中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

テストの出題

2010-10-31 11:44:48 | 身辺雑記

 10月は中高生の中間テストの季節だった。テストの期間は生徒にとって気の重いもので、よほどの者でなければ、テストを自分の力を試す機会だと楽しみにしていることはないだろう。

 

 教師にとっても、テストするということは気楽なものではない。日ごろ教えたことがどれくらい理解されているかを知るものであるし、それを知るためにはどのような出題にすればよいか頭を悩ませる。私が高校の教師だった頃は理科の生物を担当していたが、1年生で必修で、3人の担当者がいた。出題者によって難易度の違いが出たり、結果にクラスによってばらつきがあったりしないように、3人がそれぞれ問題を作成して持ち寄り、討議して出題するものを選んだが、これがなかなか骨の折れることだった。私達がそれぞれ退職した後は、そう言うことはしなくなって、担当教師それぞれが勝手に出題するようになったらしい。聞くところでは、英語や数学ではあまり出題に骨を折ることはなかったようだ。

 

 個人差はあっても教師たる者、鼻歌混じりでいい加減に出題していることはないだろうが、それでもニュースになるような話を見ると理解に苦しむことがある。最近もそのようなことがあった。いくつか書き上げてみよう。

 

 1.愛知県立の商業高校の総合ビジネス科の「総合実践」の中間考査で20代の教諭が、職員室で暗殺された校長が残した血で書いた文字を手掛かりに、選択肢に実名で挙げられた教員7人の中から犯人を選ぶという内容の出題をした。校長が書き残した「41124」と横に書いた数字を上下逆から見ると「カていカ」と読めるため、答えは「家庭科の教員」というのが正解とされた。「頭の柔軟さをはかる問題」として出題されたと言う。

2.鳥取県米子市の市立中学校で理科担当の70歳の男性非常勤講師が1年生の授業で、「作用点」など物体に働く力に関する問題を出題。「がけの上に立っている人のどこにどういう力を加えたら落ちて死ぬか、助かるか、一緒に落ちるか」と問い掛けた。生徒が驚いたため、出題を「どこに力を加えたらあの世にお送りすることになるか」と変更。「殺せば罪になるし、助ければ表彰される」とも説明した。

 

3.東京都杉並区の区立小学校の23歳の女性教諭が、3年生の算数の授業で時間が5分余ったため、「3人姉妹の長女が自殺した。長女の葬式に来たかっこいい男の人に、次女はもう一度会いたいと思った。どうすればいいか」とクイズを出した。児童が「電話をかける」と答えたが、教諭は「男の人に会えたのは葬式だよ」とヒントを出し、児童が「妹を殺しちゃうの」と聞くと、「それが正解」と話した。児童からは「こんな問題出していいの」と戸惑いの声が上がったと言う。

 

 4.愛知県岡崎市立の小学校の45歳の男性教諭が、担任している3年生の算数の授業で「子どもが18人います。1日に3人ずつ殺します。何日で殺せるでしょう」という割り算の問題を出題していた。 

 

 どれも唖然とするようなことばかりだ。(続)

 


洋菓子園遊会

2010-10-30 11:26:08 | 身辺雑記
 隣の西宮市のあるホテルで、市内の有名洋菓子店のスイーツを集めた「洋菓子園遊会」が11月1日に開かれるという新聞記事を見た。洋菓子園遊会とは優雅なことだ。毎年開かれていて、今年で11回目。今年はこれまでのバイキング形式をコース形式に変えるそうだ。この会はなかなか人気があるらしく昨年の応募者の倍率は22倍という「難関」だったらしい。

 今年は市内の8店がいろいろなコース皿を出品し、フリードリンク付き、焼き菓子の土産も付いて、参加費はペア1組で5000円。通常ならペアで1万5千円分になるのだそうだ。今年の参加人数は前回の150組から100組に絞るということだが、おそらく応募者が殺到するのだろう。

     

          スイーツフルコースのイメージ(新聞記事より)

