中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

いたずら・・・か?

2009-03-31 08:49:52 | 身辺雑記
 愛知県半田市内の中学校で今年1月から2月にかけて、1年の男子生徒たちが妊娠6ヶ月の30代の担任の教諭に対し「先生を流産させる会」を結成して、悪質な「いたずら」をしていたという。

 3学期が始まった1月に、席替えの決め方に対する不満や、部活動のことで注意されたことに反発して、数人の生徒が担任に反抗しようと計画し、周りの生徒に声をかけて11人で会を結成した。

 生徒達は、チョークの粉や歯磨き粉、のりを混ぜ合わせたものを教諭の車にふり撒いたり、教諭の椅子の背もたれのねじを緩めたり、理科の実験で使ったミョウバンと食塩を少しずつ持ち帰り、教諭の給食の中に混ぜたりしたという。椅子が壊れることはなかったし、ミョウバンは食品にも使われるもので毒物ではないから、幸い教諭には被害はなかった。

 11人のうち、実行したのは5人で、メンバーの1人が部活動でのもめごとを教諭に叱られたことを根に持っていた。また、クラスでの席替えで一部の生徒を優遇するような配置をしたことに不満があったようだが、教諭によると、不登校気味の生徒の近くに仲のいい生徒を配置したということだ。

 この行為は他の生徒が気づいたことで発覚し、学校は保護者同席の上で生徒たちに注意した。今は「深く反省している」と報じられている。校長は「個々にはいい子たちで、最初は信じられず、仰々しいネーミングにも驚いた。ただ、軽いのりからエスカレートしたようで、計画的とまでは言えない。」と話しているそうだ。ある記事によれば「ゲーム的な感覚や友人との付き合いでしたことで、流産させようと本気に画策したわけではないと思う」とも話したという。教諭は刑事告訴はしないという。

 中学も2年生に近い年頃の生徒だから丸っきりの子どもの年齢ではあるまい。校長の認識は甘いと思う。このような悪質な行為を「軽いのりからエスカレートしたようで」とか「ゲーム的な感覚」などと言うのはおかしい。生徒達がそのように取れる言い訳をしたのかもしれないが、そのような感覚そのものがいかに悪質なことだということを、校長達は徹底的に生徒に言ったのか。親達も深刻に受け止め、家に帰ってから厳しく指導したのか。「軽いのり」などということは問題の本質をぼかしてしまうことで、もしそのようなことを生徒が言ったのなら、それは許しがたい弁解だということを親の前でも厳しく叱るべきだ。「計画的とまでは言えない」とか、「流産させようと本気に画策したわけではないと思う」などというのは、生徒を思いやったつもりだろうが、校長自身が問題の重大さが分かっていないのではないか。

 こういう行為を「いたずら」と言うのだろうか。甘い表現だ。成人の場合なら傷害未遂となるところで、もし実際に椅子が壊れて、教諭が怪我をしたり、本当に流産でもしたら叱りおく程度では済まなかっただろう。子どもだからでは済まされない不愉快な悪ガキどもだ。「流産させる会」というネーミングそのものも悪質だ。「先生の子どもを殺す会」と同じことだと生徒達は気づいていたのか。こういうのがそのまま成人すると、近頃よくある、注意されて逆恨みしたり、命の尊さということに考えが及ばないような輩になるのだ。まだ子どもだからとか、未熟だからとか、悪気はなかったとか言って「理解」を示すような甘さは、子どものためにならないことを教師も認識するべきだと思う。このようなことをしでかした生徒を、親の前でも大声で叱り飛ばすくらいの気骨を教師は持つべきだ。諄々と穏やかに諭すことも大切だが、時には大人が本気で怒っていることを見せないと、いつまでも世の中を甘く見るような人間になる。


  


