中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

トン族ー3ー

2006-08-26 11:01:35 | 中国のこと
 黎平県肇興村の民宿、侗郷渉外旅館に宿泊した夜、誘われて近くの鼓楼の広場で開かれたトン族の若い男女達の民族歌舞を見に行った。私はこの時もガイドの馮彦と2人だけの旅だったが、ちょうど日本からの観光グループが来ていて、そのグループが契約したものだった。

  約1時間、民族衣装を着た若者達の歌や踊りを楽しんだ。男性達は黒い布をターバンのように頭に巻き、腰にはピンクのベルトをしている。女性達は頭にきれいな色に染めた鳥の羽を飾った冠を被り、銀の首飾りを着け、袖に色がついた上着を着ている。この男女達が並んで向かい合って交互に合唱する、日本の歌垣のような大歌と言う歌を歌ったり、女性が棹の長いウクレレのような小さな弦楽器を弾きながら踊ったり、男性が芦笙と言う長い笛を吹きながら踊ったりと、見ていてなかなか楽しかった。最後は観客も呼び込まれ手をつないで輪になって踊ったが、私の両側の若い女の子の掌は硬くざらつき、日ごろ労働している農民の手なのだろうと印象的だった。



 若者達が着ていた上着は黒っぽい紫色で光沢がある。翌朝宿で目が覚めると、外でトントンという音が聞こえたので出てみると、広場を隔てた一軒の店先で1人の婦人が畳んだ黒紫色の布を台に置いて砧を打っていた。このようにして光沢のある布に仕上げる。高校生の頃、夜の水田で水鶏(くいな)が砧を打つように鳴いていると言う情景を読んだことがあり、何かしら心を引かれたものだった。実際に砧を打つのを見たのは初めてだったが「ああ、これが砧か」とすぐに分かった。


トン族ー2ー

2006-08-26 01:07:00 | 中国のこと
  風雨橋は鼓楼と同様トン族の優れた伝統的建築技術の結晶であり、川に架かる橋の上に屋根付きの廊下(回廊)や楼閣を乗せた構造になっている。鼓楼と同じく釘はまったく使われておらず、設計図もないと言う。この風雨橋は川を渡るためのものであることはもちろんだが、回廊の両側にベンチが設けられていて若い男女が語らうロマンティックな場ともなっているそうである。



  写真の風雨橋は黎平県地坪(Deping)にあったもので、清代の光緒8年(1882)に建造された。全長は56メートル。この風雨橋は、調査した専門家によると、この地方や近隣の地方にある300余の風雨橋の中でも「配置構成の謹厳さ、工芸の精緻さから総合的に比較して第一位にあるもの」とされていたようだが、惜しいことに2005年の夏、この地方を襲った洪水のため流失した。流された建築材を集めて再建するという話を聞いたので、やがてはまたこの美しい姿が見られるようになるだろう。

 この他にも、中国最大とされる三江侗族自治県程陽(Chengyang)村の風雨橋も見たが、さすがに雄大ではあったが回廊の両側は、観光客目当ての地元の婦人達の土産物売り場となっていて、いささか興醒めだった。


トン族

2006-08-26 00:58:51 | 中国のこと
 トン(侗)族は人口約250万人の少数民族で、主に貴州省東南部の黔東南苗族侗族自治州に居住している。彼らは古い時代から高度な建築技術を伝承し、鼓楼や風雨橋などの優れた建築物の建築技術を今に伝えている。

  鼓楼はトン族の村の象徴的な宝塔形の建築物で、車で移動している時に望見する村落にひと際高くこの鼓楼が見えたら、それはトン族の村だと言うことがすぐに分かる。杉の木を建築材として1本の釘も使わずに組み立てられると言う。また設計図と言うものはなく、伝承と経験で建てると言うことである。何年か前に、ある村で新しい鼓楼を建てる様子をテレビで放映したことがあるが、この伝承と経験で建てるという実際がよく分かった。以来、鼓楼を一度見たいという気持が強かった。2004年5月に黔東南苗族侗族自治州などのいくつかのトン族の村を訪れ鼓楼を見ることができたが、目の当たりにしたそれは非常に美しく雄大で、私は建築についてはまったくの門外漢ではあるが、実に驚くべき建築物だと感嘆した。



 訪れた村々の中でも黎平(Liping)県肇興(Zhaoxing)村はかなり大きな村で、鼓楼が5つもあり、それぞれ仁、義、礼、智、信を表していると言うことだった。どれもほぼ似通っているが、細かいところでは違っていた。写真はそのうちの第1の仁の鼓楼である。鼓楼は多層の建築物のように見えるが、それは外見だけであって、内部は吹き抜けになっている。この村の鼓楼は最下層の底楼が開放された空間になっていてベンチが置いてあったが、同じ黎平県の腊水(Lashui)村や、広西壮族自治区の三江侗族自治県馬安寨(Maan zhai) のものは、底楼は壁で囲われてホールになっていた。鼓楼は事ある時は住民が集まって衆議する場所であり、また喜びごとや祝いごとの日の娯楽センターでもあると言う。