中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

撓撓と宸宸

2012-02-25 13:59:05 | 中国のこと

 あと一月足らずで、西安から李真と謝俊麗の家族が大阪に来る。昨年は中国には行かなかったし、その代わりに来るように言っていたから大いに楽しみにしている。初めは母親だけで来ると思ったが、子供の面倒を見切れないということで、それぞれの夫君も同行してくる。

 「主賓」は李真の息子の宸宸チェンチェンと、謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)だ。どちらも一昨年の秋に会ったきりだから、大きくなっているだろうと、これも楽しみだ、二人のことはこれまでにも書いたが、あらためて紹介する。

       撓撓  

                   

 撓撓は2008年9月生まれで、まだ4歳になっていないが、体は大きいようだ。名前は初めは劉自軒(リュウ・シーツアン)と言ったが、謝俊麗がどうも気に入らなかったようで、改名して東易(トンイィ)になっている。縁起のいい名前を考える商売があって、そこでつけてもらったようだ。「東から出る太陽のように元気で活発」、「易」には「生涯に良くないことがあっても対応できるように」という意味なのだそうだ。

 今は幼稚園に通っているが、一昨年会った時にはまだ幼く、「亮爺爺リャンイエイエ(亮じいちゃん)」と呼んで懐いてくれたが今回はどうなるか。

 

         宸宸

           

 宸宸は2009年の1月生まれで撓撓よりは4カ月遅い。最初の名前は陳佑寧チェン・ヨウニンと言ったが、これも撓撓と同じで改名して楷承(カイチェン)になっている。陳は「古い」、楷は「正しい」、承は「受け継ぐ」という意味で、姓と合わせて「古い正しいものを受け継ぐ」という意味になる。

 一昨年会った時にはすぐに懐いて私の頬にキスしてくれたり、いっしょに遊んだりした。この子も幼稚園に通っていて、もうだいぶ大きくなっただろう。李真は来る前に私の写真を見せて「亮爺爺」と教えると言っていtが、呼んでくれるだろうか。 

 私には孫が4人いるが、この春幼稚園に勤める娘を筆頭に一番小さいのが高校1年生だから、孫はいつまでも可愛いと言っても、小さい頃のような可愛さとは違う。だから、この西安の撓撓と宸宸は孫のようなもの、いや、それにしては幼いから曾孫のようなものだ。

 毎日街に出て帰る時や、寝る前などには二人のことをあれこれ考えて、つい顔をほころばせてしまう。まさに「ジジ馬鹿」だと思う。

 

 

 


小鳥

2012-02-23 21:11:59 | 身辺雑記

  前にも紹介しました、野外観察を定年退職後の楽しみにしている弟が撮った写真、今回は小鳥です。

 

 小鳥のように愛くるしいと言いますが、とりわけつぶらな目がかわいいですね。

 

 

ルリビタキ

 

 

ルリビタキ

 

 

アオジ

 

 

ウグイス

 

 

エナガ

 

 

ショウビタキ

 

 

ツグミ

 

 

ミヤマホオジロ

 

 

メジロ

 

 

メジロ

 

 


ツイッターで論争(2)

2012-02-23 10:31:09 | 身辺雑記

橋下氏は例によって精力的に自論を展開している。ツイッターの回数が非常に多く、例えば2月15日だけで34本もある。その精力旺盛なのに驚くほどだが、ツイーターとは言っても長い文をツイーターの基準の140語に合わせて切っているような感じで、前後を読まないと意味が分かりにくいところもある。

 

 自分や自分が率いる「維新の会」の政策や主張を述べることには、賛成であろうと反対であろうと何の問題もないが、それが自分への批判者への反論、批判になると一転して荒々しく、執拗になる。特に「文化系学者」は嫌いなようで、取り上げた人物にはそれこそ執拗に攻める(責める)。しかも政策を述べる時と違って言い方も乱暴で、読んでいて嫌気がさしてくる。例えば同志社大学教授の浜矩子氏に対しては「紫頭おばはん」などと侮蔑的な呼び方をした。私はこの教授のことはよく知らないのだが、テレビのコメンテイターをしていて、橋下氏の批判をし、それがどうやら橋下龍の逆鱗に触れたらしい。こんな調子だ。

 