駅長たま

2009-03-30 09:20:50 | 身辺雑記
 Hg君夫妻と桃の花を観に行ったときに、和歌山電鐵貴志川線貴志駅の有名な駅長に会いに行った。

 駅長の名前は「たま」と言う。多摩でも田間でもない10歳になるメスの三毛猫だ。2007年1月5日に和歌山電鐵から正式に辞令を交付されて駅長に就任し、話題を呼んだ。主な業務は「客招き」で、報酬は年俸としてキャットフード1年分。任期のない終身雇用とされている。今では全国的に名前が知られるようになっていて、猫好きの私は一度見たいと思っていたが、少し遠いので行く機会はなかった。今回同じ紀ノ川市にあるということで、桃を見に行くついでに立ち寄った。

 終点の喜志駅は無人駅で駐車場はないから、5つ手前の駐車場のある伊太祁曾(いたきそ)駅から乗る。この駅は鄙びたのどかな風情のものだが、ここに和歌山電鐵の本社がある。


 待合室のポスター。たま駅長の勇姿。


 乗ったのは、猫をデザインした「たま電車」で、内部もたま駅長で溢れている。この線は和歌山を出るもので、ちょうど春休みに入ったときで、子ども連れの家族でいっぱいだった。もちろんたま駅長に会いに行く人達だ。






 喜志駅に着いたが、改札口に当たる台の上には期待していた駅長の姿はない。すぐそばにある「駅長室」で、助役達と一緒に気持ちよさそうに眠っていた。こうなると猫のことだから、職務怠慢だと怒ることもできない。やってきた人達は特に失望した様子もなく駅長室をのぞいてガラス窓越しに写真を撮っていた。寝ている姿は何の変哲もないただの猫なのだが、それでも人を惹きつけるのは、この駅長の人徳(?)なのだろう。

  駅長室(Wikipediaより)

 

 助役のちびと眠るたま駅長。


 助役のミーコ。駅長の母親だが、時々駅長の代役もするという。


 この駅には駅舎に付属した売店があり、ここが駅長たちの元の飼い主だった。この売店以外は駅の周辺には何もなく、駅長に会いに来た人達は自然にこの店に入ることになる。店の中にはたまグッズなどが溢れていて、それを買う人も少なくない。たま様々というところだろう。

 店内に飾られている駅長委嘱状。


 県知事の表彰状。たまはその客寄せの功績によってナイトに叙せられて「たま卿」になった。セレブ猫である。喜志と騎士(ナイト)の語呂合わせ。


 店内の写真。特製の駅長帽に手をかけている様子が愛らしい。こういう姿を見られなかったのは残念だった。


 やがて次の電車が着き、皆それに乗り込み帰途についた。駅長達の寝姿を見ただけの短い時間だったが、文句を言う者もおらず、何かのどかな雰囲気だった。平和と言えば平和、のんきと言えばのんきなことなのだが、たまにはこのようなこともいいと思った。気難しい動物愛護家の中には虐待とか何とか目くじらを立てる向きがあるかも知れないが、多くの人達にほのぼのしたものを与えている、このおとなしい猫達は愛らしい存在だと思う。

  Wikipediaより


  
 和歌山電鐵にはアイデアマンがいるようで、「たま電車」のほかに、「いちご電車」や「おもちゃ電車などを走らせている。





桃源郷

2009-03-29 11:24:10 | 身辺雑記
 Hg君夫妻と和歌山県紀の川市桃山町にある「桃源郷」へHg君が運転する車で出かけた。ここで栽培される桃は「あら川の桃」として知られているそうだ。桃源郷は桃山町の北部、紀の川の左岸堤防沿い約2キロの間に広がる桃畑で、「ひと目10万本」と言われる。桃山白鳳、日川白鳳、八幡白鳳、白鳳、清水白桃、川中島白桃の6品種の桃の木が植えられているという。

 最近少し寒い日もあったせいか、まだちらほら咲きのものもあったが満開のものもあった。桃源郷というと背丈の高い桃の木がたくさんあるような風景を思い浮かべるが、ここは栽培農家が経営する桃畑で、木は桃を採集しやすいように低く作られているし、それぞれの桃林は散らばっていて集まっているわけではないから、「桃源郷」というイメージではなく、「ひと目10万本」という印象でもなかった。








 桃の花は美しい。梅は気品があり桜は華やかだが、桃は暖かさを感じさせる。












 ところどころに花桃が植えられている。背丈が高く花が密集して咲いていて、鑑賞にはこの方がいい。八重咲きで、白とピンクとがある。なかには白とピンクとが入り混じった花もある。

















