中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

最近読んだ本

2007-10-31 09:07:00 | 身辺雑記
 テレビが見られなくなって、やがて3ヶ月近くになる。当分新しいテレビは買わないことにしたが、初めのうちは観たくなるのではないかと思っていた。しかし、案外テレビなし生活に慣れてしまって、特に観たいとも思わなくなった。テレビ欄でも見れば観たくなることもあるのかも知れないが、それも見ないから関心はなくなってしまった。もともと観ないのにテレビを点けっぱなしにすることはしなかったが、テレビを点けないと何となく家の中が静かになったようにも思う。

 テレビから遠ざかってしまったせいもあるのか、この2ヶ月間は比較的本をよく読むようになった。これまでも特に家で読書時間を作っていたわけでなく、外出先と寝る前のベッドで読むことが多かったのだが、テレビを観なくなると気分的に読書欲が高まったようにも思える。私は小説をあまり読まないから、この2ヶ月間にも一冊も読んでいない。そのほかのものは興味を惹かれるままにあれこれ手当たりしだい読んだが、なかなか良いものにも多く出会った。読んでいるうちにある興奮のようなものを覚える読後感の良い本に出会うと何か心地よい。いくつかを順不同で簡単に紹介してみよう。

①カート・ヴォネガット著 金原瑞人訳『国のない男』(NHK出版)
  著者は20世紀後半のアメリカを代表する作家と言うことだが、不勉強にして私はこれまで知らなかった。この本は今年の4月に84歳で死去した彼の遺作。彼は自分を「人間主義者」と称している。徹底した無神論者でもあったようだ。彼は強烈に現代のアメリカ、とりわけ支配者達を批判し、現代文明を批判する。しかしその批判はどぎついものでなく、知的なユーモアが溢れていて、思わず笑わせられながら同感してしまった。「ナパーム弾を開発したのはハーヴァードだ。ウソじゃない! うちの大統領はクリスチャンだって? アドルフ・ヒトラーもそうだった。 いまの若い人たちが気の毒で、かける言葉もない。精神的におかしな連中、つまり良心もなく、恥も情けも知らない連中が、政府や企業の金庫にあったかねをすべて盗んで、自分たちのものにしている、それがいまの世の中だ」

②丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社)
 朝日新聞に連載された随筆集。「思いがけない清新なものの見方 いちいち納得のいく論旨の展開 言葉と思考の芸の離れ業による現代日本文明への鋭い批評」(同書の帯より)。 多方面にわたって気負うことなく淡々と、それでいて鋭い批評眼を感じさせる筆致が快い。論旨の展開は厳密で緻密だ。前首相に関して、「実は今度、新著『美しい国へ』(文芸新書)を読んで、小首をかしげたくなった。本の書き方が不器用なのは咎めないとしても、事柄が頭にすっきりはいらないのは困る。挿話をたくさん入れて筋を運ぶ手法はいいけれど、話の端々にいろいろ気がかりなことが多くて、論旨がきれいに展開しない。議論が常に失速する」と書いている。心しなければならないと自戒した。なお、丸谷氏は旧仮名遣いを使うので、懐かしく読んだ。

③林えり子『生きている江戸ことば』(集英社新書)
 江戸川柳から江戸ことばを取り出して解説している。江戸ことばの中のかなりのものは東京ことばにも引き継がれ、今も生きて使われている。近年では東京以外にも広がっているようだから、これはと思い当たるものもかなりある。たとえば「女房のうざうざぬかす土用干」の「うざうざ」は東京ことばの「うじゃうじゃ」となり、小さい声でくどくど言うことや、小さいものが群れ集まっている様子を言う。最近の若者ことばに「うざい」(鬱陶しい、面倒だ)というのがあるが、これも調べてみると、「うざうざ」に由来する「うざっこい」という江戸ことばが東京の多摩地区の方言となった「うざったい」が使われて広がったようだ。著者は江戸ことばの名残りのある環境で育った作家。近頃使われることばの貧困さや、よい年をした大人のぎすぎすした振る舞いを嘆き、ことば豊かに自分達の生活を詠った江戸っ子のゆとりを汲み取ってほしいという願いがあるようだ。

④半藤一利『昭和史』(平凡社)
 著者は『週間文春』や『文藝春秋』の編集長を経た作家で、保守派論客だが護憲派として知られる。妻女は夏目漱石の孫。若い女性の編集者に説得されて、4人の「聴講生」を相手に講じた「寺子屋」の記録である。そのせいもあって時には講談調で軽妙、飽かせない。約500ページあるが実に面白く、3日で読み終わった。著者の歴史を見通す目は極めて鋭い。「むすびの章」で昭和史の教訓として次のようにまとめている。第1に、国民的熱狂を作ってはいけない。第2に、危機におよんで日本人は抽象的な観念論を好み、具体的、理性的な方法論を検討しない。第3に、日本型タコツボ社会における小集団主義の弊害。第4に、問題が起こったときに対症療法的で、すぐに成果を求める短兵急な発想をする。第5に、国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握しない。このような昭和史が残した教訓を学び、今の日本のあり方を考えることの重要さを説いていることは傾聴すべきだろう。