 「昨年の暮れに、ABC放送の「キャスト」に出演したときに、浜とかいう大学教授のおばはんに、みんなのために働いてもらうために税金で橋下を養っているんだと言われたよ。あんたは何様なんだ?」

 「浜さん、あなたの紫色の髪の毛とその眉毛、そのために国民はあなたに税金を投入しているんじゃないんですよ!」

浜と言う紫頭おばはんに、橋下は自分だけが幸せを感じているんですよと言われてね、あーこの人は想像力の欠如も甚だしい、税金で養うことがバカらしいと思いました」

 

さすがに「紫頭おばはん」呼ばわりは、夫人に注意されたということで謝まって取り消したが、夫人に注意されるまでもなく、このようなことを言うのは不謹慎の極みだとはじめから気付いていなかったのか。鈍感さに呆れる。

 

 個人攻撃の執拗さはどうやら橋下氏の性格のようだ。「高校の同級生や橋下の高校生のころを最もよく知る先生によると、『(橋下は)体育の時間にバレーボールしてても失敗した子がいたら徹底的に罵倒した』」([Wikipedia「橋下徹」)ということだ。頭が良くて弁が立つから「愚か者」や「敵」とみなした者には我慢できないのだろう。個人だけでなく、週刊誌の『文春』に対する罵倒もすごい。この週刊誌は橋下氏が小沢一郎氏の悪口をある知人に言ったと報じて、それに激怒したようだが、

 

「バカ文春の記者よ。明日から囲み取材を毎日受けるからそこに来て質問して来い!だいたいな、バカ文春の記者は風ぼうからして怪しいんだよ。ストーカーのような風ぼうだぜ。そんなのが偉そうに講釈を並べるから日本が悪くなる。まずは身なりから正せ。俺は人の悪口は蔭では言わん」

 

人の悪口は蔭では言わんと言うのはいいが、この品位のない悪口雑言は異様だ。いやしくも大阪という大都市の首長である人物が市民などに発信するツイッターにふさわしいものではない。「つぶやき」と言うよりも「わめきちらし」だ。これに対して、そのようにはっきり物を言うのがいいとか、何物も恐れない態度が好ましい、さすがだ、などということがあれば、それは「贔屓の引き倒し」ということになるだろう。こういう言い方が大阪人には受けるというなら、どうしようもないが。

 

 

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先の話

2012-02-20 11:22:09 | 身辺雑記

 若い頃は、20年後はこうなっているだろう、30年後は、などと言われたりしても、自分はその頃にはまあ生きているだろうと思うから、そんなものかと思う程度だった。私の次男が小学生の頃、図工の宿題に「未来の宝塚」という課題が出された。あまり子どもの想像力をかき立てるような課題ではないように思ったが、果たして私の子どもも含めて大方が高架道路が縦横に交差するようなありきたりの絵を描いていた。それから40年以上がたったが、宝塚に限らず都市の風景は、もうずっと前からとっくにそのようになっている。若い時からこれまでに、そのような変化を見てきたが、これからはどうなるのかと言うと、もうこんな歳になるとあまり先のことには関心が向くことは少なくなった。

 

 2060年には日本の人口は現在の3割減の8674万人になるという推計が国立社会保障・人口問題研究所から公表された。出生率は減少を続け、2048年には総人口は1億人を割り込むようだ。2048年というと36年先のことだが、若い時なら、「へえ、そんなものか」と思う程度だろうが、今では36年先には百歳を超しているから、現実的なものとは思われない。ましてや2060年など50年も先のことだから、明日死んで即生まれ変わったとしても50歳になっているという遠い遠い先の話だ。その頃には今よりも高齢者が増え、超高齢社会になっているかもしれない。その時には年金制度などはどうなっているのだろうか。民主党の仙谷政策調査会長代行は「年金制度は、『超長期』の問題だ。移行期間に40年くらいかかる」と言っているからこれもどうなるかは分からない。

 

 しかし、先のことなどあれこれ考えても仕方がない。その時はその時にいる者が考えればいいという気持ちにはなれない。福島第一原発の廃炉には30年、40年という年月がかかるそうだ。福島の人たちにとっては将来の問題は即現在の問題なのだ。そう思うと先のことはその時に何とかするだろうなどとは言えるものではない。

 

