「死ぬのが怖いから飼わないなんて、言わないで欲しい」
これは2004年のペットフードの広告コピーだ。
広告はこう続く。
「…(中略)
だけど、死ぬのがこわいからといわれたら
犬はもうお手上げだ。
全ての犬は永遠じゃない。いつかはいなくなる。
でもそれまでは、すごく生きている。
すごく生きているよ。
(後略)」
昨年、病院で父を見送った。
人は
死のタイミングも方法も場所も
結局選べないんじゃないんだろうか。
どんなに手を尽くしても、
死に向かって生きる時間は止められない。
良い治療法が見つかれば、
もしかしたら、何年か命は延ばせるかもしれない。
でもそれだって
生物の時間、
宇宙の時間からすれば、
誤差の範囲なんだろう。
だから何をやっても無駄
と言う訳じゃないけど。
いつ
どんなふうに
死ぬのか。
やっぱり、
生き物自身はコントロールすることができない。
死のデザインは誰にも出来ない。
死に方にいいも悪いもない。
死についてはもうお手上げなんだ。
あの日、
自分のこととして、自分の大切な人のこととして、
誰もが知ったのじゃないだろうか。
でもその瞬間まで、
人という生き物だって、
すごく生きている。
すごく生きているよ。
尽くす手は
死のためではない。
すごく生きることの一部として。
父はすごく生きてたなあ。
今になってわかる。
父の側で私も
わちゃわちゃしながら
すごく生きていたんだ、多分。