子どもの頃の歌

2007-10-30 09:46:52 | 身辺雑記
 幼い頃から耳に親しんできた歌、曲は心の底深く沈んでいて、時折思いがけない時に口を突いて出てくることがある。

 私の子どもの頃の歌と言えば童謡とか小学唱歌のようなものだが、今思うと古さを感じさせるものばかりだった。特に文部省唱歌は、歌詞が古めかしい文語調のものもあれば、漢語交じりのものもあった。それでも何となく分かったように歌っていたのは、文語文や漢語が今よりもずっと身近にあった時代のせいだろうか。

 童謡は今風に言えば子どもの歌になるが、童謡と子どもの歌は詞やメロディー、リズムなどがずいぶん違っているように思う。。童謡は概して歌詞は簡単で、メロディーは単調なものが多く、リズムは変化が乏しかったようだ。もっともこれは、音楽に関しては非常に乏しい知識しか持ち合わせていない私の印象だから外れているかもしれない。息子達が幼い頃の子どもの歌をテレビなどで聞くと、例えば息子達が気に入っていた「おもちゃのチャチャチャ」などは私の子どもの頃に口ずさんでいた童謡とはまったく異質のものだと思った。

 難しい詞のものを鵜呑みにして覚えたせいか、意味を取り違えたり、いつまでたっても分からないままのものもあった。いくつか挙げてみよう。

 「浦島太郎」はとても人気があって、しょっちゅうラジオから流れていたように思うし、私も歌詞は全部覚えていた。今でも所々歯が抜けたようにはなっているが、何とか口ずさむことができる。その終わり近くに「かえってみれば こはいかに、もといたいえもむらもなく」という一節があった。この「こはいかに」(これはどうしたことか)は「恐い蟹」と勘違いしていた。なぜ帰ってみれば怖い蟹がいるのか、そのあたりは疑問に思わずに歌っていた。

 「赤とんぼ」もよく歌ったが、その2番の「15でねえやは嫁にいき」は今とは違ってさして不思議にも思わなかった。しかし1番の「夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれて見たのはいつの日か」の「おわれて」は「追われて」のように思い、文法的にはまったくおかしいのに、赤とんぼを追っているようにイメージしていた。今でも赤とんぼを見ると「追われて」のような感じで口ずさんでしまう。

 小学校も中学年の頃だったか、「箱根の山」という歌を習った。歌詞の1番は「箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず」、2番は「箱根の山は天下の阻 蜀の桟道数ならず」といささか夜郎自大的なところはあるが、なかなか勇壮な曲のものだったから好きで、2番しかなかったし繰り返しもあったから全部覚えた。しかし1番と2番の出だしで分かるように文語調で、漢語も多く使われていた。だから「一夫関に当たるや万夫も開くなし」など本当にはっきりと意味が分かっていたのか怪しいもので、特に繰り返しの中にある「羊腸の小径は苔滑らか」は分からなかった。しかも正しい歌い方ではなかったのだろうが「ようちょの」というように覚えたものだからなおさらだった。「羊腸」が曲がりくねった険しい山道を言うことは後になって知った。

 中国の子ども達も歌う「故郷(ふるさと)」の2番の「いかにおわす父母 つつがなきや友垣」も古めかしい表現だが、これも愛唱した。友垣は友達のことだと最初に教えられたのか理解はしていたが、普通の会話で「友垣」などは使わないから、うっかりすると「つつがなきや友達」と言ってしまいそうだった。

 これは童謡でも唱歌でもない「君が代」のことだが、今でこそ「君が代は」の「君」はあなたのことだとか、日本人皆のことだとか「解釈」されてはいるが、昔は厳然として疑う余地もなく「天皇」を意味していた。だから「君が代」は「天皇陛下の御世」であることは疑う者などはいなかった。この歌詞は今の小中学生にとって、さらには高校生にとってさえも意味を理解できにくいものらしい。当時でも「さざれ石の巌となりて」は難解だった。もちろん「さざれ石」は小さい石のことだとか「さざれ石の巌となりて」はどういうことを意味しているのかは教えられていた。しかし歌うと分かるのだが、メロディーが「さざれ」と「石の」の間で切れて息を継がなければならない。だから「千代に八千代にさざれ」となってわけが分からなくなってしまった。だいたい「きいみいがあようわ」と始まるのも、最後に「こおけえの むうすうまああで」と終わるのも間延びした感じでスマートではない。荘重さが理解できない奴、非国民との誹りを受けそうだが曲としては好きではない。