 私はアルコールには弱いが、と言って甘党と言うほどではない。若い頃は和菓子よりも洋菓子を好む傾向があったが、年をとるにつれて和菓子の、それも甘さがそれほど強くないものを好むようになった。洋菓子のケーキによく使われる甘い生クリームがどうも苦手になってきている。ケーキではないが、女の子たちが好むパフェやサンデーなどは見るだけで胸がもたれる思いがする。

 そんなことだから、洋菓子のフルコースなどは、想像するだけでげんなりしてしまう。スイーツという名称は昔はなかったように思うが、近頃はスイーツ流行りのようで、洋菓子ならともかく和菓子までをスイーツと言うのは何となくそぐはない感じだ。街にはスイーツがあふれている。洋菓子店の前にいるのはだいたい女性、それも若い女性が多い。女性は男よりも甘いものを好むようだから、洋菓子のフルコースくらいは何ともないのかも知れない。

 美しい女性とペアを組むのは快いことだろうが、それでもスイーツのフルコースなどを前にしたら気分が覚めるのではないかと思う。しかし、和菓子を少しに抹茶などと言えば、年寄り臭いと言って付き合ってくれる麗人などはいないかも知れない。いるとすれば私の年に似合った年輩の婦人くらいのものか。


切れる

2010-10-28 10:00:29 | 身辺雑記

 「彼は切れる男だ」と言えば誉め言葉で、決断が早くて、よくことを処理するということだが、「最近の若者はすぐに切れる」と言うと、これは堪え性がなく、すぐに暴発することだ。「切れる」には「我慢が限界に達し、理性的な対応ができなくなる」の意味(広辞苑)があるが、最近は「我慢が限界に達し」ていなくても暴発してしまうのが多いようだ。怒りの沸点が低いのだ。


 少し前のことだが、東京の青梅市で、中学3年生の14歳の男子生徒が、公園の池で遊んでいた小学4年生の男子児童に水しぶきを掛けられたことに腹を立て、児童を背後から押し倒して右手を骨折させ、首をつかんでおよそ30回池の中に顔を沈めたり引き上げたりしたうえ、1分間にわたって首を絞めるなどしたそうだ。傷害罪で逮捕されたこの生徒は「乾きにくい綿のズボンに水を掛けられたため、切れてしまった」と言ったそうだ。14歳でもこんなことをするかと空恐ろしくなる。こういうのが、いわゆる「切れる若者」の予備軍なのだろう。

 

 ネットで「切れる」を検索していたら「ゲームをしながらブチ切れる人達の映像」という、テレビゲームの最中に切れてしまう青少年の動画があった。欧米人の青少年なのだが、そのブチ切れようはすさまじい。何か大声で罵りながらキーボードを操作していると、突然喚きながらディスプレイの画面を殴りつけたりするのはまだいいほうで、まるで気が狂ったようにキーボードを机に叩きつけ、机の上のものを叩き落す。それを何度も繰り返す。凄まじい切れようだ。中にはディスプレイをひっくり返し叩きつける映像もあった。私はやったことがないから解らないが、テレビゲームには、苛立たせ、怒らせ、暴力的にさせるような要素があるのだろうか。

 

 なぜ「切れる」青少年が増えてきたのだろう。実際にはそれほど増えてはいないで、何か突発的に暴力的なことをしでかした本人が「切れた」と表現しているのかも知れない。以前は「カッとして」と表現されたが、今では「切れて」のほうがインパクトがあるのかよく使われる。あるサイトを見ると、切れる若者が多くなったのは、給食などでよく牛乳を飲むようになったからだと「牛乳元凶」説を唱えているが、そうすると日本人以上に牛乳を飲む欧米人は日本以上に切れる人間が多いことになるが、すぐには納得できない。私の長男は幼い頃からよく牛乳を飲み、大学生になってもかなり飲むので、同級生から「赤ちゃん」と言われたりしたそうだが、とくに切れる性格でもない。他にも切れるようになるのは幼時からの食生活が原因だという説もあるそうだが、調査の結果なのか推測なのかは知らない。
 