これまで長い間生きてきた者は、すこしでも後の世代について考えを巡らせ、何か役に立つことがあればしなければならない。前に私のブログに、(教師の年金は多いということを勝手に前提にして)「次の世代に年金の半分を差し出すと言ったらどうだ」という、いささか乱暴なコメントが入ったことがあるが、そのようなことはできないが、将来の日本を担っていく世代に少しでも役立つことがあればと思う。「来年の桜は見られるだろうか」などというような消極的な気持ちにはなりたくない。

 

 

 

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ツイッターで論争

2012-02-19 10:21:46 | 身辺雑記

 大阪市の橋下徹市長が市民らへの情報伝達手段としてフルに活用している自らの政策についての説明や思いなどについて“つぶやいて”いるが、最近は特定の大学教授らへの批判をエスカレートさせている」という記事をインタネットで見た。

  ツイッターは140文字以内の「ツイート(tweet) と称される短文を投稿できる情報サービスである。witterは「さえずり・興奮」「無駄話」、または「なじる人・嘲る人」の意味[tweet は「鳥のさえずり」の意味で、日本では「つぶやき」と意訳され定着しているとのこと(Wikipedia)。かつて鳩山元首相が「私もやっています」と言って話題になったことがあるが、今では多くの政治家や有名人などがしているようだ。私は簡潔な文章を作るのが下手、不得手なのでツイッターはしたことがない。

 インタネットの記事によると「橋下市長の『標的』とされたのは、作家の内田樹神戸女学院大名誉教授、中島岳志北海道大准教授、精神科医の香山リカさんら。こうした学識経験者の批判に対して、『無責任な商売だ』などと挑発を繰り返している」とのことだ。

 

 名前の挙がっている人たちの中で香山リカさんの著書はこれまで何冊か読んでいるが、論旨が分かりやすく語り口が明解なので好きな人なのだが、どのような批判をして市長から反論されているかに興味を持って、両氏のツイッターを探してみた。橋下氏のものはすぐにみられたが、香山さんのものはダイヤモンド社の『書籍オンライン』というサイトでの連載記事『香山リカのほどほど論のススメ』というものだった。

 

http://diamond.jp/category/s-kayama2

 

読んでみたが、ここでは橋下氏をそれほど手厳しく批判しているわけではない。例えば、

 

 「橋下徹・大阪市長が、自らの方針を批判する学者や識者を攻撃している。学者や識者らが、時の為政者や体制に批判的な意見を言うのは、いつの時代においても重要であろう。それに対して感情的な批判をぶつける橋下市長には違和感を覚えずにはおれない」

 

 というごく穏やかなものだ。この『香山リカのほどほど論のススメ』の前にも連載記事があり、それで橋下氏を批判していたようだが、ブログ友のYさんのブログで大まかなことはわかった。

 

http://www.bing.com/news/search?q=%e9%a6%99%e5%b1%b1%e3%83%aa%e3%82%ab&qpvt=%e9%a6%99%e5%b1%b1%e3%83%aa%e3%82%ab&FORM=EWRE

 

 

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癌で死ぬか

2012-02-18 12:37:42 | 身辺雑記

 女優の淡島千景さんが16日に死去した。享年87歳。もうそんな年だったのかと少し驚いたが、死因が膵臓癌ということなので、そのような高齢でも癌で死ぬことがあるかとも思った。10日には時代劇で味のある演技を見せていた左右田一平さんが81歳で亡くなっている。S状結腸癌だった。

 

 行きつけの医院に薬をもらいに行ったときに、先生に、前にこのブログでも書いた卒業生のN君が膵臓内分泌腫瘍(癌)で55歳で死んだことを話したら、あのアップル社のスティーブ・ジョブスも同じ病気で56歳で死にましたねと先生は言った。どうも難しい病気のようだ

 

 若い人が癌で死ぬのは分かるけれど、淡島さんのように87歳でも癌で亡くなることはあるのですねと言ったら、癌で死ぬのは何歳でもありますよ。でも80代になると癌での死亡率はぐっと減ります。だからあなたはもうだいたい大丈夫ですよと慰めとも励ましともつかないようなことを言われた。 

 

 来年は80代に入るから、先生の言の通りだと、癌で死ぬ可能性は低くなるのだろうが、どうなるかは分からない。妻も癌で死んだが、幸いというか、痛みに苦しむことはなかった。せめて苦しい思いをしながら死にたくはない。ドラマのように親しい者たちに最後の別れを告げてガックリということになれば一番良いが、こればかりは希望どおりにいくことは難しいだろう。

