11月22日は、語呂合わせで「いい夫婦の日」なのだそうです。いつ頃こんな日ができたのは知りませんが妻が逝って10年、関心を持ったことはありませんでした。この日にちなんで、ある落語家が名誉会長を務める「いい夫婦の日を勧める会」と言うところが、インタネットを通じて既婚者の男女各200人にアンケートを実施したそうです。
それによると、今の夫婦円満度について、「とても円満」「まあ円満」と答えた人は77,8%%。子どもがいない人の方が「円満」と考える傾向が強かったようです。子どもたちが巣立っていって2人きりになると、熟年離婚とやらの危機ということもあるでしょうが、逆に円満さは深まることがあるのかも知れません。私の場合を振り返ってみると、特に円満さが増したと言うことはありませんでしたが、ある落ち着きのようなものが出てきたのは確かでした。
夫婦円満なのは結構なことですが、面白いのは生まれ変わっても同じパートナーを選ぶと答えた人は35.3%で、「考える」と答えた人は47.0%と約半数だったそうです。特に50代女性では、同じ相手を選ぶ人は20.0%、別の相手を選ぶ人は38.0%だったという結果で、女性も50代になると伴侶には厳しい目を向けるようになるのでしょうか。私に問われたら、やはり妻を選ぶと答えますね。妻のほかに好ましく思った女性はかなりありますが、いざ結婚相手と言うと、やはり40年連れ添って気心が知れ、よく尽くしてくれた妻以外には考えられません。それにあれこれしてやりたくて果たせなかったこともありますから。もっとも、妻がどう答えるかは分かりません。
アンケートの結果によると夫婦円満のために大切なことは、「話をする・聞く」「信頼
する」「言葉にして感謝を伝える」「程よい距離感(干渉しすぎない)」などが上位に入ったそうです。どれも納得できますが、実際の夫婦の間ではおろそかになることもあるようです。特に夫婦の間でも「有難う」と言う言葉は大切だと思います。
平均的な会話時間は1時間前後という結果だったようですが、夫婦、特に歳月を経た夫婦の間には多くの言葉は要らないのではないかと思います。「秋灯や夫婦互いに無き如く」(虚子)というありようが究極の夫婦の姿でしょう。私もそれを目指していたのですが、果たせぬことになりました。
それによると、今の夫婦円満度について、「とても円満」「まあ円満」と答えた人は77,8%%。子どもがいない人の方が「円満」と考える傾向が強かったようです。子どもたちが巣立っていって2人きりになると、熟年離婚とやらの危機ということもあるでしょうが、逆に円満さは深まることがあるのかも知れません。私の場合を振り返ってみると、特に円満さが増したと言うことはありませんでしたが、ある落ち着きのようなものが出てきたのは確かでした。
夫婦円満なのは結構なことですが、面白いのは生まれ変わっても同じパートナーを選ぶと答えた人は35.3%で、「考える」と答えた人は47.0%と約半数だったそうです。特に50代女性では、同じ相手を選ぶ人は20.0%、別の相手を選ぶ人は38.0%だったという結果で、女性も50代になると伴侶には厳しい目を向けるようになるのでしょうか。私に問われたら、やはり妻を選ぶと答えますね。妻のほかに好ましく思った女性はかなりありますが、いざ結婚相手と言うと、やはり40年連れ添って気心が知れ、よく尽くしてくれた妻以外には考えられません。それにあれこれしてやりたくて果たせなかったこともありますから。もっとも、妻がどう答えるかは分かりません。
アンケートの結果によると夫婦円満のために大切なことは、「話をする・聞く」「信頼
する」「言葉にして感謝を伝える」「程よい距離感(干渉しすぎない)」などが上位に入ったそうです。どれも納得できますが、実際の夫婦の間ではおろそかになることもあるようです。特に夫婦の間でも「有難う」と言う言葉は大切だと思います。
