1985年以降を勝手に「現代将棋の時代」と命名して、その歴史を何回かで整理していきます。なぜ85年かというと、羽生善治のプロデビュー年(85年12月18日昇段)なので。
羽生善治という棋士を中心にこの20年ほど動いている現代将棋の歴史、まず第一部の「羽生善治の棋士デビュー後の台頭」から簡単に辿っていく。
まずは羽生善治という将棋棋士の業績をまるまま記録としてリアルタイムに更新しているサイトの紹介から。
玲瓏(れいろう) http://www.rayraw.com/habu/
ちなみに「玲瓏」というのは、羽生四冠が揮毫するレパートリーの一つ。玉(ぎょく)などがさわやかに澄み切った様子を表現することばらしい。 このHPで整理されている情報は非常に有用なので、しばしば活用させてもらうことにします。
で、羽生善治の来歴、1970年9月生まれ、小学校6年生でNHKで放送される小学生名人戦で優勝。同年将棋プロへの登竜門である奨励会(正式名は「新進棋士奨励会」)に6級で入会。ちなみに、奨励会6級はアマチュアの4・5段クラスと一般的に言われている。順調に昇級昇段して84年1月初段昇段(囲碁将棋の世界では「入品(にゅうほん)」と呼ぶ、仏教用語ですね)85年(昭和60年)12月四段昇段。
ちなみに中学生でのプロ棋士は「神武以来の天才」加藤一二三、「神武以来の天才以来の天才」谷川浩司に次いでこの時点で三人目。(将棋界は四段からがプロ棋士)以降がプロ棋士としての歩みになる。
年度毎の成績(将棋界の年度は4月~翌年3月まで)
85年度 8勝 2敗 .800
86年度 40勝14敗 .741
→将棋大賞:最高勝率賞
87年度 50勝11敗 .820
→将棋大賞:最高勝率賞 最多勝利賞
この数字を見てどの位すごいか俄かにはぴんとこないこととおもうが、将棋棋士の一流の条件が、一般的に「年度30勝且つ勝率6割」と言われており、これをクリアできる棋士は150名前後の全棋士の中で毎年10名前後である。
ちなみに羽生善治が上記の水準を達成できなかった年度はわずかに1年度だけ、それも七冠王達成直後の年度で、特殊事情があった(タイトル保持者は予選がなくなるので、七冠全部とってしまうと対局数そのものが激減する)もので、実質的には毎年クリアしているといえる。
さらに補足をすると、若手棋士が高い勝率を上げるのは理由がある。タイトル棋戦等の対局にはそれぞれ若干の違いがあるものの予選→本戦→最終リーグ等の段階を経て優勝者(タイトル挑戦者)を決定するプロセスがあり、実績のない若手はすべて予選の第一段階から対戦する構造になっている。そこには年老いてかつての力を失い降級してきた、下り坂の年配棋士群やプロにはなったものの鳴かず飛ばずの一流になれなかったプロがピラミッドの下層部分の構成員となっていて、伸び盛りの若手にとってみればさながら勝星の草刈場の様相を呈するのである。
それにしてもこの勝率は高い!実質初年度である86年度から最高勝率賞を取り、棋界の中では「将来の将棋界を担う逸材」として栴檀は双葉より~の例えのように周囲から一目も二目も置かれる存在であった。
そして白眉の翌88年度
88年度 64勝16敗 .800
→将棋大賞:最優秀棋士賞 最高勝率賞 最多勝利賞(当時歴代最多勝) 最多対局賞 連勝賞(18連勝)
という成績。64勝は以降に羽生自身が塗り替えるまでずっと歴代1位の勝ち星だった。
単なるスペックとしての成績のみならず、視聴者に大きなインパクトを上げる棋戦優勝も遂げた。NHK杯将棋トーナメント、毎週日曜AMにやっているあの将棋棋戦で初優勝したのである。
単なる初優勝ではない。優勝までの対戦相手(肩書きはいずれも当時)が、
一回戦 山口 英夫七段
二回戦 福崎 文吾七段
三回戦 大山 康晴十五世名人(1)
準々決勝加藤 一二三九段 (2)
準決勝 谷川 浩司名人 (3)
決勝戦 中原 誠 王座 (4)
と現名人を含む歴代4名の名人経験者を4連破しての優勝、当時17~18歳にかけての若手五段の快進撃は大きな反響を呼んだ。 その快進撃の中で生まれた歴史的な手を紹介する。
「羽生の▲5二銀」として有名。画像はその手がでる直前の盤面である。時間のないTV棋戦で、このようなアクロバティックな決め手が出せる局面を創れるとは、想像を絶するものがある。
その時を遡ること7年ほど前、小学生名人を取ったときに、表彰式の後、解説で出演していた谷川浩司名人(当時)と羽生少年を見比べて、当時将棋連盟会長であった大山康晴が言った一言がアル。「あと10年もすれば、ここにいる谷川名人と好勝負ができるような棋士になるかもしれない」とリップサービスをしたのである。偶然とはいえその言葉が実現した。
後にもっと大きな存在になるとはこの時点で想像できたものは少なかったのではなかろうか。ちなみにrobiheiはこの当時羽生善治という少年は名前を知っているか知らないか程度の存在でした。あー、もったいない。
ちょっと長くなったので台頭編も2部作とします。次回は竜王位獲得、そしてその失冠、そして捲土重来となる棋王位獲得からタイトル数の拡大期の入り口までをあげるようにします。