笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

「ジュラシック・ワールド」 ~監督がスピルバークである必要、ある?

2015年08月15日 00時35分10秒 | 映画
シリーズ第1作目の「ジュラシック・パーク」は、サム・ニール扮する子供嫌いな古生物学者が最後には子供好きになり「僕にも進化が必要だな」なんて呟くシーンもあり、アドベンチャームービーなんだけどハートウォーミングな、とても好きな作品でした。
恐竜たちの描きかたも草食獣も肉食獣もそれぞれに美しく、ひとつひとつのカットがまさに「絵になって」いるなぁ、と感じたものです。(あんなにも生き生きと動く恐竜を描いた作品が初めてだった、ということもありますが)
なので、これ以後のシリーズ作品はどれもご都合主義のB級作品のばかり、って感じていました。

で、今回スピルバーグが総指揮を執る!ということで、なんだかとても期待していたんですよね。
なんというか、これまでの「B級感」を一掃してくれるのではないだろうか、と。。

ところが開けてみれば、登場人物は多く、主人公が誰なのかわからず(おまけに誰にも共感が持てず)、恐竜たちに個性は感じられず、人間と恐竜の信頼感(心の交流?)などというご都合主義まで飛び出す、かなり「びっくり」な作品になっていたのです。(あくまで個人的な感想です)
で、ご多分に漏れず「恐竜を人間が操り、軍事産業に転用しよう!」だし。
どこかで似たような作品見たことがあったなぁ、と思っていたら、思い出しましたよ。

「エイリアン」

あの作品も、エイリアンを捕えて、軍事産業に転用できないか考える人間がいて、挙句の果てにはエイリアンと人間を混ぜるというストーリーでした。
「ジュラシック・ワールド」でも恐竜に遺伝子操作をして「人間に都合の良い生き物」を造ろうとしているくだりがありましたっけ。
で、結局それらは人間の手に負えるものではなく、最後は彼ら自身に何とかしてもらう。。。

この作品って、いったい何が言いたかったんでしょうか?
というより、「これこそがジュラシック・ワールドなのだ!」という皮肉だったんでしょうか?
秘書の女性のグロテスクな死に方といい、スピルバークに期待しすぎた私がおろかだったのか。。。(^_^;)

まぁ、いずれにしても、ワタクシ的には期待外れな作品でございました。
このシリーズにこれ以上の「進化」は望まないことにします。

あくまでも個人の感じ方ですので、あしからず。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 悪玉コレステロール値が正常... | トップ | 「八つ墓村」(1977) ~怖... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事