 あれこれ思い出してみたが、この歳になるとやはり昔の歌は懐かしい。懐かしいと言うのはただ歌そのものだけでなく、その歌の背景や雰囲気が感じられるからだ。例えば「あの町この町日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道かえりゃんせ かえりゃんせ」などは、幼い頃の夕暮れの街の雰囲気、時には空気の香りまでを感じてしまう。

 このような昔の童謡や唱歌には今も歌われるものもあるが、子ども達によって歌い継がれていくというほどのことはない。だから今の子ども達が中高年者になる頃には遠い忘却の彼方に消えてしまっているだろう。ではその頃には今の子どもの歌のどれくらいが、懐かしさを感じながら思い出され、口ずさまれるのだろうか。次々にめぐるましく変わりながら、しかも視覚や動作を伴って子ども達に与えられているたくさんの歌のどれくらいが「あの頃」を思い出させるものになるのだろう。

   http://classic-midi.com/midi_player/uta/uta_sosyun.htm

   http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/

結婚式の招待状

2007-10-26 07:36:26 | 中国のこと
 西安の李真から結婚式の招待状が届いた。中国ではめでたい色とされる紅色のきれいなものだ。

 紅色の封筒の中の招待状のカバー。やはり鮮やかな紅色で、型押しされた鳳凰と牡丹の図柄と金文字。中国服のようなデザインだ。

 
 牡丹は富貴の象徴で、鳳凰は仁愛と慈悲を象徴する瑞鳥。囍は喜を並べた文字でめでたい意味があるらしく中国ではよく見かける。囍宴は結婚披露宴を意味するのだろう。

 この中に二つ折りの招待状がある。李真の両親からのものである。


 父親は李延年(リ・イェンニエン)、母親は孫聡敏(スェン・ツォンミン)。父親は今年定年退職した書画家だから達筆だ。結婚式は10月28日の11時から城堡酒店で開かれる。西安のANAホテルのレストランということだ。

 結婚式と言っても中国では日本や欧米のような神前や教会での儀式はない。日本の披露宴に当たる。結婚そのものは役所に届けを出せば成立する。李真の夫は陳偉(チェン・ウエイ)と言って、2人は届けを出した後でもう一緒に住んでいる。最近の中国ではよくあることらしい。しかし、やはり披露宴は重視されていて、よほどの事情がない限り、かなり後になってからでも必ず開く。李真達の結婚式には260人を招待するようだ。ずいぶん多いなと言ったら普通だそうで、友人の結婚式では招待客が800人というのがあったらしい。なかなか大変なことだ。

 ずっと以前から、李真には結婚式には出席したいと言ってあった。この2、3年は何人かの男性と付き合ったのだが、なかなかうまくいかず、時にはひどく落ち込むこともあって、そのつど李真から話を聞かされて(と言ってもチャットでだが)、やきもきさせられていた。だいぶ悲しい思いもしたようで、ある時はどうにも落ち込んでいるようなので、チャットで「今夜電話しようか」と言ったが、「しないで。きっと泣き出すから」と言うので止めたことがあった。今年の初め頃にはかなり悲観的になっていた。

 それが急に親戚から陳君を紹介されて、付き合い始めると2人の気が合って、とんとん拍子に話が進んだようだ。陳君は李真より3歳年下で児童画を描いている。穏やかで笑顔を絶やさない好青年だ。家事もよくしてくれると李真は言っている。彼が描く絵は彼の性格が出ているようでとても可愛い。



 中国では3歳年上の妻は金の煉瓦と言って良いとされているようだから、きっと2人は幸せに暮らしていくだろう。

 このようなことがあったから、こうして招待状を受け取ると、李真と知り合って7年でとうとうこの日が来たかと改めて感慨深いものがある。結婚式では挨拶をしてねと李真に頼まれた。大勢の中国人の前ではいささか緊張するが、李真と陳君のためならと喜んで引き受けた。その原稿もできた。もうすぐ李真の花嫁姿が見られる。


            


          

食品偽装

2007-10-25 09:05:16 | 身辺雑記
 またまた、食品の偽装のニュースである。

 秋田県の比内地鶏と言うと名古屋コーチンや薩摩地鶏と並んで、日本三大地鶏と言われている有名銘柄だそうだ。私は食べたことはないが、歯ごたえはあるが加熱しても固くなり過ぎず、脂の旨みで肉の味が濃くて人気があり、普通焼き鳥で使われているブロイラーなどに比べるとかなり価格は高いのだそうだ。この比内地鶏の加工会社が、年を取って卵を産む効率が下がった雌の鶏を安く仕入れて、その肉を比内地鶏と偽装していたという、かなり悪質な行為が明るみに出た。もう20年以上も前から偽装を続けていたと言うから、これはもう確信犯みたいなものだ。