 増えているかはともかくとして、「若者は切れやすい」というように思われて、街や公共施設などで目に余る若者の傍若無人な行動を見ても、うっかり注意すると切れて何をされるか分からないから、見て見ぬ振りをすることは多くなっていると聞く。そういうことがますます一部の若者をつけ上がらせる悪循環になるのだが、かく言う私もそういう場面に出くわしたら、自分でも情けないが、多分見て見ぬ振りをするだろう。触らぬ神に祟りなしならぬ、触らぬ若者に祟りなしだ。

 

 

 


はいよ

2010-10-26 08:25:55 | 身辺雑記

 前にも書いたが、西安の李真が西安外国語学院日本語部に在学していた時の同級生に曹渓という女性がいて、たまたま李真の紹介でMSN messengerでチャットしてきたので、それ以来時々チャットしている。日本語はかなり上手だ。

 

 先夜も交信していて、終わりがけに「ではまた来週。良い夢を」と送ると「はいよ。そちらも」と返ってきたので、思わず笑ってしまい、何となく可愛らしいような感じがした。そう言うと「『あいよ』も時々使います。何か可愛らしいですね」と言ったが、寅さんの映画で覚えたらしい。

 

 「はいよ」などはこのあたりでは聞きもしないし、私も言うことはない。インタネットで調べてみても出てこない。僅かに、ある英会話のサイトに、「here it is」の例文で、「相手に何かを見せたり、渡したりするときに、『はいよ』『どうぞ』という意味で使います」とあった。下町の店で買い物をするときに、「おじさん。○○ある?」、「はいよ。これ」と言うように使うだろうが、いずれにしても東京など関東の言い方ではないか。

 

 これに対して「あいよ」はネットの『日本語俗語辞書』http://zokugo-dict.com/50on.htmに次のようにある。
 

 あいよとは相手の言葉に対し、承知したという意思表示・返答として江戸時代から使われている。あいよは普通に「はい」と答えるよりも語感に勢いがあり、映画『男はつらいよ』の寅さんや漫画『サラリーマン金太郎』の金太郎といった威勢のよいキャラクターに使われることが多い。あいよを略した「あい」という言葉もあるが、「あい」と違い、あいよはこうした理由から男性に使われる。

 

 そして例として、客「大将、トロひとつ握ってくれる?」 店主「あいよ」 とある。

 

 そうすると曹渓が私に「はいよ」と言ったのは、用法からすると間違っているのだろうが、彼女は「あいよ」の連想から、返事の「はい」に「よ」をつけたのかも知れないし、「あいよ」にしても威勢のいい男言葉のようで曹渓のようにおとなしそうな女性にはそぐわないのだろうが、ほほえましく思ったし、ご愛嬌だからとやかく言うこともない。

 

 返答としての「あい」から、中国語にも「ai」という言葉があるのを思い出した。「はい」「ええ」という意味だ。日本語の「あい」と意味が似ている。前に貴州省の東南部を旅したとき、少し足を伸ばして南接する広西壮族自治区の三江トン族自治県に、トン族特有の風雨橋という建築物を見に行った。その時の現地ガイドは、おとなしそうな細面で色白紅唇の、トン族の可愛い娘さんだったが、貴州省からずっとついてきた私のガイドの女性と打ち合わせをしている時に、何度も「唉」と相槌をうっていた。その優しい口調が快かったので今も思い出す。

 
  


馴染みのない漢字

2010-10-25 10:36:26 | 身辺雑記

 阿辻哲次『漢字逍遥』(角川oneテーマ21)は、なかなか面白い。新書版で、213ページ。100の漢字について、それぞれの由来や意味、それにまつわる話題などが紹介されている。それぞれは見開き2ページに収められていて、張莉さんという中国人の女性が書いた古代文字がカットのように添えられているのもいい。

 

 その中に「虫」という字の項があり、こういう一節がある。

 

 ところで「虫」という漢字を昔は「蟲」と書いたことは、年輩の方ならよくご存知であろう。要するに「學」と「学」、「國」と「国」などと同じく,新字体と旧字体のちがいなのだが、しかしもっと古くは、両者はまったく違う漢字だった。《虫》が三つ集まっている「蟲」を省略して「虫」ができたのではなく、古くは「虫」と「蟲」がそれぞれ別の意味で使われていたのである。

 