平均的な会話時間は1時間前後という結果だったようですが、夫婦、特に歳月を経た夫婦の間には多くの言葉は要らないのではないかと思います。「秋灯や夫婦互いに無き如く」(虚子)というありようが究極の夫婦の姿でしょう。私もそれを目指していたのですが、果たせぬことになりました。
もしも話題の裁判員にでもなったら、どう判断したらいいのだろうと思うような裁判があった。
北海道旭川市のスーパーで若い女性客の尻を約5分間、カメラ月携帯電話で11回撮影した31歳の自衛官の男性が逮捕、起訴された。北海道迷惑防止条例に問われたものだ。「公共の場所で人を著しく羞恥させるような卑わいな言動」に当たるものだと言うわけだ。
1審の旭川簡裁は「後ろ姿全体を撮影しようとしたかもしれず、容認できないほど甚だしい卑猥な行為とは言えない」と無罪を言い渡したが、2審では逆転有罪となり罰金30万円の判決となった。被告は上告し最高裁小法廷で審理された。その結果は高裁判決を支持し有罪。「被告の行為が『卑猥な動作』であることは明らかで、被害者を著しく羞恥させるもの」と指摘された。小法廷の5人の裁判官の内1人は「着衣した尻は乳房などに比べ性的意味合いは低く、それを見る動機もさまざま。撮影行為自体に卑猥性は認められない」ので、客観的に著しく羞恥させる行為とは評価できないとして、無罪を主張した。
この記事を読んで、裁判とは素人には及びもつかない難しい理屈を展開するものだと改めて思った。この自衛官の行為はまことに愚かしいものだが、ズボンをはいた女性の尻を撮影することが「卑猥な」行為と言うのは分かるようで分かりにくい。目で見るのは卑猥な行為でなく、写真を撮ると卑猥な行為になるわけか。もっとも目で見ても卑猥な行為とされたら、巷にズボン姿の女性が溢れている昨今のこと、堪ったものではないが・・・。年を取っても私も男の端くれだから、エスカレーターなどで目の前に女性の尻があれば目を逸らすことはない。内心では何やら品定めをしている自分がある。これは恥ずべきことか。被害者を著しく羞恥させるものということだが、どうも近頃は尻に限らず、かなり挑発的な服装があり、本人は羞恥を感じているとは思われず、誇示しているようにさえ思うことがある。
この事件は一昨年の7月に発生し、2年以上たって決着した。この程度のことで、と言っては不謹慎と言われるだろうが、最高裁まで行くとは何やら大げさなようにも思われるが、それが裁判と言うものだろう。私には少数意見の裁判官の指摘や主張のほうが理解できるが、有罪と決まった以上、これからはこれが判例となるのだから、どんなに格好がよくて魅力的であっても、女性の尻を撮影しようなどとはゆめ思わぬことだ。
北海道旭川市のスーパーで若い女性客の尻を約5分間、カメラ月携帯電話で11回撮影した31歳の自衛官の男性が逮捕、起訴された。北海道迷惑防止条例に問われたものだ。「公共の場所で人を著しく羞恥させるような卑わいな言動」に当たるものだと言うわけだ。
1審の旭川簡裁は「後ろ姿全体を撮影しようとしたかもしれず、容認できないほど甚だしい卑猥な行為とは言えない」と無罪を言い渡したが、2審では逆転有罪となり罰金30万円の判決となった。被告は上告し最高裁小法廷で審理された。その結果は高裁判決を支持し有罪。「被告の行為が『卑猥な動作』であることは明らかで、被害者を著しく羞恥させるもの」と指摘された。小法廷の5人の裁判官の内1人は「着衣した尻は乳房などに比べ性的意味合いは低く、それを見る動機もさまざま。撮影行為自体に卑猥性は認められない」ので、客観的に著しく羞恥させる行為とは評価できないとして、無罪を主張した。
この記事を読んで、裁判とは素人には及びもつかない難しい理屈を展開するものだと改めて思った。この自衛官の行為はまことに愚かしいものだが、ズボンをはいた女性の尻を撮影することが「卑猥な」行為と言うのは分かるようで分かりにくい。目で見るのは卑猥な行為でなく、写真を撮ると卑猥な行為になるわけか。もっとも目で見ても卑猥な行為とされたら、巷にズボン姿の女性が溢れている昨今のこと、堪ったものではないが・・・。年を取っても私も男の端くれだから、エスカレーターなどで目の前に女性の尻があれば目を逸らすことはない。内心では何やら品定めをしている自分がある。これは恥ずべきことか。被害者を著しく羞恥させるものということだが、どうも近頃は尻に限らず、かなり挑発的な服装があり、本人は羞恥を感じているとは思われず、誇示しているようにさえ思うことがある。
