中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

西安・四川省へ

2007-05-23 00:07:35 | 中国のこと
 24日から6月4日まで、中国西安と四川省を訪れる。

  初めてブログを開いた時に「40年連れ添った糟糠の妻を亡くし、淋しい思いをしていた頃、ふとしたことから昔の教え子に誘われて中国を訪れて以来病みつきになってしまい、」と書いているが、それは2000年の6月のことで、西安-敦煌への団体ツアーだった。それ以来中国が好きになって、これまで30回以上訪れ「中国迷爺爺(中国好き爺さん)」と自称するようにもなった。

  最初の西安-敦煌ツアーの時にガイドしてくれたのが、これまでにブログで何回か名前を出した西安中国国際旅行社(CITS)の李真で、帰国後メールを交換して親しくなり、以来西安には7回訪れ、彼女にガイドとして紹介された邵利明や謝俊麗、彼女の大学時代のクラスメートで今は机を並べて仕事している袁毅などと親しくなり、今では彼女らからは「爺爺yeye」とか「おじいちゃん」と呼ばれるようになった。李真や邵利明の両親にも家に招かれたりしている。毎年1回は李真の世話で、西安経由で延安や洛陽、青海省などに行ったが、今回も袁毅と李真の手配で西安から四川省の成都に入り、そこからあちこちを巡る。

  四川省の省都である成都には昨年も行ったが、今回は成都近郊の平楽古鎮や、明清時代の古い町である閬中、臥龍のパンダ研究所などを訪れることにしている。西安に戻ってからは友人達と過ごしてゆっくりしようと思っている。

 このところずっとパソコンの不調に悩まされ続けてきた。ちょうどよい機会だから修理に出すことにした。

えごのき

2007-05-22 15:54:26 | 身辺雑記
 近くにある高層住宅の植え込みにエゴノキが満開である。白い小さな花をいっぱいにつけて美しい。



 エゴノキはエゴノキ科の落葉樹。日本全土に自生し、庭木としても使われる。花は枝の先に下垂してつく。花弁は純白で非常に清楚な感じがする。初夏にふさわしい清々しい花だ。










紅色の花のものもある。
  

材は床柱や天井材に使われ、材質が緻密なので器や挽物細工、玩具、杖などに使われると言う。


薔薇(3)―近所のバラ―

2007-05-21 10:08:13 | 身辺雑記
 朝、近くを小一時間散歩した。通りすがりの家には花を作っている家が多い。バラもよく見かけた。庭を小さなバラ園のようにしていたり、鉢植えにしたりしている。近所のSさんはミニバラのように小さな鉢に植えている。私にはバラ作りは何となく手が掛かるように思われるのだが、皆それぞれに工夫して楽しんでいるようで、品種もいろいろあって見飽きない。良い趣味だと思う。

 




























 
 我が家のバラ。氏も素性も定かでなく、いつごろ来たのかも分らない。四季咲きで、いやにひょろひょろと高く伸びていて、目を奪うような形でも色でもなく我が家に似合っている。


 花の色が珍しいので買った。写真でははっきりしないが、やや黒ずんだ赤でコーヒーオベーションと名付けられている。




薔薇 ―バラ園のバラ―

2007-05-19 16:22:22 | 身辺雑記
  卒業生のH君夫妻と隣の市にある市営のバラ園に行った。あいにくの低気圧の通過で少々風が強かったが、平日だったので園内には人が少なく、ゆっくり楽しむことができた。




  バラはヨーロッパでは昔から絵画などの芸術作品のモチーフとなり、多様な品種の作出も盛んで、「花と言えば日本では桜である。ヨーロッパで花と言えば、なんといってもバラである」(「バラの美術館」集英社)と言われる。花の形や色彩の美しさと多様さが、馥郁とした香りとともに高貴な印象を与えてきたのだろう。最近はバラをつくっている家庭も多くなったが、やはりバラには人を惹きつけるものがある。

 ボッティチェリ作「プリマヴェーラ(春)」の部分。(「バラの美術館」集英社) 
         
   
 ドーム兄弟作「薔薇文香水瓶」(同上)

  園内にはたくさんの品種のバラが花の盛りで、好い香りがあちこちに漂っていた。どの花も美しく特徴があり、次々に撮ったが、それぞれの名称はほとんどがカタカナ表記の学名なので覚えていない。













ハゴロモジャスミン

2007-05-18 10:39:22 | 身辺雑記
 通りがかりの家によく茂ったハゴロモジャスミンがあった。

  