 私も小学生のころは「昆虫」を「昆蟲」と教わった。阿辻さんによると「虫」は本来は「まむし」を意味し、頭の大きな毒蛇をかたどった象形文字で、音読みは「キ」だそうだ。古代文字はこうだ。なるほど「まむし」らしい。


           

 

 それに対して「蟲」(音読みは「チュウ」)は古くから「むし」という意味で使われた。それがいつの間にか「蟲」の簡略字形として「虫」と書かれるようになり、やがて日本でも中国でも「虫」が「むし」を意味する正規の漢字になった。

 

 他にも「蛸」や「蛤」、「蝦」はどうして虫ヘンなのかと言うことも説明されていて面白い。

 

 ところで、蟲のように同じ文字が3つ集まっている漢字は他にはないかと考えたら、いくつかはすぐ思い浮かべることができる。森、品、晶などは小学生でも知っているだろうし、轟や姦などもあるし、今はあまり使われないが、豪放磊落の磊、贔屓(ひいき)の贔などもある。

 

 中国の街中で、時折看板などに「金」が3つ集まった文字を見かける。日本では見たことがないので中国語辞典で調べると「シン」と発音され、富み栄えると言う意味だ。人名や屋号に用いられることが多いとある。なるほど金が3つで縁起のよい文字だ。このたび、例のミシュランの星をもらった神戸の著名なステーキハウスは「あら皮(あらがわ)」と言い、「あら」は「鹿」を3つ使った珍しい文字だ。

 

 それで興味を持ってパソコンにあるIMEパッドで調べてみるといくつか見つかった。驫(ヒョウ)、犇(ホン)、矗(チク)、聶(ショウ)などだが、、他にもここでは文字にならないが、泉、言、犬、魚、原、人、火、水、田、土、子、白、吉などが3つ集まった文字があった。まだまだあるのだろうが、これ以上は『大漢和辞典』でも見たらよいだろう。

 それにしてもこれらの漢字の意味や由来はどんなものなのか。どういうところに使われたものなのか、さっぱり分からない。このような文字も必要だから作られたのだろうが、中国の古人の発想や工夫、根気はたいしたものだと思う。

 この本の題名どおり、漢字を逍遥するのは楽しいもので、無聊を紛らわせるのにはいい。

 

 

 


かかし

2010-10-23 09:58:22 | 身辺雑記

 家から少し行くと田畑が広がっている所がある。その道路に近い畑の畦道に、かかしが並んでいた。稲があった頃には見当たらなかったから、刈り入れがすんで役目を終えたので、1ヵ所に集めたのだろう。

  


 左端は、水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる人気キャラクターの「いったんもめん(一反木綿)」。元来は鹿児島県肝属郡肝付町に伝わる妖怪なのだそうだ。



 かかしは言うまでもなく、田畑を荒らしに来る鳥や獣を威嚇するための人形だが、その語源は「かがし(嗅がし)」にあるそうだ。語源由来辞典によると、古くは髪の毛や魚の頭などを焼き、串にさして田畑に立て、その悪臭で鳥や獣を追い払っていて、これを「嗅がし」と言い、清音化されて「かかし」になったとある。

 「かかし」は漢字で「案山子」と書く。これについても語源由来辞典にあるが、元々中国の僧侶が用いた言葉で、「案山」は山の中でも平らなところを意味し、「子」は人や人形のことであるとして、続けて、中国宋代の禅書『景得伝灯録』に「僧曰、不会、師曰、面前案山子、也不会」とあり、これにならって「案山子」が用いられるようになったと考えられるとあるのだが、こういうことには不学な私には意味が分からなかった。

 秋の日差しを受けて立っている案山子はユーモラスで、その表情を見ていると楽しくなり、子どもの頃に習った歌を思い出す。 
 

   
   http://8.pro.tok2.com/~susa26/syokaoke/kakasi.html

  (日曜日はブログを休みます)


幼児と母親

2010-10-22 09:23:47 | 身辺雑記

 家の近所の道を歩いていると向こうから1歳ちょっとくらいの男の子が、チョコチョコ小走りしながら、前を行く母親に「ニャンニャン」と言った。母親は足を止めて振り返り「ニャンニャンね」と答えた。姿は見えなかったが猫がいたらしい。私はこういう親子の姿を見るのが大好きだ。幼な子はとても可愛いし、母親の様子は温かい。子どもは幸せだろうなと思う。