この事件は一昨年の7月に発生し、2年以上たって決着した。この程度のことで、と言っては不謹慎と言われるだろうが、最高裁まで行くとは何やら大げさなようにも思われるが、それが裁判と言うものだろう。私には少数意見の裁判官の指摘や主張のほうが理解できるが、有罪と決まった以上、これからはこれが判例となるのだから、どんなに格好がよくて魅力的であっても、女性の尻を撮影しようなどとはゆめ思わぬことだ。
小学校の教師をしている次男が、音楽会の代休日だから、どこかへ行こうと誘ってくれたので、近くにある清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)に行くことにした。
清荒神清澄寺は普通にはただ清荒神と呼んでいるが、真言三宝宗の大本山で、摂津国八十八箇所第72番の寺である。896年に宇多天皇の勅願寺として建立された。この近辺では有名で、毎年大晦日から元旦にかけて多数の参詣者が訪れる。
参道の両側の露天。
山門。1891年に建てられた。
本堂。江戸時代のもの。本尊は大日如来(国の重要文化財)。
三宝荒神社。鎮守社。竈の神の荒神などを祀る。神仏習合で清荒神清澄寺と言う。
火箸納所。火の神であるので、厄年には厄除けを願って火箸を授かって家庭でまつり、厄が明けたら新しい火箸を添えてここに火箸を納める。この莫大な数の火箸を見ると、信仰する人の多いことが判る。
池苑。池泉回遊式庭園。江戸初期のもの。
龍王滝
滝のそばの岩壁に彫られた不動明王像。
鉄斎美術館。清荒神は、明治・大正期の文人画家富岡鉄斎の作品を多数所蔵していることで有名。残念ながら月曜休館だった。
市街地から近いが、寺域は静寂で木々の色が美しい。寺域周辺の自然林や境内の大イチョウは市指定天然記念物である。ちょうど紅葉の季節で、境内のあちこちに美しい紅葉・黄葉が見られた。平日であるが訪れている人は多かった。
清荒神清澄寺は普通にはただ清荒神と呼んでいるが、真言三宝宗の大本山で、摂津国八十八箇所第72番の寺である。896年に宇多天皇の勅願寺として建立された。この近辺では有名で、毎年大晦日から元旦にかけて多数の参詣者が訪れる。
参道の両側の露天。
山門。1891年に建てられた。
本堂。江戸時代のもの。本尊は大日如来(国の重要文化財)。
三宝荒神社。鎮守社。竈の神の荒神などを祀る。神仏習合で清荒神清澄寺と言う。
火箸納所。火の神であるので、厄年には厄除けを願って火箸を授かって家庭でまつり、厄が明けたら新しい火箸を添えてここに火箸を納める。この莫大な数の火箸を見ると、信仰する人の多いことが判る。
池苑。池泉回遊式庭園。江戸初期のもの。
龍王滝
滝のそばの岩壁に彫られた不動明王像。
鉄斎美術館。清荒神は、明治・大正期の文人画家富岡鉄斎の作品を多数所蔵していることで有名。残念ながら月曜休館だった。
市街地から近いが、寺域は静寂で木々の色が美しい。寺域周辺の自然林や境内の大イチョウは市指定天然記念物である。ちょうど紅葉の季節で、境内のあちこちに美しい紅葉・黄葉が見られた。平日であるが訪れている人は多かった。
昨年10月に中国西安から大阪の会社に来て働いている邵利明(シャオ・リミン明明)が近頃少し疲れ気味だ。
入社当時は言葉(関西弁)が理解しにくくてだいぶ悩んだようだ。中国の大学の日本語科で学んだのは標準語だから、関西弁は外国語のように聞こえたらしい。それでも1年もたつと聞いても解るようになったと言い、「おまえアホか」、「うちアホちゃうで」などと冗談の遣り取りも面白がっている。友人もできたようだが、会社には中国人は彼女だけで、日常生活で中国語を話す相手はいないからその点は寂しく、ときおりは孤独感にとらわれることもあるようだ。それで東京の施路敏(シ・ルミン)を紹介したら、時々電話で話して相談し合ったりしているらしく、まだ会ったことはないが良い友人になっている。そんなことで言葉の問題は何とかなっているが、今の悩みは勤務時間のことのようだ。