 ジャスミンはモクセイ科に属し仲間は多い。どれも学名の属名はJasminumである。この中のソケイ(素馨)という品種の花は香りが強く、香水の原料となる香油が採れる。

  ハゴロモジャスミンは園芸種としてよく栽培されていてやはり好い香りがあり、夜閉め切った部屋に鉢植えを置いておくと、翌朝には香りが充満していて、頭が痛くなるほどだと言う。普通ジャスミンと言っているのは、この品種である。






 中国にはさまざまな茶があるが、花茶と言うものがあり、いろいろな花を乾燥したものを緑茶に混ぜてあり、飲むと花の香りがする。中でもジャスミン茶が広く飲まれるが、このジャスミンはマツリカ(茉莉花)と言い、アラビアからインドにかけての原産の品種である。中国では茉莉花(molihua)は愛されているようで「茉莉花」と言う歌も愛唱されている。

    茉莉花 「四季花ごよみ 夏」(講談社)より
 



写真展

2007-05-17 16:41:17 | 身辺雑記
 私が入会している、中国内陸部の貧困農村地域の子ども達への教育援助をするNGO団体が、大阪の朝日新聞社のビルにあるASA-COMというフロアで、子ども達の姿や援助地区の様子を中心にした写真展を開いた。会員の中に写真が非常に上手な女性がいて、その女性の撮ったものがほとんどである。





 地味なテーマだから大盛況と言うことはないが、それでも来場者の多くは非常に熱心に80点余りの写真を見てまわっていた。



 この娘の家を訪問したことがあるが、これまで見たことがないような極貧と言ってもよい状態だった。精神病を患っていた父親は昨年病死し、母親が働いて僅かばかりの収入を得ている。80代の祖母は廃品を集めて離れた町まで行き売っている。ある会員が教育費を援助していたが、弟を就学させるために進学を断念し出稼ぎに出ている。



 会からは毎年現地を訪問し交流するツアー団を送っているが、湖南省の農村では持って行った米とカレー粉を使って、会員と現地の母親がカレーライスを作り子ども達に食べさせた。子ども達は初めてのカレーライスを喜んで食べたようだ。



 子ども達に盆踊りを教えた。炭坑節の曲に合わせて楽しそうに踊っていた。西瓜割りなどにも興じた。



 貧しくても子ども達は生きいきとして明るい。笑顔がとてもいい。











 私のものも2点ある。何気なく撮ったものだが、額に入れてパネルに展示されると少しは見られる。 これは寧夏回族自治区原州区の漢族の農家の婦人が小さな針刺しを作っているところ。


 これを会でマスコットとして販売し、売り上げ金の中から必要経費を差し引いて現地に渡す。貴重な現金収入になるので、母親達は精を出して作る。




黒い服

2007-05-16 11:01:34 | 身辺雑記
 大阪の街頭で久しぶりに、家路に向かう(ちょっと一杯の寄り道をするかも知れないが)サラリーマンの群れを見た。

 その姿を見ていると、着ている服の色は圧倒的に黒が多いことに気づいた。特に若い男性は例外なくと言っていいくらい黒のスーツで、それもまるで礼服のように真っ黒だ。ネクタイも地味で目立たない。時折茶や灰の浅い色の服もあるが皆年配者で、若者は見かけない。若い女性も男性のような上下揃いのスーツ姿をしているのをかなり見かけたが、それもやはり黒だった。以前から日本のサラリーマンは黒か濃紺が基調の暗い服装が多く「ドブネズミスタイル」などと呼ばれたりしていたが、この葬儀に向かうようなスタイルは何と表現したらいいのだろうか。「ハタラキアリスタイル」か。

 男性の衣服を商っている卒業生に話すと「まだ景気が悪いのでしょうね」と言った。景気が悪い時代には暗い色が好まれる(?)のだそうだ。景気が悪いならなおさら明るい色調の服を着ればいいのにと思うのだが、やはり日本社会特有の「右へならえ」と言うことになってしまうのだろうか。「それに黒は夏にはかえっていいそうですよ」とも彼は言った。太陽熱を吸収するのではないかと思うのだが、紫外線を通さないのだとか。本当なのだろうかと思う。出入りのクリーニング店の店主は「黒は痩せて見えるのです」と言った。細身に見えると言うことだろう。淡い色は膨張色と言うのだそうで、こちらの説明の方がなんとなく納得できた。しかし、それはともかくとして、いくら風薫る初夏と言っても、都会はヒートアイランド現象とかで午後はかなり暑い。その中のサラリーマン達の姿はいかにも暑苦しく、くたびれているようにも見えてしまう。