 

 前にも書いたことがあるが、私は子ども、とりわけ幼児が大好きで,ベビーカーに乗せられたり母親に抱かれたりしている子どもに出会うと、つい笑いかけたり、声をかけたりする。幼児の反応はさまざまで、ちょっとびっくりしたようにまじまじと見つめる子もあれば、ニコニコしたり、中には小さい手を振る子もいる。そんな時には、思わず「可愛いねえ」と言ってしまう。

 

 昨日、大阪に出た帰りに地下鉄のホームに降りようとしてエレベーターの前に立つと、母親の押すベビーカーに乗った幼児が側に来た。その子は私の顔を見上げるなり嬉しそうにニコニコしながら、「オジイチャン。ボクとママはちがうところにきちゃった」とよく意味が分からないことを言った。(オジイチャンか。間違いないなあ)とちょっと苦笑すると、その子は小さい指を3本立てて「ボク3さい」と言った。「そうか。3歳か。違うところに来ちゃったか。可愛いねえ」と言うと、また「ボクとママはちがうところにきちゃった」と繰り返し、母親はちょっと恥ずかしそうにその子に何か言った。エレベーターに乗ってからも元気な声で母親に話しかけていたが、おそらく屈託のない明るい性格なのだろう。きっと可愛がられてのびのびと育てられているのだろうと思った。

 

 愛嬌のある子の母親は、たいていは優しそうに見え、私が笑いかけたり、「可愛いねえ」と言ったりすると会釈したり、「有難うございます」と言ったりする。その時の一瞬の、幼な子を通じて優しい気持ちが触れ合うような雰囲気がとてもいいものだ。幼い子が可愛いと言うのは、見目と言うよりも、その子から出ているアロマのようなものだと思う。子どもの持つあどけなさが匂ってくるようで、ああ、親に可愛がられているのだろうなと思う。私の思い込みかも知れないが、とりわけ母親が優しいのだろうと思う。
 

 子どもに対するひどい虐待のニュースを聞くと、何と言う親なのかと思う。おそらく子どもに対して優しく接することを知らなかったのだろう。そして自分も親から可愛がられた経験が乏しかったか、なかったのだろう。虐待をうけた子どもはもちろん痛ましいが、虐待する親も哀れに思えることがある。しかし、我が子への非道な虐待を報じられるような親は少数で、大多数の親は子どもを慈しんで育てているのではないか。街の中で親に連れられた幼い子に出会うたびにそう思う。

               
    


孫娘からの電話

2010-10-21 09:38:09 | 身辺雑記

 夜、孫娘から電話があった。一番上の子からだと思って、しばらく話していたが、どうも何か話が食い違う。お父さんはお酒を飲んで寝ていると言うので「ユリコはお酒を飲むのか」と聞くと「さあ、飲むと思うよ」と答える。何かおかしいと思った途端、はっと気づいて「あんたはマリコか」と聞くと「そうよ」と言った。妹のほうだった。

 

 ユリコとマリコの姉妹の声は最近ますます似てきた。顔を合わせて話すと違いは分かるし、こちらからかけると区別はつく。今回もマリコだったと気が付いてからは、確かにマリコの声だと分かった。マリコから電話してきたのは初めてだったし、「こんばんは」と言うだけで名乗らなかったから姉のほうだと思い込んでしまった。

 

 親子やきょうだいの声はよく似ると言われる。私と長男は今でもそうだが、以前から似ていると言われた。あるとき私が不在の時に電話がかかってきて学生だった長男が出ると、担任している生徒の母親からで、電話が通じたとたんに「あ、先生でいらっしゃいますか。私は○○の母でございますが・・・」とぺらぺらとしゃべり出した。息子は面食らってしまったが、程よい切れ目のところで「あのう、息子なんですが」と言うと相手は驚いて恐縮し、詫びを言って切ったそうだ。

 