朝は7時に起き、7時半を回った頃には家を出る。それだけなら特にどうと言うこともないのだが、出社するのは8時過ぎ。会社の始業時刻は9時である。終業は6時だが普通は7時過ぎまで残る。家に帰る途中で夕食をとり、帰宅するのが9時ごろになる。帰ってもテレビを見るくらいで何もする気になれないと言う。休みの日には昼ごろまでぐっすり眠る。中国にいたときにはツアーのガイドをしていたので体力はあるはずで元気だったのだが、終日のデスクワークは慣れないこともあって疲れが溜まるらしい。
9時始業なら9時前に出ればいいじゃないか。夕方も特に何もなければ6時になれば帰ればいいと言うと、そんなわけにはいかない、皆早く出勤していて私が一番遅いくらいだし、夜も皆遅くまで残っているからと言う。課内にはどうやら皆を取り仕切っている(つもり)の40歳くらいの独身女性がいて、7時半ごろにはもう出社していて、夜も9時ごろまで残っているそうだ。そんな彼女に社員たちは皆遠慮しているのか、それとも性分なのか、皆早く出て遅くまで残っているようだ。彼女は残業の認定もするようで、明明に「邵さんは7時まで残ったけれど6時としておいて」と言ったそうだから、要するに残業手当はつけないということだったようだ。同僚達と夕食をしたときに皆も「6ピタ(6時ぴったり)に帰ったらいい」と言ったので、これからはそうすると言った。しかし、朝はやはり皆に合わせないと遅く出るのは怖いと言う。始業時間前に出るのだったら遅いことではないじゃないかと言ってもそれはできないと言う。そういう雰囲気なのだろう。
あんなに早く来て遅くまで残っていて、皆疲れているようで、休みの日は寝るだけのようだけれど、あれでは生活はどうなっているのだろう、日本人は自分の生活を楽しんでいない、中国人は生活を楽しみますよと明明は言う。もちろん最近の中国人の中にも金儲けのために猛烈に働いている者もいるようだが、一般の勤め人は日本に比べて猛烈社員というのは少ないらしい。だから日本人は勤勉で、中国人は怠けているとは言えないだろう。
明明が言うとおり、自分の生活は楽しいものでなくてはならない。毎日朝から晩までのべつ幕なしに働いてぐったりして帰宅し、休みの日をひたすらに待ち焦がれるという生活は心を貧しくさせるのではないか。それに毎日定時を過ぎても残って仕事をするというのは、仕事の段取りが下手だから勤務時間内に処理できないのだという見方もできるだろう。現実の企業の状況はそんなに甘いものではない、働く者はそのように過酷な状況に置かれているのだという指摘もあるだろうが、少なくとも明明の目に映る同僚社員たちの姿は理解しにくいものらしい。
C
入社当時は言葉(関西弁)が理解しにくくてだいぶ悩んだようだ。中国の大学の日本語科で学んだのは標準語だから、関西弁は外国語のように聞こえたらしい。それでも1年もたつと聞いても解るようになったと言い、「おまえアホか」、「うちアホちゃうで」などと冗談の遣り取りも面白がっている。友人もできたようだが、会社には中国人は彼女だけで、日常生活で中国語を話す相手はいないからその点は寂しく、ときおりは孤独感にとらわれることもあるようだ。それで東京の施路敏(シ・ルミン)を紹介したら、時々電話で話して相談し合ったりしているらしく、まだ会ったことはないが良い友人になっている。そんなことで言葉の問題は何とかなっているが、今の悩みは勤務時間のことのようだ。
