愛知県半田市内の中学校で今年1月から2月にかけて、1年の男子生徒たちが妊娠6ヶ月の30代の担任の教諭に対し「先生を流産させる会」を結成して、悪質な「いたずら」をしていたという。
3学期が始まった1月に、席替えの決め方に対する不満や、部活動のことで注意されたことに反発して、数人の生徒が担任に反抗しようと計画し、周りの生徒に声をかけて11人で会を結成した。
生徒達は、チョークの粉や歯磨き粉、のりを混ぜ合わせたものを教諭の車にふり撒いたり、教諭の椅子の背もたれのねじを緩めたり、理科の実験で使ったミョウバンと食塩を少しずつ持ち帰り、教諭の給食の中に混ぜたりしたという。椅子が壊れることはなかったし、ミョウバンは食品にも使われるもので毒物ではないから、幸い教諭には被害はなかった。
11人のうち、実行したのは5人で、メンバーの1人が部活動でのもめごとを教諭に叱られたことを根に持っていた。また、クラスでの席替えで一部の生徒を優遇するような配置をしたことに不満があったようだが、教諭によると、不登校気味の生徒の近くに仲のいい生徒を配置したということだ。
この行為は他の生徒が気づいたことで発覚し、学校は保護者同席の上で生徒たちに注意した。今は「深く反省している」と報じられている。校長は「個々にはいい子たちで、最初は信じられず、仰々しいネーミングにも驚いた。ただ、軽いのりからエスカレートしたようで、計画的とまでは言えない。」と話しているそうだ。ある記事によれば「ゲーム的な感覚や友人との付き合いでしたことで、流産させようと本気に画策したわけではないと思う」とも話したという。教諭は刑事告訴はしないという。
中学も2年生に近い年頃の生徒だから丸っきりの子どもの年齢ではあるまい。校長の認識は甘いと思う。このような悪質な行為を「軽いのりからエスカレートしたようで」とか「ゲーム的な感覚」などと言うのはおかしい。生徒達がそのように取れる言い訳をしたのかもしれないが、そのような感覚そのものがいかに悪質なことだということを、校長達は徹底的に生徒に言ったのか。親達も深刻に受け止め、家に帰ってから厳しく指導したのか。「軽いのり」などということは問題の本質をぼかしてしまうことで、もしそのようなことを生徒が言ったのなら、それは許しがたい弁解だということを親の前でも厳しく叱るべきだ。「計画的とまでは言えない」とか、「流産させようと本気に画策したわけではないと思う」などというのは、生徒を思いやったつもりだろうが、校長自身が問題の重大さが分かっていないのではないか。
こういう行為を「いたずら」と言うのだろうか。甘い表現だ。成人の場合なら傷害未遂となるところで、もし実際に椅子が壊れて、教諭が怪我をしたり、本当に流産でもしたら叱りおく程度では済まなかっただろう。子どもだからでは済まされない不愉快な悪ガキどもだ。「流産させる会」というネーミングそのものも悪質だ。「先生の子どもを殺す会」と同じことだと生徒達は気づいていたのか。こういうのがそのまま成人すると、近頃よくある、注意されて逆恨みしたり、命の尊さということに考えが及ばないような輩になるのだ。まだ子どもだからとか、未熟だからとか、悪気はなかったとか言って「理解」を示すような甘さは、子どものためにならないことを教師も認識するべきだと思う。このようなことをしでかした生徒を、親の前でも大声で叱り飛ばすくらいの気骨を教師は持つべきだ。諄々と穏やかに諭すことも大切だが、時には大人が本気で怒っていることを見せないと、いつまでも世の中を甘く見るような人間になる。
3学期が始まった1月に、席替えの決め方に対する不満や、部活動のことで注意されたことに反発して、数人の生徒が担任に反抗しようと計画し、周りの生徒に声をかけて11人で会を結成した。
生徒達は、チョークの粉や歯磨き粉、のりを混ぜ合わせたものを教諭の車にふり撒いたり、教諭の椅子の背もたれのねじを緩めたり、理科の実験で使ったミョウバンと食塩を少しずつ持ち帰り、教諭の給食の中に混ぜたりしたという。椅子が壊れることはなかったし、ミョウバンは食品にも使われるもので毒物ではないから、幸い教諭には被害はなかった。
11人のうち、実行したのは5人で、メンバーの1人が部活動でのもめごとを教諭に叱られたことを根に持っていた。また、クラスでの席替えで一部の生徒を優遇するような配置をしたことに不満があったようだが、教諭によると、不登校気味の生徒の近くに仲のいい生徒を配置したということだ。
この行為は他の生徒が気づいたことで発覚し、学校は保護者同席の上で生徒たちに注意した。今は「深く反省している」と報じられている。校長は「個々にはいい子たちで、最初は信じられず、仰々しいネーミングにも驚いた。ただ、軽いのりからエスカレートしたようで、計画的とまでは言えない。」と話しているそうだ。ある記事によれば「ゲーム的な感覚や友人との付き合いでしたことで、流産させようと本気に画策したわけではないと思う」とも話したという。教諭は刑事告訴はしないという。
中学も2年生に近い年頃の生徒だから丸っきりの子どもの年齢ではあるまい。校長の認識は甘いと思う。このような悪質な行為を「軽いのりからエスカレートしたようで」とか「ゲーム的な感覚」などと言うのはおかしい。生徒達がそのように取れる言い訳をしたのかもしれないが、そのような感覚そのものがいかに悪質なことだということを、校長達は徹底的に生徒に言ったのか。親達も深刻に受け止め、家に帰ってから厳しく指導したのか。「軽いのり」などということは問題の本質をぼかしてしまうことで、もしそのようなことを生徒が言ったのなら、それは許しがたい弁解だということを親の前でも厳しく叱るべきだ。「計画的とまでは言えない」とか、「流産させようと本気に画策したわけではないと思う」などというのは、生徒を思いやったつもりだろうが、校長自身が問題の重大さが分かっていないのではないか。
こういう行為を「いたずら」と言うのだろうか。甘い表現だ。成人の場合なら傷害未遂となるところで、もし実際に椅子が壊れて、教諭が怪我をしたり、本当に流産でもしたら叱りおく程度では済まなかっただろう。子どもだからでは済まされない不愉快な悪ガキどもだ。「流産させる会」というネーミングそのものも悪質だ。「先生の子どもを殺す会」と同じことだと生徒達は気づいていたのか。こういうのがそのまま成人すると、近頃よくある、注意されて逆恨みしたり、命の尊さということに考えが及ばないような輩になるのだ。まだ子どもだからとか、未熟だからとか、悪気はなかったとか言って「理解」を示すような甘さは、子どものためにならないことを教師も認識するべきだと思う。このようなことをしでかした生徒を、親の前でも大声で叱り飛ばすくらいの気骨を教師は持つべきだ。諄々と穏やかに諭すことも大切だが、時には大人が本気で怒っていることを見せないと、いつまでも世の中を甘く見るような人間になる。