 最近はクールビズと言うことが言われて、夏にはノーネクタイ姿になることが推奨され、ネクタイ製造業界は打撃を受けているとも聞いているが、まだその季節ではないのだろう。テレビなどで見る政治家達のクールビズ姿は、どうも取ってつけたようで、爽やかで涼しげな感じは受けないが、一般の企業で、クールビズと言う特別なスタイルのものでなくても、消夏のための服装を社員にさせているところはあるのだろうか。取引先を訪問する時にはやはり正装が必要と言う考えや習慣がなくならない限り、夏でもスーツ姿(それも黒色の)はなかなかなくならないだろう。

 思えば、私は久しく上下揃いのスーツなどは浅い色のものでも着たことがない。定年退職するまではそのような服装もしたが、それでもブレザーを着ることが多かった。ネクタイはしていたが、退職して以来ここ10年ほどは、冠婚葬祭以外はノーネクタイだ。結び方も忘れたかなとも思う。結婚式や葬儀があると困るなと言う気持ちにさえなってもいる。10月には西安の李真の結婚式に出席することにしているが、中国の結婚式では服装はかなり自由のようだから、あまり気にすることはないだろう。いつの頃からかは知らないが、日本では黒の礼服に白のネクタイと言うのが結婚式の参列者のフォーマルな服装になっている。中国ではこれはとんでもない組み合わせで、葬式の参列のようになってしまう。ネクタイを白と黒を用意しておけば冠婚葬祭どちらにでも使えるから、黒の礼服と言うものは便利でもあるが、今は着なくて済むのならそうしたいと思っている。


                             


                                    

紫蘭(しらん)

2007-05-15 15:50:50 | 身辺雑記
 あちこちでシランを見かける。紫色の、いかにも蘭という形の花が美しい。



 シランは本州中部、四国、九州などの山地の少し湿気のある斜面に自生する多年草だが、ラン科の中では手軽に栽培できるので観賞用としてよく庭にも植えられている。白花のものもある。中国にも自生していて漢名は白及(baiji)。







地中には鱗茎があり、漢方ではこれを白及根または白薬と言って胃カタルや排膿に効果があると言う。

   飯沼慾斎「草木図説」(八坂書房)



「気をつけてね」

2007-05-13 19:49:01 | 身辺雑記
 東京の旅行会社に勤めている上海人の施路敏は優しい性格の娘だ。チャットしている時、「今から出かけます」と言って切ろうとすると、いつも「行ってらっしゃい。気をつけてね」と書いてくる。それを読むと何か孫娘に言われているようで、ほのぼのした気分になる。

 私が入っている中国の貧困農村地区の子ども達に教育援助をしている会の事務局へ行って、少し仕事を手伝って帰ろうとしたら、見送ってくれたCさんという事務局員の娘さんが「気をつけて帰ってくださいね」と言った。「気をつけると言うほどのことはないよ」と笑って言ったが、そのちょっとした心遣いが嬉しかった。彼女も優しい人で、中国の援助地域を訪問した時の子ども達に接する様子は、見ていて心温まるものだった。

 妻が死の床にあった時、私が夜家に帰ろうとして病室を出ようとすると、妻はいつも小さな声で「車に気をつけてね」と言った。病院を出て家に帰るまで車に気をつけなければならないような場所はないのだが、その心遣いが嬉しくて、暗い夜道をたどりながら何回もその言葉を思い返したものだった。千葉にいる義妹が何度か見舞いに来てくれたが、帰る時には妻は必ず「気をつけてね」と言葉をかけていた。後で妹は「あんなに苦しそうなのに、いつも気をつけてねと言うのはすごいと思った」と述懐していた。妻も若い頃から優しい性格だった。

 考えようによっては「気をつけて」と言う言葉はありふれたもので、それほどたいしたものではないのかも知れない。儀礼的に言う場合もあるだろう。しかしやはり気持ちの良い言葉だと思う。相手に対する心遣いがないと出ない言葉ではないか。人を思い遣る気持ちが近頃だんだん薄れてきているように思えるだけに、何気ないような「気をつけてね」は、時に心に沁みることがあるし、その人の心根がしのばれる。