朝は7時に起き、7時半を回った頃には家を出る。それだけなら特にどうと言うこともないのだが、出社するのは8時過ぎ。会社の始業時刻は9時である。終業は6時だが普通は7時過ぎまで残る。家に帰る途中で夕食をとり、帰宅するのが9時ごろになる。帰ってもテレビを見るくらいで何もする気になれないと言う。休みの日には昼ごろまでぐっすり眠る。中国にいたときにはツアーのガイドをしていたので体力はあるはずで元気だったのだが、終日のデスクワークは慣れないこともあって疲れが溜まるらしい。
9時始業なら9時前に出ればいいじゃないか。夕方も特に何もなければ6時になれば帰ればいいと言うと、そんなわけにはいかない、皆早く出勤していて私が一番遅いくらいだし、夜も皆遅くまで残っているからと言う。課内にはどうやら皆を取り仕切っている(つもり)の40歳くらいの独身女性がいて、7時半ごろにはもう出社していて、夜も9時ごろまで残っているそうだ。そんな彼女に社員たちは皆遠慮しているのか、それとも性分なのか、皆早く出て遅くまで残っているようだ。彼女は残業の認定もするようで、明明に「邵さんは7時まで残ったけれど6時としておいて」と言ったそうだから、要するに残業手当はつけないということだったようだ。同僚達と夕食をしたときに皆も「6ピタ(6時ぴったり)に帰ったらいい」と言ったので、これからはそうすると言った。しかし、朝はやはり皆に合わせないと遅く出るのは怖いと言う。始業時間前に出るのだったら遅いことではないじゃないかと言ってもそれはできないと言う。そういう雰囲気なのだろう。
あんなに早く来て遅くまで残っていて、皆疲れているようで、休みの日は寝るだけのようだけれど、あれでは生活はどうなっているのだろう、日本人は自分の生活を楽しんでいない、中国人は生活を楽しみますよと明明は言う。もちろん最近の中国人の中にも金儲けのために猛烈に働いている者もいるようだが、一般の勤め人は日本に比べて猛烈社員というのは少ないらしい。だから日本人は勤勉で、中国人は怠けているとは言えないだろう。
明明が言うとおり、自分の生活は楽しいものでなくてはならない。毎日朝から晩までのべつ幕なしに働いてぐったりして帰宅し、休みの日をひたすらに待ち焦がれるという生活は心を貧しくさせるのではないか。それに毎日定時を過ぎても残って仕事をするというのは、仕事の段取りが下手だから勤務時間内に処理できないのだという見方もできるだろう。現実の企業の状況はそんなに甘いものではない、働く者はそのように過酷な状況に置かれているのだという指摘もあるだろうが、少なくとも明明の目に映る同僚社員たちの姿は理解しにくいものらしい。
C
袁毅の案内で西安の城壁に行った。
西安の城壁は中国では最もよく保存されている古代城壁で、規模が大きく完璧に保存されていて、世界でも稀なものと言われている。明代の1370年から築造が始まり、8年後に完工した。東西に長い長方形で、周囲は13.74キロ、 城壁の高さは12メートル、上部の幅は12~14メートル、底部の幅は15~18メートルある。城内のほぼ中央部に鐘楼があり、これから東西南北に伸びる大通りが城壁に突き当たるところに城門がある。近代になって他にも多くの城門が造られた。
南門(永寧門)。ここから城壁に上がる。
南城壁の上。この城壁では毎年マラソンが行われる。
電気カートで城壁を回ることにした。袁毅とカート。
城内の古い民家
城内の路地
南城壁から東城壁
東門(長楽門)。城門のある城壁の部分はコの字型に突き出した見張り台(馬面)になっていて、城壁の正面の部分が城門となっている。城壁と城門の間は広場になっている。
見張り台上の防城機
東城壁の楼閣
北城壁から西安駅を見る。
北門(安遠門)
北城壁
西安城内でただ1つのラマ教寺院
西門(安定門)
南門
カーとで1周するのに1時間半ほど要した。敷石には凹凸があり、ガタガタする。自転車や徒歩で行く人たちもいた。かなり疲れることだろう。巨大な建造物であることは分かったが、現在のような大きな建設機械もない時代に、8年間で造られたというのは驚きである。