 

 

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子どもを叱る。

2012-02-16 11:50:29 | 身辺雑記

 タレントのセント・カミュさんの意見が、朝刊の「リレーおぴにおん」という欄に載っていたが、その中で次のように言っていた。

 

 日本で気になることは、日本の親があんまり子どもをしからないこと。特に電車など公共の場で目にすることはほとんどない。

 西洋では、子どもがふざけているとバシッと叱ります。子どもってその場で言わないとすぐに忘れてしまう。その瞬間に言わないとダメなんです。なぜ、そうした行動をしたらいけないのか。きちんと理由を説明しつつ、子どもに話すことが大切だと考えて、実際にそうしてます。

 

 最近私は電車で出かけることはあまりないので、電車内で子どもが騒ぐのをあまり目にしないが、これまでには経験がある。確かに「バシッと」子どもを叱る親はあまり多くない。叱るにしても小声で「止めなさい」と言う程度で、子どもはなかなか親の言うことを聞かずに同じことを繰り返すから、見ていてイライラすることもあった。その反対に人目も憚らず大声で叱る母親もあったが、これはあまり感心したことではない。やはり、公共の場に限らず、普段から家庭でも親の言うことを聞くように躾けているかどうかが問題だろう。

 

 私の両親は大声を出して子どもを叱ることはなかったし、まして手を出したりすることは一度もなかった。それでも私などは口答えすることはあったが、そのたびに厳しく叱られた。特に母がおとなしく優しい人だったから、その母に反抗的であったりすると、それが後からであっても父には注意された。そのおとなしい母も生意気盛りの高校生の私が母に向かって反抗的に「あんた」と呼んだ時には、「あんたって何?お父さんでもそんなことを言われませんよ」と厳しい口調で叱り、私はすぐに謝った。

 

 両親からマナーなどについて口うるさく注意された記憶はない。人に対する口の聞き方や接し方などは、何となく親を見習っていった感じで、そんなに上品な家柄ではなかったが、基本的な躾は物心付いた時から我が家の雰囲気としてあったように思う。そのようなことは、私の家だけでなく、当時の大方の家ではどこでも普通のことではなかったのだろうか。

 

 しかし近頃はそのような昔は普通であったことも崩れていっているのではないか。特に物の言い方は子どもに限らず、いい年をした大人でもそんな口のきき方をするかと索然とした気持ちにさせられることがよくあり、人はその年齢にふさわしい話し方、人への接し方をするべきで、そのマナーがなっていないのは、これはおそらく育った家庭の問題ではないだろうか。

 

 

 

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桃色とピンク

2012-02-14 09:37:52 | 身辺雑記

 以前長男の嫁と話していたとき、何かの話題で私が「桃色」と言うと、彼女は笑い出して「桃色?」と問い返し「ピンクでしょう」と言った。そのときは私には桃色とピンクの違いが分からず、桃色はオジイ語のようにとられたのかと思ったが、それ以来何となく気になっていた 

 改めてインタネットで『和色大辞典(日本の伝統色465色の色名と16進数)』を見ると「桃色」は確かにあり、私が頭の中で描いていたような色だった。それでは「ピンク」はどうかと、GoogleWikipediaを見ると、「ピンク(英語: pink)は赤と白を混ぜて出来る色の一つ。しばしば明るい赤と表現されるが、(中略)濃淡によってさまざまなバリエーションが存在する」とあり、さらに「英語の pinkは、元来ナデシコの意であり、シェークスピアの時代にはまだ色名としての用法はなかったとされる。後に、ナデシコの花の色を指して pink、すなわち『なでしこ色』と呼ぶようになった」とある。また日本語の色との関係については、「日本語では英語を借りて『ピンク』『ピンク色』と呼ぶのが一般的だが、モモの花に見立てた『桃色』の名もある。ほかに『撫子色』(なでしこいろ)、『石竹色』(せきちくいろ)などナデシコに由来する和色名もあるが、これらが英語 pink の同義語として扱われてきた実績がとくにあるわけではない」とあり、もう一度『和色大辞典』を見ると日本の伝統色として「撫子色」も「石竹色」もある。そのようなことで嫁が言う「ピンク』も、私が言った「桃色」もまあまあ同じようなものだったことになる。他愛もないことも、これで一段落したが、多分私はこれからも習慣で「桃色」と口にするだろう。