教師の言動

2009-03-28 09:39:10 | 身辺雑記
 最近、高校教師に関する記事を2つ見た。

 1つは、福島県立高校の57歳の男性教諭が、女子生徒にセクハラまがいの行為をしたなどとして、県教委から戒告処分を受けたというものだ。この教師は着替えのため体育の授業に約2分遅れた女子生徒2人に、体育館の壁に手をついて尻を突き出すよう強要した。従った生徒にはバドミントンのラケットで尻をたたく真似をし、従わなかった生徒には授業を受けさせなかった。

 もう1つは、秋田県の県立高校で、51歳の芸術部顧問の男性教諭に関することで、この部で写真コンクールに応募するための撮影のアイデアを顧問と部員らとの間で話し合った結果、メイド服姿で撮影することを決めた。3年生の女子部員にモデルを依頼したが、この女子生徒は家族との話し合いの結果、モデルになることを断った。この教師は撮影しないと自分が担当している国語の単位をやらないと言い、卒業できなくなることを恐れたその生徒はメイド服を着て別の生徒に撮影させたというものだ。女子生徒側は警察に届け出た。この教師は学校側の事情聴取に「冗談として受け止めてくれると思った」と話したという。県教委は「先生の冗談だったが、生徒が深く傷ついていることは重く受け止めたい」としているが、どのような処分をしたのかは分らない。

 2つのケースは、一見取り立てて騒ぐほどのことではないという意見もあるかも知れない。しかし、私はやはりこの2人の教師は分別が乏しいと思う。2人とも50代で、1人は定年退職も近い年だ。おそらく長く教師をやってきたのだろうから、若い生徒、特に年頃の女生徒のデリケートな心のありようが分っていなければならないはずだ。それなのに尻を突き出せと言ったことに従わなかったからといって授業を受けさせないとか、冗談にせよ「単位をやらない」など脅しとられても仕方がないようなことを言うのはまったく行き過ぎだ。今の時代、ちょっとしたことでも、セクハラやパワハラになるということが分からないのだろうか。学校という環境の中での教師と生徒との関係の中で長年いると、知らず知らずのうちに、緊張感が弛緩してしまうのか。

 私は高校教師時代にパワハラじみたことはしたことはなかったし、ましてセクハラなどは(そのような言葉もなかったが)論外のこととして過ごした。しかし、顧問をしていた生物部の部員には、男女を問わずよく冗談を言ったり、からかったりしたものだ。当時は生徒達もそれを面白がっていたが、「今だったらどうなるか分かりませんよ。親も何を言うか分からないのがいる」とHg君やHr君たちは笑う。そうかも知れない。生徒も親もおおらかだったことが多かったあの頃が懐かしい。

 いたずらに生徒の気に入るような言動で、あたかも生徒を理解しているかのような錯覚をしている教師は嫌らしいが、粗雑な言動の教師も不愉快な存在だ。教師は聖人君子でなくてもいいから、やはり若い生徒達に節度を持って接するようでありたい。



凶暴

2009-03-27 07:19:28 | 身辺雑記
 走行中のJRの車内で21歳の会社員の男が携帯型ゲーム機を使っていて、注意した50歳の会社員の女性を殴って重傷を負わせ逮捕された。若者の常軌を逸した犯罪が報道されると、またかと思うが、それでもやはり一言申したくなる。

 この男は朝の通勤ラッシュで混雑した車内で女性の背後に立ってゲームをしていたが、男の腕やゲーム機が女性の背中や髪に当たり、女性が振り返ると「何なんだ」と怒り出し、「混んでいるのにゲームをしないで」と言われて逆上し、女性の顔を殴った。周囲の乗客に取り押さえられ、駅で降ろされたが、駅事務所でも女性に殴りかかり、下あごの骨を折る1カ月の重傷を負わせた。傷害容疑で逮捕された男は警察での取調べで、「注意されて頭にきた。3、4発殴った」と供述しているという。「混んでいるんだから仕方ない。気に入らない」とも言ったそうだ。