 鶏と言えば、つい最近やはり三大地鶏の1つである名古屋コーチンの偽装もあった。名古屋コーチンとして売られている生肉や加工品の約2割に名古屋コーチン以外の肉が含まれていることがDNA検査の結果分かったと言う。実際にはもっと多くの偽装コーチンが出回っているようだ。実際鶏肉などは偽装されたら素人にはちょっと判別はできにくいだろう。そこへブランド信仰もあるから、それに付け込んで悪徳商法がまかり通ることになる。

 農水産物にも他と差別化するために規格を設けてブランド化した京野菜などがある。ブランドまではいかなくても、産地名を冠した守口大根、桜島大根などはその特色ある形から、贋物が紛れ込む余地はまずないだろう。米の品種として人気のあるコシヒカリは、今では米国の米作農家でも栽培しようかと言うほどに美味いものとされている。中でも新潟県魚沼産のコシヒカリはトップブランドとされて高価格であるが、市場に出回っている量は産出量よりもはるかに多いと言われる。実際偽装もニュースになったことがある。

 水産物でもブランド品があり、例えば大分市の佐賀関で水揚げされる関鯖、関鯵などはそれが漁獲される海域の特徴の影響で美味であるために高級ブランド化することに成功したが、やはり贋物が出回ったことがあるようだ。外国産の鯖ならば体の斑紋が違うからすぐに識別されるが、国内産であればなかなか識別は難しいだろう。畜産物でも松坂牛とか神戸牛などが高級ブランド品だが、私のように高級牛肉には縁のない者は、もし偽装されたものが出たとしても、ありがたがって食して「やはり美味い」などと言うのだろう。

 鶏に限らず、今年は食品の偽装が多かった。大きな話題になった牛肉と偽って豚肉を使った偽装「牛ミンチ」事件があったが、あれもかなり確信犯的な行為だった。3か月ほど前には北海道みやげとして観光客に人気があったと言われる札幌の「白い恋人」というチョコレート菓子の賞味期限を、製菓会社が改竄して販売したことが大きなニュースとなった。最近では伊勢の名物として非常に有名な「赤福餅」の偽装事件もあったが、冷凍保存したものを当日製として売ったり、売れ残りを餅と餡に分け再製造したりするなどこの企業も30年ほど前からやっていたようでかなり意図的だ。単品の土産物品の売り挙げ高としては、「赤福餅」が全国1位、「白い恋人」が2位と言うから、期せずして東西紅白偽装合戦のようなことになってしまった。

 なぜこのように食品界では性懲りもなく偽装事件が起こるのだろう。私にはよく分からないが、1つには需要が非常に高まると、生産設備をフル稼働して製品を作るからどうしてもだぶついて売れ残りが多くなり、それを廃棄することを惜しむからではないか。また鶏肉の偽装のようにブランド嗜好の傾向の高まりに付け込んで儲けようとすることもあるだろう。あるいは牛肉偽装ミンチのように、ブランドではなくてもよく売れるようになると、低コストでいっそう利益を上げようと考えてしまうのだろう。最近話題になっている中国産の有害物質汚染食品のように人体に影響の恐れがあるようなものではないだけに、根底にある少しでも儲けようとする欲望、それは商売人としては至極当然なことではあっても、それをコントロールし限界を超えないようにする意識が乏しい限り、この種の行為はなくならないだろう。

ある議員の引退

2007-10-24 08:42:57 | 身辺雑記
 少し前に、政権党のある衆議院議員が記者会見して、「普通の生活に戻りたいという気持ちが高まった。こういう状況で、激しい選挙戦を戦い抜くのは困難と思った」と話して、次期の衆議院議員選挙には出ない意思を表明したと言う記事を読んだ。

 年齢は52歳でまだ若い。県会議員だった父親の跡を継いで27歳で県会議員となり、その後国会議員に転身したという保守系議員によく見られる経歴だが、父親が亡くなった時と同じ年齢になったことに触れて、「同じ年齢になり、これからどのように生きていこうかと考えた」として、自分のおとなしくて受身という性格が政治家として不向きではないかと考えたという。

 これまで4期勤めたと言うことだし、政治家としては若手だから、考え抜いた末の決断だろうからその引き際は潔いとも思うけれども、「おとなしくて受身」という性格が政治家には向かないものなのだろうか。それでもそのように感じる雰囲気が政治の世界に、政権政党内にあったのだろう。実際、政治家とりわけ古いタイプの政治家のイメージは、押し出しがあってあくが強く、人を人とも思わないような、態度が大きい人物像を思い浮かべてしまうし、テレビや新聞などで見る言動も、どうも我々庶民の感覚から離れているように思われることがよくある。