 父と仲がよかったすぐ下の叔父は、顔つきも声もとてもよく似ていた。父の死後にその叔父と会うと、あまりに父の面影を髣髴させたので、たまらなく懐かしい思いがしたものだった。顔つきが似るのは遺伝だろうが、声が似るのもやはり遺伝によって声帯などの発声器官が似るからだろう。

 

 高校2年生のマリコがなぜ初めて電話してきたのか分からなかったので聞くと、「別に・・・。掛けてみたかったから」と言ったので嬉しくなった。通っている滋賀県の野洲市にある高校に近い大津市の、近隣の高校生達で作っている吹奏楽団でサキソフォンを吹いているので、そんなことなど取り止めもなく話したが、電話を切った後は何かほのぼのとした気持ちになった。孫というものはいつまでも可愛く良いものだ。

 


あばよ

2010-10-20 08:35:39 | 身辺雑記
 インタネットに語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/ というのがある。パソコンのデスクトップにアイコンを出しておいて、折々開いて見ている。最近開いて「あ」の項を見ていたら「あばよ」というのがあって興味を惹かれた。興味を惹かれたのは、この言葉は知っていたが、最近は私は使わないし、語源を知らなかったからだ。

 「あばよ」は「さようなら」のくだけた言い方で、関東の方言らしい。私は子どもの頃東京にいたが、学校帰りに友達と別れるときに時々言っていた記憶がある。もっとも大概は「さよなら」と言っていた。関西に移ってからは使ったこともないし、聞いたこともない。

 この「あばよ」の語源については諸説があるようだが、語源由来辞典は「按配よう(あんばいよう)」の略語だという説を、もっとも注目される語源としている。「按配」は「体調」の意味で近世から使われており、「あばよ」も近世から使われているので、意味と語形の両面からこの説が妥当とされているということだ。「按配よう」は今で言う「お大事に」のようなものだろうか。

 あるサイトを見ると、「さようなら」の意味で古くから使われている「さらば」をまねた幼児語「あばあば」の「あば」に終助詞「よ」が付いたものという説を支持しているが、語源由来辞典は「あばあば」は「あばよ」の幼児語として使われていただけであると否定している。

 私にはどちらかと言うと、幼児語の「あばあば」が「さらば」という硬い言葉をまねたと言うよりも、「あばよ」というくだけた言葉からきたと言う説のほうが納得できるが、もちろん専門家ではないから大まかな捉え方だ。いずれにしても言葉の語源を辿るというのは興味あることだし、面白い作業だと思う。

 今頃は東京の子どもでも「あばよ」などは使わないのではないか。子ども達の別れの言葉といえば、今ではバイバイだろうし、これは全国区的な使い方ではないかと思う。このバイバイは中国でもよく使われる。私も中国の若い友人と電話で話した最後にはバイバイと言うし、向こうもそう応える。中国人のバイバイは「バ、バァイ」と聞こえることがよくあるし、私もバ、バァイと言うことが多い。チャットでは「88」とする。8の発音はbaだ。そう言えば元の英語のgood-byeの語源は何だろうか。

  

反日デモと中国人の意見

2010-10-19 09:52:52 | 中国のこと

 私が読んでいる新聞に「記者有論」という、記者や論説委員がコラムを書く欄がある。先日「『愛国の火』は取扱注意」という一文が載っていた。尖閣諸島問題に関連したもので、ちょっと長いので全文の引用は避けて、一部を抜粋してみる。

 

 (前略)政府はともかく中国の一般民衆は事件をどう受け止めたのか。日中交流にかかわる知人の中国人大学生に連絡をとってみた。各地で抗議デモが起き、ネット上に反日の書き込みが急増していることについて、彼は個人の考えだと断った上で、こんな例え話を披露した。

 「スパゲティをゆでるのは、結構面倒ですよね。火が小さいとめんが軟らかくならず、大きすぎると噴きこぼれる。今回の件で言えば、火加減を調節しているのが政府とメディア、たきつけられて鍋で踊っているのが国民ではないか、と」

 中国ではどんな集団行動でも政府の指示か黙認なしではありえない。つまり反日行動もすべて管理されている、と彼は説く。「デモは国民感情の『ガス抜き』であると同時に政府の対応に世論の支持を与える『演出』でもあるのでは」

