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緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

迂闊だった(老眼の話)

2010-08-23 10:10:00 | 「緑香庵」的なもの

家のいたるところに老眼鏡が置いてあります。
最近急速に老眼が進んで、近くの小さなものが本当に
見えなくなってきました。
トイレ(本が読みたくなるからね)、
リビング(新聞読んだりね)、
食卓(新聞とか手紙とかパッケージの裏とかね)、
勉強机(パソコンもね)、
枕元(寝る前の読書や体温計の数字を見たりね)。

100円ショップで買った眼鏡が、いたるところにワラワラと、
たくさん、とにかくすぐ手の届く所にあるわけです。

で、たまたま先日トイレから眼鏡をしたまま出てきてしまって
洗面所の鏡をみてたまげた。

顔のカサつきは無いし、更年期の割に肌の調子が良いなあと
思ってたのに、なんだこの毛穴は。
きゃー大変だ。ほぼ絶叫。
小鼻周りからほほにかけてポツポツと小さな黒い点々が。
手触りでは全然気がつかなかった。
鏡は毎日見てたけど、自前のソフトフォーカスがかかっていたのね。
まったく見えてませんでした。

それからもうせっせせっせと毛穴ケアですよ。
オイルでクルクルとクレンジングしたり、クレイでパックしたり。
なかなか一朝一夕には毛穴は小さくできないけれど、
とにかく地道に頑張らねば。
なにより一番大事なのは保湿だ。
そしてすぐに洗面所にも眼鏡を常備しました。

見えないとは恐ろしいことよ。
そういえば先日80歳になる我が母親が、
あごと頬に、ぴよーんと1.5センチ程のヒゲ(?)的なものを
はやしておられました。
私はおや? と思ったのだけれど、
『宝ひげとして大事にとってあるのかな?』と、
特に指摘はせずにおりました。
ありゃ見えてないんだなきっと。

近頃は年のせいか実家のお掃除もなんとなく大雑把に
なってきたなと思ってましたが、それもきっと見えてないからなんでしょう。
私も気をつけなければ。


50才になって立ちこぎをおぼえた。自転車の。

2010-08-18 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
50才になって立ちこぎをおぼえた。自転車の。

自転車に乗れるようになったのは19才の夏、大学浪人中でした。
あれから約30年、ずっと自転車には乗ってきたけれど、
そして立ってこいだことがなかったわけじゃないけれど、
先日初めての感覚を味わいました。
こんなことは、小さな頃から自分の足のように自転車を
乗りこなしてきた人には何でもないことなんだろうなあ。
でも私にはちょっと世界が変わるくらい新鮮でした。

立ちこぎをしながらペダルを前後に同じ高さに(180度に)します。
腰と腕を伸ばして、一番高い所に居る感じ。
そのままこぐのをやめて自転車が惰性で走るのに任せていると、
ちょうど滑空しているような気分を味わうことができます。
これが気持ちいい。

新しい感覚を味わうと、自由を手に入れた感じがします。

19才の私と一緒に、私の母もいっしょに
初めて自転車に乗れるようになったのですが、
そのときの母は49才。今の私とほぼ同じですね。
母も自転車に乗れるようになって
自由な気分を味わったのでしょうか。
「乗れない」→「乗れる」だから、より落差が大きい分、
感じるものも大きかったでしょうか。

当時19才、現在50才のおばさんは中学生みたいな乗り方で、
今日も世田谷を疾走しております。


ひまし油の仕事

2010-07-24 08:32:41 | 「緑香庵」的なもの

■ しまった!
サッシで指を挟んだ。
左手親指、爪の付け根、三日月の辺。
「しまった!」とすぐに手近にあったひまし油を
爪の表面にたらーり。
「あれ? 痛くない。たいしたことなかったんだな。」と思いつつ、
一応冷やしておこうと蛇口の下で流水にかざした途端「痛いっ。」
ズキズキと脈打ち始めました。
流水の刺激がこたえるのかと溜め水に浸してみてもやっぱり痛い。
おやおやおや、ますます痛くなってくるよ。
やっぱりもう一度ひまし油たらーり。
「あれ? 痛くないぞ。」
いやいや奥の方で何かが起きている感覚はあるけれど、
「痛み」という苦痛は感じない。
生温かいオイルにくるまれて、むしろふんわりといい気持ち。
なんでしょこれ。

■ ファーストエイドとしてのひまし油
ひまし油がファーストエイドに使えることは以前から知ってました。
ちょっと目を怪我したときなどもひまし油をタラリ、
以前、足の指をぶつけた時もひまし油とセントジョーンズワート
とラベンダーでしのぎました。

ひまし油は普段からトリートメントでもよく使います。
どうしても流してしまいたい「滞り」や、
冷え・硬直の強い部分に、ひまし油+温湿布。
(セントジョーンズワートやアルニカを使うこともあります。)
肌/オイル/ラップ/ホットタオルの順番で重ねて使います。
これは浸透を期待した使い方ですね。

でも今回は爪の上にたらした途端ですよ。
もちろん染み込む間もない。
しかも爪の上、皮膚でも粘膜でもない。
さらに怪我直後なので温めることもしませんでした。
オイルが爪の上に乗っているのは感じられるけれど、
それだけでなんでこんなに保護された感じになるのかしら。
非常に柔らかい温かな手で、挟まれた指ごと包まれているような感覚。
そのまま上からティッシュでくるんで数時間、
奥の方のズキズキもおさまりました。
おかげさまで紫にも変色せず、
怪我の記憶は確かにあるものの生活に支障無く過ごせました。