 私はかつて何人かの県会議員に会ったり、見たりしたことがあるが、なぜこれほどまでに傲岸な態度がとれるのかと不思議にさえ思ったことが何度かある。そのような議員はとかく言葉遣いが横柄で品位が乏しい。市会議員クラスになると小物が精一杯ふんぞり返っているようなのもいたし、下品極まりないのもいた。それが互いに「先生」と呼び合い、人にもそう呼ばせているのはまことに見苦しく、滑稽でさえもあった。そのような県会議員などが国会議員になれば、どういう態度になるかはだいたい見当がつく。まして何期も勤めたら何様というような政治家ならぬ政治屋になることもあるだろう。「選良」などという言葉はもはや死語かと思うこともある。もちろん私自身の見聞は狭いから、議員全てがそうではないことは当然だろうし、実際、常識のある礼儀正しい、謙虚な言動、振る舞いの議員はいた。しかし残念ながらそれほど多くはなかったように思う。

 2世、3世の議員が必ずしもいけないとは言わないが、最近の国会議員には少し多過ぎるのではないか。何か「家業」になっているような気がする。まして毛並みが良いとやらで、生れた時から国会議事堂の赤絨毯の上を歩くことが期待されるようなことは疑問に思う。昔は「井戸塀」と言って、政治の世界に入ると私財を抛って、井戸と塀しか残らないなどと言われたものだが、今は何か儲かるような職業になっているのではないかと思うことがある。英国では国会議員になろうと志すと、地を這い回るようにして有権者の支持を集める活動を地道に続けなければならないと聞いたことがある。ほとんど政治の世界とは無縁で過ごし、たまたま候補者募集に応じて採用され、時の運で当選した何とかチルドレンの若者とか、家柄と親の遺した地盤で国会議員となり、党内でさしたる要職にも就いた経歴もないのに、宰相になるなどは考えられないことだろう。

 今回引退を表明した議員は、海千山千の政治家達の世界からの落ちこぼれとして、冷ややかな目で見るような同僚議員もいるかも知れない。あまりおとなし過ぎても、受身が過ぎて積極性に乏しくても国政を任せるには頼りない気がするけれども、少なくともさまざまなタイプの普通の人間が、それぞれの持ち味を出せる政治の世界であってほしいと思うのだが、これは「魑魅魍魎が跋扈する世界」とも言われる政界の現実を知らない者の、能天気なたわ言なのだろう。


蟻の営み

2007-10-23 08:25:33 | 身辺雑記
 秋もしだいに深まってきた。今年の長い暑さで虫達が動く期間も長かったのだろうが、さすがにもう姿を消したようだ。我が家では時々姿を現した気に食わないゴキブリも、どうやら動きが鈍くなったのか見なくなった。 

 5月の末の事だったが、近くにある集合住宅の前の舗道に何やら月面のクレーターのようなものがいくつかあった。どれも舗道に敷き詰めた煉瓦と煉瓦の間にある。


近寄ってみると蟻の巣穴が開いたものだった。





 この住宅が建てられたのは数年前だが、建てられた後で舗道の下に蟻が巣を造ったのか。そうだとすると舗道の外側の土のところから潜り込むようにして作った巣がしだいに舗道の下に広がったのかのだろうか。それとも巣があった上に舗道の煉瓦が敷き詰められたのか。よく分からない。いずれにしても舗道の下にある巣から煉瓦の継ぎ目に穴を穿って外に出てきたわけだ。ずいぶん広い範囲に巣は広がっているようだ。

 煉瓦はコンクリートか何かで接着してあるから、舗道が造られた当初からしばらくはここに下からも上からも穴を開けることはちょっと無理だろう。おそらく雨水で接着部分が風化して小さい穴が開き、そこから外に出てきたのではないだろうか。


 蟻という小さい虫はなかなかの土木工事をするものだと感心した。それに舗道の下にあれば、雨などの災害から巣を守るのに都合がよいのかも知れない。この下の世界はどうなっているのだろうと覗いてみたいような気にもなった。

 草の芽が出ている。蟻が持ち込んだものが発芽したのか。たまたまどこかからこぼれたものか。


 靴に踏まれても影響はなかったようだ。下から掘り出され穴の周囲に積まれている砂は押さえつけられただけで、巣穴を塞がなかった。蟻が持ち込もうとしたのか、小さな昆虫か植物の種子のようなものが見える。