 これを機会に『和色大辞典』を見直すと、日本の伝統色は実にさまざまある。世界でこれほど多くの色名がある国は他にはないのではないかと思うくらいだ。四季折々の自然豊かな日本だけあって、動植物に因む名が多いが、鼠色や茶色などの種類も多い。

http://www.colordic.org/w/

 江戸時代の幕府は、たびたび奢侈禁止令を出し、衣類については絹物を禁止する他にも、使用する色についても紅や紫などを禁じた。しかし、徐々に財力を蓄え、自信を持つようになり、反骨精神も旺盛になった町人達は、禁じられた色こそ使わなかったが、鼠や茶などにさまざまな微妙な変化を考案し、「四十八茶百鼠」(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)と称される多様な鼠色や茶色を生み出し、それらに風月山水や有名人の名(利休茶)、歌舞伎役者の名(団十郎茶、路考茶、梅幸茶など)をつけ、それを粋なもの、通なものとしてもてはやした。その反骨精神と創造力には感心するばかりだ。江戸時代の町人階級のありように思いを馳せながら『和色大辞典』にあるさまざまな色を見ていくのも楽しい。

 

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喫煙死

2012-02-12 09:42:28 | 身辺雑記

 喫煙が原因で癌などで亡くなった大人の日本人は2007年に約12万9千人、高血圧が原因で脳卒中で亡くなった人は約10万4千人と推定されることが、東京大や大阪大などの分析で分かったそうだ。

 

 毎月のように会っている高校時代のクラブの卒業生の中で、Hr君とHg君、Ko君はヘビースモーカーだ。とくにHr君とKo君は依存度が高いようで、Hr君はかなり濃厚に煙を吸っている。Hg君はまだそれほどでもないから止めたらどうかと言うのだが、本人にはまったくその気がないらしい。長年の習慣だから禁煙はできないのだろうが。他のKi君、Ka君、T君は喫煙習慣がないが、Ka君はかなり肥満していて血圧も高く、飲酒もよくするのが心配だ。T君はかなり小柄で非常に酒に強いが、特に健康には問題ないらしい。Ki君は医師だけあって、よく節制しているようだ。彼らも60代の半ばを過ぎているから、いろいろ健康には注意しなければならないだろうと、自分のことはさて置いて、やはり卒業生の健康は気になる。

 

 他人のことは言えないので、私は喫煙しないし、高血圧でもないから心配は少ないように思っても、発表された分析によると、危険因子の第3位は運動不足(死者5万2千人)ということだから、これは私にはぴったり当てはまる。運動不足で死亡するというのはどういうことなのだろうといささか気になるから、今度Ki君に尋ねてみよう。高血糖、肥満、飲酒、運動不足、高塩分摂取などの16の危険因子は原則として生活習慣の改善や服薬などで避けられるもののようだが、運動不足は運動する他はないのだろう。今の私にはそれが問題だ。

 

 世界保健機関の04年の世界の死亡者約5900万人の分析では、最多が高血圧で、その後に喫煙、高血糖、運動不足、肥満が続く。日本人は「塩分摂取が上位で、肥満が比較的下位なのが特徴」なのだそうだ。研究チームは「日本が長寿国の座を維持するには、まず強力で効果的な禁煙対策が必要。血圧測定の普及も大切」と結論付けている。

 

 2010年の成人の喫煙率は19.5%で、前年と比べ3.9ポイント低下し過去最低となる一方、禁煙したいと考えている喫煙者が過去最高の37.6%に上ったことが厚生労働省の国民健康・栄養調査で分かった。同省は「たばこ税の増税に伴う1010月の値上げを機に、たばこをやめた人ややめたいと思う人が増えたのではないか」としている。この結果を基に厚労省は、13年度からの次期健康づくり計画に「22年度までに喫煙率を12.2%以下にする」との目標値を明記する方針を固めたそうだ。

 

  喫煙は精神面はともかくとして、健康面では百害あって一利なしだ。これからも喫煙者は無くなることはないだろうが、少しでも減ることは受動喫煙に晒される非喫煙者には有り難いことだ。

 

 

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