これだけの効果を感じることができるというのは面白い。
ひまし油のとろりとした粘度の高い質感がよい働きをしているように思います。
ひまし油が炎症の熱を取ってくれるようなイメージもあります。
怪我の瞬間、人は本能的にその場所を手で抑えたり覆ったりするものですが、
患部を外界から遮断するというのは
それだけで意味のあることなのかもしれません。
保護剤としてのひまし油の力に驚かされた出来事でした。
(2日後でもキーボードを打つと爪の奥がうずきました。
それなりに大した怪我だったのね。)


新しい勉強

2010-07-15 18:03:03 | 「緑香庵」的なもの
最近勉強し始めたボディワークがあります。
以前にもセミナーに行ったことがある
ロルフィングを基調とした、
身体に関するあれこれを学ぶレッスンです。

ひとつの事柄を表すのに色々な言葉があるように、
ボディワークにも様々な手法があります。
新しいボディワークを習うというのは、
単に施術テクニックの「引き出し」を増やすというだけではなく、
新しい角度の考え方に出会うという意味を持ちます。

そこで使われるボキャブラリーも新鮮です。
固定化した感覚が揺さぶられ、
身体に対峙する時の自由度が増していくということでもあります。

ボディワーク勉強ジプシー
(注:いろんなボディワーク系の勉強にあちこち首を突っ込んで、
腰を落ち着けない流浪の民のようなヒトのこと。)

になってはいかんというご意見もあるでしょうが、
「感覚停止?思考停止?ひいては狂信」に陥らないために、
常に刺激を受け続けることが、
どうも私には必要なようです。

■ できないことにぶち当たるのは嬉しい
というわけで始まった新たなるお勉強。
さっそく新鮮な言葉に出会いました。
「介入しないで待つ」
(意識はできなくとも)「自分の身体の感受性を信じる」
これは二つとも「触察力を高める」というテーマのもと
クラニオセイクラルという療法の基礎訓練に臨んだ時に得た言葉。

普段意識している指先や手のひらから伝わってくる繊細な感覚を
あえて抑制して、
自分の肘や肩に無意識に伝わっているクライアントの身体の律動を
キャッチする試み。
ボディワーク系にご興味のない方には「なんのこっちゃ」でしょうが、
私にはこれがすこぶる面白かった。

ですが、まあこの「律動」とやら、見事に解らない。全然感じ取れない。
でも確かに私の肘は反応している。でも、意識はできない。
ぜんぜんだめじゃーん。
だがしかし、これも別の講座でいただいた言葉
「うまく行かない所にこそノビシロがある。そこが成長のチャンス。」
だからね、できないことにぶち当たるのは嬉しいことなのよ。


"快" < "不快"

2010-06-16 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
伊豆高原方面へほんの数時間だけ訪れる機会がありました。
用事の合間だったので本当にちょっと。
まず緑の絶対量が違う。当然空気も違う。
もうそれだけで生まれ変わります。
雨が降っていましたが、そんなの関係ない。
むしろ葉っぱがつやつやで雨、ブラボー!です。
明らかに自分の中で何かが変わった感じがしました。

■ 人間はネガティブに敏感なようにできている
頭の芯には蛇が棲んでいる。
脳の一番深い所、「爬虫類の脳」と言われる所に
「恐怖」や「怒り」の感情は宿ります。
これはまだ理性や意識を獲得する以前の
原始的な生き物にとって、恐怖や怒りが、
命に関わる特別大事な感覚であったことを意味しています。

「快」を追求するより「不快」を避けることのほうが
生命維持には切実ということですね。
だから「嬉しい」「気持ちいい」より「痛い」「怖い」が
優先されるのは動物として当たり前。
人間が大きく複雑な脳を獲得した今となっても、
身体も心も、ネガティブな刺激に対して、より敏感です。

そしてネガティブな感覚はあとを引く。
取り込まれ、振り回され、自分でも知らずのうちに
さらなるネガティブ刺激を探してしまったり。
結果、「嫌な感じ」は雪だるま式に増えて行く。
まさにドロ沼。
誰でもこういう感じに憶えがあるのではないでしょうか。

■ アロマの出番です
こうなったらどこかでそれにストップをかけなくてはなりません。
「負」を重んじてしまうのが人というものの特性ならば、
そのことを認識し、時には意識的に「心地良い」を感じる
時間を持つことが大切でしょう。
連鎖する「負」の反応に「ちょっと待った」をかけてみる。

そこで、アロマです。
脳の深いところに働きかけるからこそ、香りは一番にお勧め。
別に精油である必要はありません。
いい陽気になってきたことだし、植物の香りを味わいに自然のもとへ
お出かけならなおよろし。
「安全」「安心」のメッセージを、嗅覚のみならず五感を通して
全身に浴びる、これは効果大です。

実は私、体調やら気分やら結構うつうつとしていたようです。
スッキリしてみて気がついた。
日々ストレスの種は絶え間なく発生します。
人は大きな脳を持った故に不要な荷物を背負い込んでしまいがち。
でもそれを逆手に取って、自分の状態を自覚し、
状況の方を変化させることができるのも人間。

■ ふかいことをゆかいに
また状況の解釈を見直すことで、身の回りに起きることの
意味を変えることだってできます。
以前流行ったポジティブシンキングは好きじゃなかったけれど、
ネガティブな感覚に蓋をするのではなく、それをあえて認識して、
さらに別のものに変換していくというのならば、
実はとても人間らしい営みなのかもしれません。

先日亡くなった井上ひさしさんの言葉に
「むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/
ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに書くこと」
というのがあります。

沁みますな。