される。(Wikipedia)
  
 こういう規則があって管理されているから、食中毒の類は少なくなってきたのだろうが、昔はおそらくいろいろなことがあっても、企業の責任が問われることなどは少なかっただろう。そういうことでは衛生観念や健康についての関心が高まってきたのは良いことだが、あまり行き過ぎては、過ぎたるは及ばざるが如しということにもなるだろう。しかし、企業では行き過ぎるほどの十分な注意をしてほしいし、ましてや法律を軽視したり無視したりすることなどは論外だ。
                       



1955年1月17日午前5時46分

2007-01-17 09:18:02 | 身辺雑記
 あの日からまる12年がたった。

 あの日は前の夜、2階の自分の部屋で遅くまで起きていたので、部屋にあるベッドで眠っていた。そして突き上げるような大きな揺れで目を覚ました。地震だとすぐに判ったが、部屋の中は真っ暗で明かりを点けようとしたが停電している。足元がひどく濡れている。後で分ったことだが、数日前に妻が花を生けた花瓶をベッドのそばに置いたのが、足元に飛んできたのだった。とにかく大きな地震だと思ったので部屋を出ようとしたが、ドアの前には本棚が倒れ掛かってなかなか出られない。暗闇の中で何とか本棚をどけて部屋を出て階段を下りる途中で、下で寝ている妻の悲鳴が小さく聞こえた。妻の上には壁際の本棚が倒れ掛かり本が散乱していたが、本棚の上段の方には重い本はなくビデオテープばかりだったので、妻にはかすり傷もなかった。妻の足元に寝ていたペキニーズ犬はすばやく飛びのいたのか、部屋の片隅で不安そうにうずくまっていた。

 2人で外に出たが真っ暗で、北にある山を造成して作った高層住宅群のすべての窓には明かりがなく、住宅群が黒い大きな塊のように見えた。ひどく寒かった。今でもあの時の寒さを思い出すことができる。隣家の主人が蒼い顔をして出て来て挨拶した。とにかく近年では珍しい大きな地震だったのだろうとは思ったが、何しろ停電しているからテレビも見ることができない。明るくなって近辺を歩いてみると、近くにあった藁葺きの農家が崩れ落ちているので、これはひどい、新聞社が来るかななどと神戸などでの惨状を知らないものだから呑気に考えていた。午後に東京の義妹から電話があり、初めて神戸やその近辺が壊滅的な災害を被ったことを知った。夕方には電気も通じたので、一晩中ニュースを見ていた。何もかも信じられないようなことばかりだった。

 このような私が経験したあの朝のことなどは、言語を絶する悲惨な体験をした多くの被災者の方々に比べると、まったく取るに足らないものだった。それでもあの日以後には私なりにいろいろな経験をし、それを書こうとすればいくらでも書くことができる。たとえば、ボランティアの人達などの活動や多くの善意に接して心温まることもあった反面、一部の被災者の横暴とも言えるエゴ丸出しの行動に怒りを覚え、人間の本性というものは、このような異常な状態に置かれた時にむき出しになってくるものだと思ったこともあった。

 あれからもう12年もたったが、私のような避難所生活もしなかった被災者とも言えない者に比べ、身内を亡くし家も財産も失った方達の心の深い傷が、今なお癒えることがないのは当然のことだろう。最近も東海地方や南海沖で大地震が起こることが予測されている。科学的な予測だからいずれはかならずまた起こることなのだろう。それについてのテレビ番組などでは「死者の推定数は○千人」などと解説されるが、実際にその「○千人」が現実のものになったらと考えると何とも言えない気持ちになり、「備えあれば憂いなし」という決まり文句にも何か虚しさのようなものを覚えてしまう。