 何という自己中心的な行為、言い草か。通勤ラッシュの車内でゲームをする感覚など幼児性も極まっているが、それに当然の注意をされて逆上するなど、抑制力の効かない欠陥人間だ。よほど甘やかされて育ったのだろう。周囲の乗客に取り押さえられたというから、男には弱い卑怯者だ。相手が年配の女性だからこのような凶行をしたのだろうと思う。根は臆病、弱虫なのだ。なおさら卑劣な不愉快きわまる奴だと思う。会社員というが、社会的にはまったく未熟な、おそらく会社員としても禄でもない人間だろう。

 このような事件に対して私はいつも極論のようなことを言うが、このような男の行為に対しては厳しい処罰が必要だ。有期の労働刑でもあればいいと思う。へとへとになるまで労働をさせ、己の愚かな行為の報いがどういうものなのかを思い知らせてやればいい。このような人間は、おそらくはこれからも社会の役に立つことはあまり期待できないだろうが、愚かな行為をしないように少しでも改まれば良しとすればいい。暴論ですかねえ。

負けると悔しいが

2009-03-26 10:19:07 | 身辺雑記
 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本が韓国を破って優勝した。所用があって詳しくは観ていないが、接戦でなかなかの好試合だったらしい。夜のニュースでは、熱狂する各地のファンの様子が映し出されていた。韓国でのファンの様子も少し映っていたが、負けた瞬間は意気消沈していた。韓国でも日本に劣らずこの試合には熱狂していたようだから当然だろう。

 この試合について、韓国の三大紙の1つの「中央日報」はWBCの特集ページで、「勝利したがマナーで負けた“ダーティーサムライ”」との見出しで日本チームを批判したようだ。「韓国との決勝戦で非紳士的なプレーが何回かあり、試合後の記者会見場では一部の選手が高慢な態度をみせまゆをひそめさせた。優勝チームらしいマナーとはほど遠い」と書いているそうだ。

 「非紳士的」と言うのは、決勝戦での日本のショートの中島選手の2つのプレイで、六回の守備で二盗を試みた走者の顔に膝が当たったプレーと、七回の攻撃で一塁走者の中島が選手が併殺を避けようと二塁手に体当たりしたプレーを指しているとのことだ。また、「高慢な態度」とはイチローを指していて、「イチローは試合後の記者会見場でいすのひじ掛けに片方の腕を乗せ、斜めにもたれかかるように座りながら、質問に答えた。答える途中で一人で笑った。勝者としての喜びや余裕と見るには見苦しい」と報じているという。

 私は野球のルールには疎いし、テレビを見ていないから、指摘された中島選手のプレーが非紳士的でダーティーなものなのかどうかは知らないが、野球の試合中には故意でなくても起こりうるもののようにも思う。イチローの記者会見の様子もニュースで観たが、それほど高慢な態度かどうかだったかは記憶に残っていない。韓国は決勝戦でイチローのタイムリーヒットで敗れた。おそらくは韓国の国民の悔しさを意識して、ことさらにイチローを槍玉に挙げたような気もする。しかし、この「中央日報」も別の記事では「イチローが、『新・日本キラー』として浮上した奉重根を高く評価した。得意の直球が称賛の対象だ。イチローは24日、『奉重根の直球の最後は変化が激しい』と述べた」と報じているのを日本語版で読んだ。

 このような韓国の大新聞の記事を見ると、WBCについての韓国の熱狂ぶりが日本以上だったように想像するが、その熱狂の結果としての敗戦の悔しさをなだめているようで、その裏にはいまだに韓国の国民の屈折した対日感情があるように思う。とても日本で言われているような、「日本と韓国とは(野球での)よきライバルになった」などとは思えないのだろう。もし今回、日本が負けたなら、日本の大新聞はどのように書くだろうかと、ふと考えた。おそらくは韓国の選手のプレーや、態度についてことさらにあげつらうようなことはあまり書かないのではないか。国柄、国民性の違いなのかも知れない。