 あれから半年たった。このような情景はもう見られない。長い暑い夏の間にせっせと働き続けて蟻達はもう冬籠りに入ったのだろう。蟻達が長い冬を過ごす土の中の暗黒の世界はどのようなものなのだろうか。

クロチビの再来

2007-10-22 19:50:51 | 身辺雑記
 人が来たので外に出て応対し、終わってから家の前の道の向こうを見ると、小さな痩せた黒猫が歩いて来るのが見えた。最近どこかで生れたらしい。

 頼りなげな様子なので近寄って声をかけると、少し警戒をしている様子だったが逃げる気配はない。一緒に外に出ていた我が家のミーシャがそばに来た。「いじめるんじゃないよ」と声をかけたが、そんなことは分かるはずもないミーシャは近寄っていった。普段はこのあたりは彼女の縄張りで、ほかの猫が来ると威嚇し、時には喧嘩にもなるが、相手が小さいせいか脅かすようでもなく、かなり興味がある様子だった。しかし子猫の方は大きな体のものが近寄ってきたので怖かったのだろう、後ずさりした。だいぶ痩せていたので、家からミーシャの餌をひとつまみ取ってきて与えると、すぐに飛びついてカリカリと音を立てて食べてしまった。だいぶ腹を空かせているようなのでもっとやりたかったが、馴れてしまってこのあたりに住みつかれてはご近所迷惑なので心を鬼にしてやらないことにした。



道の向こうにいる子猫を気にするミーシャ。



  街に出る途中に地蔵の小さな祠があり、そこにはよく猫がたむろしていて、一時は10数匹もいたことがあったが、最近では2匹くらいしか見かけない。以前ここに黒い子猫がいて勝手にクロチビと名づけ、通りがかりにその可愛い仕草を見るのが楽しみだったが、急にいなくなった。このことは今年の1月3日のブログに「クロチビ」という題で書いた。どこから来たのか、今度来た子猫はそのクロチビにそっくりで、何かしら愛おしい気持ちになった。あのクロチビも可愛かったので、地蔵堂から姿を消したのはどこかに引き取られて飼われたのかもしれない、そうするとひょっとするとこの子猫はクロチビの子か孫かも知れないなどと現実味の薄いことを考えた。

クロチビ



ことばあれこれ(2)

2007-10-21 09:54:05 | 身辺雑記
語尾上げ
 逆に最近はほとんど聞かれなくなったのでほっとしているのが「語尾上げ」だ。これは話すときに、まるで質問しているように語尾を上げる話し方で、それもまだ完結していないのに、途中途中で言葉を切りながら上げる。半疑問、半クエスチョンとも言うそうだ。ちょっと私には例を作りにくいので、見たものを紹介すると、「セロハンテープできゅっとこう引っ張ったような?そういうツッパリ感?だったんですけど、○○(化粧品名)使ってから?もうそれが全然?しっとりって感じで」というものである。語尾上げに慣れない者はこういう話し方をされたら、いちいち頷いてしまうだろう。

 もういつ頃のことになるのか、10年にはなるかも知れない。初めて耳にしたのは、あるファッションモデルのインタビューの一部をテレビで見た時で、ほとんど一句ごとにと思われるくらいに語尾上げが乱発される話し方を聞いて、非常に落ち着かない感じになった。思わず「何だ。これは」と言ってしまったが、非常に有名だというそのモデルが、なんだか知性の乏しいオバカ娘に見えた。

 初めのうちは若者言葉かと思っていたが、どんどん上の年齢層にまで広がっていき、ある時は高名な女性作家だったと思うが、テレビの中で語尾を上げて話しているのを聞いてゲッソリしたことがある。落ち着いたセットの中で立派な内容の話をゆっくりした口調で話していたが、語尾上げことばのために興を醒まされてしまった。話し方というものは伝染病のように感染していくものだろうかと思ったものだが、幸い私は特に予防接種したわけではないが、感染することはなかった。

 そのうちにあまりにも語尾上げが猩獗を極めてきたためか批判も高まって、ある通販の雑誌ではその撲滅を唱えて特集を掲載したのを読んだことがある。私のように語尾上げに違和感を覚える者はなくすことに賛成するのは当然だが、やはり理解する声もあったようだ。語尾上げの深層心理まで論ずるようなものもあったようだが、私にはそんなことはどうでもよかった。ただこの種の社会現象と言えるものは「撲滅運動」などではちょっとやそっとで収まるものではないだろうし、行き過ぎて言葉狩りのようになっては好ましくない。

 幸いにもこの現象は、猛威を振るった伝染病もやがては消滅してしまうように、いつの間にか沈静化したようだ。最近ではメジャーリーグの試合解説者が語尾上げしているのを聞いたが、久しぶりのことで彼が化石のように思われた。


