いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

月の輪草子

2014年04月12日 | 小説
いつの間にか首都圏の桜の季節もほぼ終わろうとしています。今年は身辺の用事に追われ、満開の桜を堪能する暇はなく、ようやく春の訪れを実感出来たのは、ひらひらと宙を舞う花吹雪の桜並木を歩いた時でした。

さて、今回は瀬戸内寂聴氏の[月の輪草子]です。これは齢九十を迎える清少納言の宮仕えのころを中心とした回想録という設定です。
清少納言が枕草子では書かなかった中宮定子の不幸な晩年についても書かれています。実際に清少納言が何歳まで生きていたのかは知りませんが、寂聴さんが語る清少納言によって、まるで千年の時を経て21世紀に生きている私たちが月の輪の庵に招かれているような気分になります。ただ、ちょっと残念だったのは、内容は判りやすいのですがあっけない感じですぐ読み終えてしまったことでした。(もっとこの時間を楽しみたかったような・・・・・)
源氏物語の作者-紫式部と清少納言は同時代に生きていたことはよく知られています。紫式部が清少納言の悪口を書いていたことが紫式部日記によってわかっていますが、ここでは最初から「紫式部は大きらい」と言いきっています。もっともこの時代の宮中には、和泉式部や赤染衛門など才媛たちが仕えていました。
枕草子や源氏物語の他にも優れた和歌がたくさん残されていて、文学的にも当時のポテンシャルの高さを感じます。
読み進めるうちに源氏物語の現代語訳をされた寂聴さんらしい切り口が感じられます。千年の時を遡って寂聴さんに誘われた清少納言の人生に思いを馳せることができます。中宮定子に対する忠誠心は並大抵のものではありません。まるで、恋人のような、神様のような思い入れは千年もわが国で読み継がれた枕草子の作者である才女清少納言の可愛らしい部分であるのかもしれません。
ところで寂聴さんが以前に源氏物語の桐壷の更衣のモデルは藤原道隆の娘、中宮定子ではないかとおっしゃっていたのを聞いたことがあります。ということは同時代に生きながら宮中では対立する立場の紫式部(道隆の弟である藤原道長の娘で一条天皇の中宮となった彰子に仕えた女房)に中関白家の没落と定子の苦境を書かれたことになります。桐壷は源氏物語の冒頭ですから、高校の教科書にも登場し、もっとも多くの人に読まれている章ではないかと思います。
枕草子や源氏物語が書かれた時代は、歴史的にも貴族たちが活躍した華やかな時代です。藤原道隆や道長の父である兼家の妻で「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱母や儀同三司母(伊周、隆家、定子の母)を始め、清少納言や紫式部、赤染衛門や和泉式部など藤原定家が選んだ百人一首の中に納められている歌人の歌は今でも私たちが親しんでいるものです。
寂聴さんが清少納言の父、清原元輔や 曽祖父、深養父についても書かれていますが、このお二人の歌も百人一首の中にあります。この本にはありませんが、百人一首の中にある「うらみわび・・・」で始まる歌で知られる相模(大江公資の妻で後に宮中に出仕)は、十代のころ清少納言と橘則光の息子 橘則長と結婚していたことがあるといわれています。

まあ、そんなわけで寂聴さんの「月の輪草子」は清少納言の人生をふりかえりながら、その内容を超え、ちょっと一晩、平安時代の宮中の生活や、百人一首の中の平安貴族の歌やその関係に思いを廻らせることが出来た一冊でした。


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