 私はスポーツはできないが、どれでも観るのは好きだ。野球も同じで、プロ野球にも好きなチームはあるが、熱狂的なファンとは程遠い。負けると悔しい思いをしても、後に引きずることがない。それに、「日の丸を背負って」とか「国民的・・・」などと表現し、煽られると腰が引けてしまうほうだ。今度の試合でも「日本のチームが日の丸を背負って出かけているのに、仕事なんかしておれますか」と言って飲食店でテレビ観戦をしている若い男がテレビに映っていたが、そこまで言うかと滑稽に思った。

 外国では負けたチームの選手がファンに殺されたり、サポーターが暴動を起こしたりするような物騒なことが時々あるが、しょせんはスポーツではないか。楽しめばいいのだ。強いほうが勝つし、それでも時の運というものがあって、時々意外な結果になることもまたスポーツの面白さではないか。熱しやすく冷めやすいと言われようと、試合中は熱狂し、勝とうが負けようが、終わればさっぱりすると言うわけにはいかないものか。狭い愛国心に凝り固まったり、ひいきの引き倒しにならずに、もっとおおらかになりたいものだ。


またまた身勝手な

2009-03-25 09:39:32 | 身辺雑記
 JR東京駅の中央線ホームで一番前に立って電車を持っていた60歳の女性が、男に背後から突き飛ばされ線路上に転落した。入ってきた電車と接触したが、幸い軽傷で命に別状はなかった。

 犯人は大阪富田林市の24歳の自称無職の男性で、凶行後逃げたが殺人未遂の疑いで現行犯逮捕された。捕まったときには「おれは就職試験にも落ちて世の中に必要とされていない。死刑になりたい。これで終わりだ」と喚いていたらしい。警察の調べに対して「死にたくてやった。死刑になりたかった」と供述していると言う。またしても身勝手な理由による無差別犯行だ。おそらく誰でもよかったのだろう。死にたいという理由で殺されかかった被害者は気の毒、不運と言うほかはない。どんなにか恐怖を味わったことだろう。

 「死にたくてやった。死刑になりたかった」と言うのはどこまで本心だろうか。最近はとかく死刑になりたくてという言い分の凶悪犯罪があるが、これも模倣犯なのだろうか。こういう理不尽極まりない言い草がこれからもあるようではたまらない。近頃では1人殺しても死刑にはなかなかならないから、では大量になどと思うようなとんでもない奴が出ないようにと思う。こういう連中は精神的にどうこう言う前に、そもそもが臆病な性格なのだと思う。誰でもよいと言っても、その悪意は多くは老人や子ども、女性に向けられる。女性も近頃ではなかなか強くなっているが、やはり凶行の相手として目をつけられやすいのではないか。おそらく体格優れた男を選んで標的にすることはまずないだろう。

 冷たい言い方になるかも知れないが、死にたかったのなら、大いに迷惑なことにはなるが、自分が線路に飛び込めばよかったのではないか。自分で言っていたという「世の中に必要とされていない」と言うのは本当だと思う。このような人間は、必要とされていないと言うよりは有害な存在ではないか。

 いったいこの男の犯行に対しては、どの程度の量刑になるのだろう。殺人未遂と言っても被害者は軽傷ですんでいる。それに裁判ともなれば、またぞろ弁護士が心神耗弱状態だったとか何とか言って、刑を軽くしようとするだろう。だから凶悪な犯行ではあるが、それほど重い刑にはならないような気がする。おそらくは裁判になってもニュースにもならないかも知れない。

 何はともあれ、電車のホームでは一番前に立つのは止めようと思う。人を見れば泥棒と思えではないが、用心するに越したことはない。異常な精神状態の人間の手にはかかりたくない。


