いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

紅梅  津村節子 著

2011年11月29日 | 小説
急に思い立ってPCを立ち上げましたが、すいぶん久しぶりの更新となってしまいました。

時の流れの早さに驚きながらも精神的均衡と疲労回復に心がけていると、季節の変化を堪能している暇もなく、インターネットの記事を読みながら秋も深まってしまっていることを実感します。そういえば今年の南関東の特に海岸沿いの地域の紅葉はあまり綺麗とは言えませんね。9月の台風の塩害や天候不順が原因と言われているそうですが〜。

今日の記事は津村節子氏の「紅梅」です。津村氏の夫吉村昭氏の闘病生活を私小説化したものです。吉村昭氏は私の好きな作家の一人です。特に歴史小説が好きでした。もちろん津村氏の小説も好きでしたが私は長い間このお二人が夫婦であることを知りませんでした。津村氏の夫婦の機微を綴った小説を読むうち私は吉村氏の作品の背景にあるものを想像してみるようになっていました。と同時に夫を支えながら自らも小説を書き、子供を育て上げた津村氏をたいへん敬服するようになりました。

私は5年ほど前から家族の介護と向き合っています。津村氏も吉村氏も私の両親よりほんの少し年下ですがほぼ同世代、戦争と戦後の混乱の中を生き抜いてこられたお二人の生き方に触れることは私の親の時代の背景を別の角度から見るようでもありました。ですからとても興味があり、どんな小さな断片でもいいから私が向き合う今の環境へのヒントがないかと・・・・たぶんそんな気持ちからこの本を手に取ったように思います。

それは偉大な作家というよりごく普通の闘病生活のようでもあり、私自身の身内をめぐる家族の者たちの葛藤に重なるようでもありました。

育子(小説形式なので育子を主人公に書かれています。)は夫の最後の言葉を聞きとることができませんでした。育子の夫の最後の振る舞いは育子の余生へ大きな問いを残します。こんな日が私にも訪れるのでしょうか?それとも私が先でしょうか?いずれにしてもその日はまだ何十年か先であって欲しいと思いながら私は、癌の闘病生活を送っていた母との最後の会話は「じゃあ、明日また来るからね。」「ありがとう、また明日ね」・・・だったことを思い出しました。その晩、母は病状が急変して亡くなりました。もう25年近く前のことです。

日本人男性の平均寿命をはるかに越えた父は何度か危篤状態に陥るほどの病を乗り越え今静かに余生を送っています。但し、生きるために介護が必要な身になってしまいました。義父母もまたそれぞれが私の父と同様の状況で現在に至っています。

医学の進歩に驚かされるとと共に、長寿社会を作り上げた現在の平和な社会もやはり驚くべきことなのかもしれません。
でも、「しあわせとは何か?」という問いかけの確固たる答えにつながるものでもなさそうです。

津村氏の思いからは飛躍してしまったかもしれません。

しかし、これは家族とは何か〜人間の尊厳とは何かを改めて考えさせられる本でもありました。


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