今から20年程前には長年の自然侵食と人為的破壊によって崩壊寸前になっていて、取り壊すべきだと言う声もあったそうだ。それが80年代初頭に国家からの財政援助のもと当時の市長のリーダーシップと市民の奉仕活動によって修復された。今では中国国内には数少ない古代城壁として西安のシンボルとなり、城壁の外の公園は市民の憩いの場となっている。
西安の城壁は中国では最もよく保存されている古代城壁で、規模が大きく完璧に保存されていて、世界でも稀なものと言われている。明代の1370年から築造が始まり、8年後に完工した。東西に長い長方形で、周囲は13.74キロ、 城壁の高さは12メートル、上部の幅は12~14メートル、底部の幅は15~18メートルある。城内のほぼ中央部に鐘楼があり、これから東西南北に伸びる大通りが城壁に突き当たるところに城門がある。近代になって他にも多くの城門が造られた。
南門(永寧門)。ここから城壁に上がる。
南城壁の上。この城壁では毎年マラソンが行われる。
電気カートで城壁を回ることにした。袁毅とカート。
城内の古い民家
城内の路地
南城壁から東城壁
東門(長楽門)。城門のある城壁の部分はコの字型に突き出した見張り台(馬面)になっていて、城壁の正面の部分が城門となっている。城壁と城門の間は広場になっている。
見張り台上の防城機
東城壁の楼閣
北城壁から西安駅を見る。
北門(安遠門)
北城壁
西安城内でただ1つのラマ教寺院
西門(安定門)
南門
カーとで1周するのに1時間半ほど要した。敷石には凹凸があり、ガタガタする。自転車や徒歩で行く人たちもいた。かなり疲れることだろう。巨大な建造物であることは分かったが、現在のような大きな建設機械もない時代に、8年間で造られたというのは驚きである。
今から20年程前には長年の自然侵食と人為的破壊によって崩壊寸前になっていて、取り壊すべきだと言う声もあったそうだ。それが80年代初頭に国家からの財政援助のもと当時の市長のリーダーシップと市民の奉仕活動によって修復された。今では中国国内には数少ない古代城壁として西安のシンボルとなり、城壁の外の公園は市民の憩いの場となっている。
「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」という政府の有識者会議があるようだが、この会の座長のトヨタ自動車の奥田碩相談役が、会議の最後に年金問題などでの厚労省への批判報道についてメディアを批判したそうだ。
「特にテレビがですね。朝から晩まで、名前を言うとまずいから言わないけれど、2、3人のやつが出てきて、年金の話とか厚労省に関する問題についてわんわんやっている」と言い、「あれだけ厚労省がたたかれるのはちょっと異常。何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとかね」と発言したという。
この発言に対して委員の一人から「マスコミは批判するために存在している。スポンサーを降りるというのは言い過ぎだ」という発言があったが、「(マスコミの)編集権に経営者は介入できないといわれるが、本当はやり方がある」と収まらなかったようだ。
厚労省についてはずさんな年金処理などで批判は強く、メディアで多くの報道がされたのは事実だ。奥田氏が取り上げたのは、その場で「正直言ってああいう番組のテレビに出さないですよ。特に大企業は。ああいう番組に出てくるスポンサーは大きな会社じゃない。いわゆる地方の小中」と言っているから、おそらくワイドショウの類だろうが、私はほとんど見たことはないから、朝から晩までわんわんやっていたかどうは知らない。この人は朝から晩までよく見ているようで、大企業の相談役ともなるとよほど暇なのだろうか。年金問題は国民にとっては切実で大きな問題だ。メディアが大きく取り上げて報道し、意見を述べるのは当然のことだ。それに対してまた批判意見を持つのも自由だろう。