春が来た

2009-03-24 08:46:26 | 身辺雑記
 まだ薄ら寒い日はあるが、もう春は来たようだ。モクレンもコブシも満開で、桜も咲き始めた。

 モクレン(木蓮)。花の色から、しもくれん (紫木蓮)とも言う。モクレン科。中国原産。中国語では木蘭、紫玉蘭。






 ハクモクレン(白木蓮)。モクレン科。モクレンとは別種。中国原産。中国語では白玉蘭。







 コブシ(辛夷)。モクレン科。北海道、本州、九州、韓国済州島に分布。







 サクラ。まだ蕾のもの、ほころび始めのもの、3分咲きのものなどさまざまだが、10日もすれば満開だろう。








赤ちゃんが泳ぐ

2009-03-23 11:09:03 | 中国のこと
 西安の謝俊麗の息子の自軒(ツーシュアン)、愛称撓撓(ナオナオ)は生まれて半年を過ぎた。折々メールで写真を送ってくれるが元気に成長し、知恵もついてきているようだ。最近は泳ぐようになったといって、写真と動画を送ってきた。

 首の周りに、救生圏と言う空気の入ったブイをつけて、温かい水の入った小さなビニール製の水槽の中に入れてやる。水深は撓撓の足が底に届かない程度で、救生圏で浮くような格好になっている。


 動画を見ると、仰向けになり、脚を蛙のように引きつけては伸ばす動きを繰り返えして、水の中を泳ぎ回っている。気持ちよさそうで、いかにも水遊びを楽しんでいるという様子だ。あのように脚を動かすのは教えられたものではないから、本能的なものなのだろうか。以前テレビで、赤ん坊が一般のプールで浮きもつけずに泳ぐ様子を見たことがある。もう少し大きくなったらプールで泳がすかと謝俊麗に尋ねたら、衛生面で心配だから連れていかないと言った。

 中国は一人っ子政策だから、親は子どもを十二分に可愛がって育てる。撓撓も泳ぐための道具のように、いろいろなものを与えられているようだ。

             


 

長身美脚

2009-03-22 12:31:45 | 身辺雑記
 街に出るたびに思うのは、若い女性達の背が高くなったということだ。背が高いだけでなく均整が取れている姿が多い。最近はジーンズやスラックスを着用している女性が多いから、特に目立つ。もちろん男性も身長が高く、脚が長いのが多いのだが、やはり女性のほうに目が行ってしまう。アラフォー世代の女性にも美しいスタイルは少なくないようだ。

 身長が高くなったのは何と言っても、脚が長くなったからだろうが、背丈が高い女性だけでなく、小柄でも脚が長いようだ。近頃は長い脚に見えるようにデザインしたジーンズがあるらしいが、それにしても実際に脚は長くなっているのだろう。ある卒業生の女性は、娘とそれほど背丈は変わらないが、自分のジーンズは脚の長さが娘には合わないと言っていた。

 背が高い上にヒールの高い靴を履くものだから、見上げるようで堂々としているのも少なくない。このような姿を見ていると、いつも犬種ならグレイハウンドというところだろうなと考えてしまう。この犬はドッグレースに出るだけあって、脚が長く腰がくびれ、頭は小さく、まことに格好がいい。


 このように女性のスタイルが良くなったのはいつ頃からなのだろう。50年、60年前はこうではなかった。若い女性には大根足などと悪口を言われるほど、太くて不恰好な脚が少なくなかった。それが半世紀ほどの間に大きく変化したのは、食生活と住生活の変化だろうか。特に畳の上で座ることが普通だった頃と違い、今では椅子の生活が多くなって、成長期に脚を圧迫することがほとんどなくなり、そこへ遺伝的な淘汰も働き、脚は長く、格好良くなっていったのだろう。

 私は脚が短く小柄で、まことにクラシックなスタイルだ。犬で言えば、さしずめダックスフントというところか。こう言ってはダックスフントが気を悪くするかも知れない。この犬はアナグマ(ダックス)を狩るために巣穴に潜り込めるように長胴短足に選択された犬(フント)で、今は本来の役目を終えて、その姿態の愛らしさからペットとしての人気上位にあり、姿かたちに何の取り柄もない私とは大違いだ。


 こんな体型は誰から受け継いだものかと考えると、どうやらは母方の祖母かららしい。祖母は小柄で手足の短い、昔風の女性だった。それに比べると父方の祖母はすらりとしていた。そういうDNAを持っているところに、戦中戦後の少年期にひもじい思いの生活をしたから、このような不細工な体型になったのだろうが、この年になれば今さら誰を恨むこともない。