タメ口
 最近話題になったのは、Kというボクシング一家の傍若無人な振る舞いだ。あるテレビ局が煽って人気が出たようだが、指導者の父親をはじめ3人兄弟揃って言葉遣いが悪く、なんとも粗暴な印象で品が悪い。長男はこれまでテレビのインタビューやCMで見たが、丁寧語は一切使わないタメ口ばかりである。それを大阪弁でやるものだから、大阪人の評判を悪くすると嘆く声もあった。次男はまだ18歳だが、先日の世界選手権の試合でレスリングまがいの反則を連発して敗れ、1年間の出場禁止処分を受けた。その滅茶苦茶な試合ぶりもさることながら、試合前の記者会見の場での口の聞き方がひどいものだった。インタネットでその内容を見たが、兄と同じく終始タメ口だったばかりか、対戦相手の自分よりもはるかに年長のチャンピオンに対して、名前を呼び捨てにしたり「お前」と呼んで挑発する有様だった。そばにいた父親や兄は制止するどころか、一緒になってチャンピオンを侮辱するような発言をしていて、その粗暴さに呆れ返ってしまった。パフォーマンスにしてもひどすぎる。

 タメ口の「タメ」は同い年をあらわす方言だと言うから、タメ口は同い年同士や仲間内で話すときの話し方で、それ自体問題はない。しかし近頃の若者は目上の者に対してもタメ口を使うとよく批判されるし、実際に会社の上司などが持て余すこともあるらしい。K兄弟などはその最も悪しき例だろう。おそらく家庭教育、特に父親の躾がなっていなかったのだろうし、それを批判したり咎めたりせずに、持ち上げるばかりだった某テレビ局をはじめとするマスコミもよくない。前途のある若者をただの粗暴で下卑た野生児にしてしまうだけで、この兄弟たちの行き着く先が見えるようで哀れにさえ思える。 

 かつて私が担当した高校の文化クラブのある男子生徒は当時としては珍しく、まったく敬語や丁寧語が使えず、「先生、何してんの」というような調子だった。当時はタメ口というような言葉はなかったが、まさにタメ口の連続だったので、これではいけないと思って直してやることにした。それで対面して話す時には、彼が言う一語一語タメ口的なところを「何してんの」、「何をしてるのですか」というように直しては復唱させた。ある時などあまりにも直す部分が連続して、彼自身が笑い出したほどだった。私は高校生に対してここまでしなくてはならないのかと溜息をつく思いもしたが、そうこうするうちに敬語や丁寧語も交えて普通に話せるようになった。高校を卒業し、大学を出て就職したが、後日彼があの時直してもらって良かったと述懐していたということを聞いた。言葉遣いは正常な社会生活を営む基本だと思う。


ことばあれこれ

2007-10-20 08:49:02 | 身辺雑記
気になったことば
 珈琲を飲んで休んだ喫茶店から出ると、入り口近くでワイシャツにネクタイ姿の若い会社員風の男性が携帯電話で話していた。小柄で少し肥満体、丸い顔は人が良さそうで、私が前を通りかかった時に「忘れました。忘れました」と言い、一息入れてから「ちゃっかり忘れました」と言った。明るい笑顔で元気な声だった。その後は何を言ったのか、離れてしまったから分からなかったが、どうもその「ちゃっかり忘れました」に引っかかった。

 「ちゃっかり」は「あいつはちゃっかりしてるなあ」とか、「人の手柄をちゃっかり横取りする」などと使う。広辞苑を見ると、「行動に抜け目がなく、はた目にはずうずうしく映るさま」とある。だから「ちゃっかり忘れる」の意味はこじ付けられないことはないが、どうも使い方としてはおかしい。この青年は「しっかり忘れました」と言うつもりだったのか、それでも「しっかり覚える」はいいが「しっかり忘れる」とは言わないだろう。それとも「すっかり忘れました」と言いたかったのを間違えたのか。それなら解るが、あるいは例によって、今時の若い人達の言い方なのだろうか。どうもよく解らないなとしばらくは歩きながら考えた。それだけのことである。


「そうなんだ」
  もうすっかり定着してしまっているが、例えば「きのう彼が来たよ」と言われると「そうなんだ」と答えるような言い方はいつ頃からのものなのか。いつだったか朝のドラマを見ていると、主人公の若い女性が友人を訪ねる場面があった。出迎えた友人は顔を合わせると「来てくれたんだ」と言った。ドラマの時代設定はそれほど昔ではなかったが、それでも見た頃より10年前くらいの場面だったから、その時代にこのような言い方はあったかなと思った。最近では子ども向けの学習雑誌で「そうなんだ」という誌名のものがあった。
  