 一大学生が中国の体制に冷徹な目を持っていることに驚いた。と同時に、もし彼の分析通りに当局が国民感情を「演出」しているつもりだとしたら、その危うさを、強く案じる。(後略)

 

 この中国の学生の意見はなかなか穿ったものだと思う。内部に多くの問題を抱えながら、それに対する大規模なデモが起こったことは聞いたことがないし、起こっても直ちに鎮圧されるだろう。当局に都合の良いデモだけが容認されているのだ。 


 四川省の成都と陝西省の西安、河南省の鄭州、湖北省の武漢などで、尖閣諸島問題に抗議する大規模な反日デモがあったそうだ。成都では、2000人以上が中心街に集まり、「尖閣諸島を守れ」「日本と戦え」などと叫びながらデモ行進を行ったということで、西安でも学生、数千人がデモ行進を行い、「尖閣諸島は中国の領土だ」と主張するとともに日本製品を購入しないように呼びかけたということだ。またトラックに乗った若者らは「中国にとって最も大事なことは日本を滅ぼすこと」と書いたプラカードを掲げていたそうだ。「日本と戦え」などは軍事大国意識丸出しで、ましてや「日本を滅ぼす」などに至っては、もはや知性も何もなにもないやくざどもで、嫌悪を感じる。「琉球を回収し、沖縄を解放せよ」と書いた横断幕もあったそうだが、その露骨な侵略主義には呆れかえる。「日本製品を購入するな」などはお定まりのスローガンで、参加者自らが今後一切日本製品を買わないことを実行する決意なら分かるが、口先だけのことだろう。案外日本製品を身に着けて叫んでいる者もいたかも知れない。日本車や日系の商店も破壊したそうだが、単なる犯罪者、暴徒でしかない。

 デモの参加者の多くは、かつて江沢民が主席だった頃の極端な愛国教育で育った90年代生まれの若者世代らしいが、偏狭な「愛国」は知性を乏しくすることを示している。日本も過去を顧みて、今の中国の状況を他山の石にしなければと思う。このデモは東京で民間団体主催のデモがあり、これに反発したもののようだが、中国指導部は制御できずに苦慮しているとも言われるがどうなのだろうか。この民衆の「エネルギー」が国内のさまざまな問題に向けられたらたいしたものだと思うが、「知らしむべからず」の状態に置かれていて、行動すれば直ちに弾圧されるのでは、そのようなことはありえないだろう。


 中国の若者からカリスマ的存在として支持を集め、ブログの閲覧数が4億回を超えるという28歳の若手作家が先月、自身のブログで「内政の問題ではデモのできない民族が、外国に抗議するデモをしても意味はない。単なるマスゲームだ」と切り捨てたという新聞記事を見た。「主張を貫くのは中国国内に多くの矛盾を抱える中、政府が外国と対立するたびに庶民が『愛国』を叫ぶことへの疑問と政治には踊らされないという冷めた視線だ」とこの記事は言っている。この文章はその日のうちに削除されたそうだが、もちろん当局の手によるものだ。

 

 当局の都合の良いように民衆を踊らせ、常に監視の目を光らせて都合の悪いブログなどは強制的に削除し、ノーベル平和賞受賞者の家族までも軟禁状態にする。考えてみると恐ろしいことだと思う。理想郷ユートピアの正反対の社会としての「ディストピア」という社会は、有名なジョージ・オウエルの「1984年」で描かれ、SF小説の題材ともされる極端な管理社会で、基本的な人権を抑圧するという社会として描かれることが多いとされるが、ふと何か今の中国の一面を連想させられる。


 日本では言論の自由が保障されてはいるが、しかし、私たち一人ひとりが、物事を正しく判断できる情報は正しく提供されているだろうか。テレビのワイドショウなどで知らず知らずのうちにある方向に誘導されたりしてはいないだろうか。無罪になった厚生省の局長の逮捕の時は、マスコミの報道を通じて検察の言い分通りに予断を持つことはなかっただろうか。この情報過多の時代に、冷静な判断をすることは難しいと思うし、それだけにマスコミは絶えず自戒をこめて報道してほしいと思う。