しかし、テレビの番組の内容が気に食わないからと言って「報復」にスポンサーを降りるなどと言うのは思い上がった暴言だと思う。確かに民放テレビはスポンサーがなくては成り立たない。それを逆手にとって脅しとも取れるような言い方をするのは大企業の横暴ではないか。「ああいう番組」が気に食わないようだが、それのスポンサーは「いわゆる地方の小中」と言うのも大企業の思い上がりだ。そのような番組に報復してスポンサーを降りると言うことは、その地方の小中企業に圧力をかけて降りさせることなのか。それともそのような番組を出しているテレビ会社の番組から、トヨタなどの大企業はスポンサーを降りると言うことか。それが「マスコミの編集権に介入するやり方」と言うことか。
「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」は年金記録や薬害肝炎などの不祥事を受けて福田政権の時に官邸に設置されたものだそうだ。その役割はもちろん厚労省のあり方について客観的に検討して首相に報告することで、いたずらに厚労省の肩を持つことではあるまい。それが座長の立場にある者がこのような発言をするのは呆れる。時折見られることだが、どうも財界の大物とされる者の中には、自分が権力者になったかのような錯覚に陥っているのではないかと思うような発言や振る舞いがあるのは不愉快である。
「特にテレビがですね。朝から晩まで、名前を言うとまずいから言わないけれど、2、3人のやつが出てきて、年金の話とか厚労省に関する問題についてわんわんやっている」と言い、「あれだけ厚労省がたたかれるのはちょっと異常。何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとかね」と発言したという。
この発言に対して委員の一人から「マスコミは批判するために存在している。スポンサーを降りるというのは言い過ぎだ」という発言があったが、「(マスコミの)編集権に経営者は介入できないといわれるが、本当はやり方がある」と収まらなかったようだ。
厚労省についてはずさんな年金処理などで批判は強く、メディアで多くの報道がされたのは事実だ。奥田氏が取り上げたのは、その場で「正直言ってああいう番組のテレビに出さないですよ。特に大企業は。ああいう番組に出てくるスポンサーは大きな会社じゃない。いわゆる地方の小中」と言っているから、おそらくワイドショウの類だろうが、私はほとんど見たことはないから、朝から晩までわんわんやっていたかどうは知らない。この人は朝から晩までよく見ているようで、大企業の相談役ともなるとよほど暇なのだろうか。年金問題は国民にとっては切実で大きな問題だ。メディアが大きく取り上げて報道し、意見を述べるのは当然のことだ。それに対してまた批判意見を持つのも自由だろう。
しかし、テレビの番組の内容が気に食わないからと言って「報復」にスポンサーを降りるなどと言うのは思い上がった暴言だと思う。確かに民放テレビはスポンサーがなくては成り立たない。それを逆手にとって脅しとも取れるような言い方をするのは大企業の横暴ではないか。「ああいう番組」が気に食わないようだが、それのスポンサーは「いわゆる地方の小中」と言うのも大企業の思い上がりだ。そのような番組に報復してスポンサーを降りると言うことは、その地方の小中企業に圧力をかけて降りさせることなのか。それともそのような番組を出しているテレビ会社の番組から、トヨタなどの大企業はスポンサーを降りると言うことか。それが「マスコミの編集権に介入するやり方」と言うことか。
「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」は年金記録や薬害肝炎などの不祥事を受けて福田政権の時に官邸に設置されたものだそうだ。その役割はもちろん厚労省のあり方について客観的に検討して首相に報告することで、いたずらに厚労省の肩を持つことではあるまい。それが座長の立場にある者がこのような発言をするのは呆れる。時折見られることだが、どうも財界の大物とされる者の中には、自分が権力者になったかのような錯覚に陥っているのではないかと思うような発言や振る舞いがあるのは不愉快である。