 上に挙げた例の「そうなんだ」も「来てくれたんだ」も、相手がいるのだから本来は「そう(なの)か」とか「来てくれたのね」と言うものだろう。「そうなんだ」や「来てくれたんだ」では、何だか自分に納得させている独り言のような感じだ。もちろん場面によってはそのような使い方もあろうが、少なくとも相手がいるのに、そのような言い方をすることは以前はなかったと思うのだが、私の思い違いだろうか。学習雑誌の誌名は「そうか、わかった」という意味で使ったのだろうし、奇を衒うような気がしないでもないが、それはそれで問題はないが、やはり「そうなんだ」というような言い方がしきりに使われるようになったことが背景にあるのではなかろうか。私はいまだに聞くと違和感を覚えるし、まったく使えない。年相応に保守的だ。


アケビ

2007-10-19 09:18:28 | 身辺雑記
 近所のSさんの奥さんは、いろいろな植物をこまめに育てて、折々の季節の花で目を楽しませてくれている。

 先日の朝、「アケビが開きましたよ」と知らせに来てくれた。いろいろな植物を育てている小さな庭に、家の壁にくっつくようにしてアケビの木があり、春に小さな花を着けたのを見て以来、時々覗いてきた。


 花。葉は5枚の小葉から成る複葉。
 4月27日

 花の後、子房が膨らんできた。 
 5月3日

 果実が大きくなったのは、これだけで、後は落ちてしまったようだ。
 6月28日

 だいぶ熟してきた様子。
 9月13日

 熟した果実が1個割れた。普通は紫色を帯びてきてから割れるが、日があまり当たらないので色づかなかったのだろう。Sさんは来年はもっと刈り込んで日が当たるようにしようと言った。
 10月14日

 果実はどれも大きく割れた。 
 10月18日

 Sさんは1個切り取って分けてくれた。思いがけないことで嬉しく、有難く頂戴した。

 果肉は白く美しい。触るとふわふわした手触りだ。


 果肉の中にはたくさんの種子がある。


 食べるとねっとりしているが淡白でとても甘い。いつの頃だったか、もう時も場所も覚えていないが食べたことがある。何十年ぶりのことだ。口の中には種子がたくさん残り吐き出さなければならないし、甘みも上品なもので香りもないから、今時の濃厚な甘みでよい香りのケーキなどに慣れている子どもや若い人たちは敬遠するだろう。

 アケビ(木通)はアケビ科の蔓性落葉低木で、熟した果実が縦に割れる「開け実」から転訛した名称。白色半透明で黒い小さな種子が多数ある果肉は柔らかく甘い。蔓で椅子や籠を作ったり、茎の木部を漢方薬として利尿・消炎剤として使うという。

 アケビにはおぼろげな想い出がある。私が小学生の頃東京の祖父の家に父母や弟妹達と住んでいたが、ある時祖父母に連れられて家族揃って、昔祖父の家にいた家事手伝いの女性(その頃は女中さんと言った)の家に行った。その家は大根で知られた練馬にあった。練馬は今は大都会の一部になっているが、当時はまったく鄙びた田園地帯だった。その女性の家では家族挙げて歓迎してくれたが、昔気質らしいその女性が祖父母を「旦那様」、「奥様」と呼び、話の中でその時には来ていなかった伯母を「道子お嬢様」と言ってから「ああ、お嬢様ではなかった」呟いたことを今もはっきりと思い出す。あれこれあったのだが他の事はあまり思い出せない。ただ、もうその頃にはそろそろ食料不足になっていたのか、昼食に出されたご飯がとても美味しかったことを覚えている。またその日帰る時だったか、枝葉つきのアケビの実を貰って祖父はとても喜んだことも覚えている。持ち帰ったアケビは祖父の居間の床の間に飾られて、おそらくなかなか風情があったのだろう、子ども心にも印象的だった。


 Sさんはアケビ以外にミツバアケビも育てているが、これはどれも結実しなかった。







小さい実



  もう50年近くも前のことになるが、修学旅行で生徒達と九州一周をしたことがある。今では高校生の修学旅行と言えば、私学の中には海外に出かける学校もあり、私が勤めた高校では飛行機を借り切って北海道にスキーに行くらしい。私が勤め始めた頃には、このあたりの高校の修学旅行は大方は九州で、国鉄の列車を借り切って旅行するという長閑なものだった。その旅行先の鹿児島だったか記憶は薄れているが、路上で老人がアケビらしいものを売っていた。近寄ると「これはムベだ。甘いぞ」と言ったのでアケビではないのか、こちらではアケビをムベと言うのかと思った。調べてみるとムベはやはりアケビ科の植物で蔓性だが、アケビと違って常緑で葉も5~7枚の掌状複葉、果実はやはり甘いが果皮は開裂しないようだ。