最近、首相が漢字を読み間違えることが続いているようだ。インタネットで見たら、記者団とのこんな遣り取りがあった。
総理。最近ですね、村山談話の踏襲というところを「ふしゅう」と読まれたり、今日の日中友好交流年閉幕式でもですね、日中首脳の往来が頻繁というところを「はんざつ」というように読まれたんですが、最近日本語の読み間違いといいますか、そういうのが多いような印象を受けるんですが。
A:そうですか。単なる読み間違い。(秘書官「はい、終わります」)もしくは勘違い、はい。
この日中友好交流年閉幕式の挨拶では、他の箇所でも「未曾有」を「みぞうゆう」と読み間違えたようだ。どうせ担当者が書いた文章をあらかじめ熟読検討しないで読んだことから起こったことだろうが、それにしても「単なる読み間違え」とか「勘違い」という言い訳は苦しい。「頻繁」と「煩雑」は字面だけからすると読み間違えをすることはあるかも知れないが、文脈の中では意味が違うことが分かっていれば、読み間違えることはないと思う。「踏襲」や「未曾有」はおそらくは思い込みではないか。古い時代の首相なら考えられないことだろう。
そう言う私でも、これまでには読み間違えをしたことは少なくないし、思い込みで発音していたこともあった。また「袂別」のように長い間読み方を知らなかった言葉もあった。だから自分を省みて揚げ足取りをするつもりはないし、よく言われることだが「病膏肓に入る」を「膏盲に入る」とか、「侃侃諤諤」を「喧喧諤諤」とか言い誤ることはよくあるが、話題になった漢字程度の誤読はいささか頂けない。
読んでいる新聞の投書欄に、
踏襲・ふしゅう
太郎ちゃん、漫画ばかり読んでないでね!
―教育ママ
というジョークがあって笑ってしまったが、トップの地位にある者は何かにつけてその言葉や一挙手一投足は注目され、批判されたりあげつらわれたりすることは、私のような平凡な一市井人とは比較できないほどなのだ。今の政治家に高い教養や品位を求めるのは無理なことかも知れないが、常識程度のことは弁えるように心すべきだと思う。
総理。最近ですね、村山談話の踏襲というところを「ふしゅう」と読まれたり、今日の日中友好交流年閉幕式でもですね、日中首脳の往来が頻繁というところを「はんざつ」というように読まれたんですが、最近日本語の読み間違いといいますか、そういうのが多いような印象を受けるんですが。
A:そうですか。単なる読み間違い。(秘書官「はい、終わります」)もしくは勘違い、はい。
この日中友好交流年閉幕式の挨拶では、他の箇所でも「未曾有」を「みぞうゆう」と読み間違えたようだ。どうせ担当者が書いた文章をあらかじめ熟読検討しないで読んだことから起こったことだろうが、それにしても「単なる読み間違え」とか「勘違い」という言い訳は苦しい。「頻繁」と「煩雑」は字面だけからすると読み間違えをすることはあるかも知れないが、文脈の中では意味が違うことが分かっていれば、読み間違えることはないと思う。「踏襲」や「未曾有」はおそらくは思い込みではないか。古い時代の首相なら考えられないことだろう。
そう言う私でも、これまでには読み間違えをしたことは少なくないし、思い込みで発音していたこともあった。また「袂別」のように長い間読み方を知らなかった言葉もあった。だから自分を省みて揚げ足取りをするつもりはないし、よく言われることだが「病膏肓に入る」を「膏盲に入る」とか、「侃侃諤諤」を「喧喧諤諤」とか言い誤ることはよくあるが、話題になった漢字程度の誤読はいささか頂けない。
読んでいる新聞の投書欄に、
踏襲・ふしゅう
太郎ちゃん、漫画ばかり読んでないでね!
―教育ママ
というジョークがあって笑ってしまったが、トップの地位にある者は何かにつけてその言葉や一挙手一投足は注目され、批判されたりあげつらわれたりすることは、私のような平凡な一市井人とは比較できないほどなのだ。今の政治家に高い教養や品位を求めるのは無理なことかも知れないが、常識程度のことは弁えるように心すべきだと思う。