一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
わが娘
どこと家でもよくあることだと思いますが、夫婦は喧嘩とまでもいわないまでもよく言い合いになります。またどこの家でもそうだと思いますが言葉では嫁さんのほうが旦那よりも上です。私も火に油をそそぐような言動はなるべく慎むようにしています。
でも最近では私に強い味方が現われました。娘です。妻と言い合いになり私が劣勢にたたされていると思うと必ず助けに入ります。昨日はパパこっちにきてと話の最中に私の手をひっぱり自分の方へと誘導しました。嫁もキョトンとしてしまい、そこで話は終了です。
「ママ、パパにあまり怒らないで。怒るとパパが悲しいからダメでしょ」そんな娘の説得は一番の緩和剤になります。思えば子供にこんなに気を使わせているなんて情けなく思います。それでもこんなに小さくてももしかしたら私なんかより前世、徳を積んできているのではないかと思わされることも多いです。とにかく平和主義者な娘は友達のいやがることはしません。また子供の喧嘩で友達にいろいろ言われても、家に帰ってきて「○○ちゃんにこんなこと言われて悲しかったけど、○○ちゃんは大丈夫かな」と相手のことを気遣います。先日の父の葬儀の時も、告別式の前に火葬だったのですが、父がお骨になってしまったら急に泣き出し、「おじいちゃんがいなくなっちゃったー」と暫く泣きとおしていました。仕方なくそっくりな父の弟のおじさんに抱いてなぐさめてもらいました。こちらに帰って来てからはまわりの人におじいちゃんが火で燃えていなくなってしまったと言いふらしているみたいです。
昨日も一人で父の遺影の前で何か話していました。「おじいちゃん、おやすみなさい」チーン。
親ばかですが心やさしい娘をもって幸せです。
でも最近では私に強い味方が現われました。娘です。妻と言い合いになり私が劣勢にたたされていると思うと必ず助けに入ります。昨日はパパこっちにきてと話の最中に私の手をひっぱり自分の方へと誘導しました。嫁もキョトンとしてしまい、そこで話は終了です。
「ママ、パパにあまり怒らないで。怒るとパパが悲しいからダメでしょ」そんな娘の説得は一番の緩和剤になります。思えば子供にこんなに気を使わせているなんて情けなく思います。それでもこんなに小さくてももしかしたら私なんかより前世、徳を積んできているのではないかと思わされることも多いです。とにかく平和主義者な娘は友達のいやがることはしません。また子供の喧嘩で友達にいろいろ言われても、家に帰ってきて「○○ちゃんにこんなこと言われて悲しかったけど、○○ちゃんは大丈夫かな」と相手のことを気遣います。先日の父の葬儀の時も、告別式の前に火葬だったのですが、父がお骨になってしまったら急に泣き出し、「おじいちゃんがいなくなっちゃったー」と暫く泣きとおしていました。仕方なくそっくりな父の弟のおじさんに抱いてなぐさめてもらいました。こちらに帰って来てからはまわりの人におじいちゃんが火で燃えていなくなってしまったと言いふらしているみたいです。
昨日も一人で父の遺影の前で何か話していました。「おじいちゃん、おやすみなさい」チーン。
親ばかですが心やさしい娘をもって幸せです。
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冬来たりなば春遠からじ
秋から冬にかけてだんだんと寒さが増してくるのと違い、大寒を過ぎた今少しづつ季節に明るさが戻ってきているようにも思えます。特に今日の外の景色はまるで春のように明るく感じられ、気分も良くなるみたいです。
私は3月生れです。いわゆる早生まれで兄とは学年が一つ違いですが、年としては二つ違いです。よく早生まれの人は4月とか5月生まれの人よりも、身体が小さく発達が遅いと言われますがあまり気にしたことはありませんでした。それでもあと一か月遅く生まれていたら下の学年で、すごーく活躍できたのではないかと思うと3月生れでもよくがんばってきたと思います。
世の中をみると昔裕福だった家庭が今も裕福かといえばそうも限りません。反対に昔は極貧生活を強いられていたとしても子供や孫に優秀な方がいて現在は成功者として裕福になっていることも多々あります。日本人は先祖信仰と自然崇拝を大切にしてきた民族です。各家庭に神棚と仏壇があるのは、今でこそ核家族化で置かない人も増えてきましたが、一昔前まで当たり前に各家庭に安置されていました。先祖のおかげと言う考え方は日本人であることのDNAの中に強く刻み込まれてきたのです。しかし今、その考え方に変化が訪れています。先祖代々と思ってお参りするお墓は後継者不足や少子化、未婚化や貧富の格差。それらの問題により墓じまいや無縁墓になる確率が高くなってきました。娘しか子供がいなく、娘さんが嫁ぎ先に自分の両親のお位牌をもっていったり、一緒のお墓に納骨したりする話もよく聞くようになりました。
私はご先祖様は家と子孫の繁栄を一番に望んでいると思ってきました。しかし今の時代は自分の家族を守るので精一杯になってしまったような気がします。何代も続いた家系が途絶えてしまうことも残念ながら起きてしまうのです。
先祖が因縁の浄化と子孫の魂の向上を一番に望んでいるのなら、守るべきものは家柄や現世的な繁栄ではありません。この世で何が正しくて、清々しく、すーと思えるか。それは見栄やプライドにこだわらずに世の為、人の為に無欲になり己のおかれた立場を全うすることです。そのうえでもし成功者となりえなかったとしても、先祖の貫いてきた思いは永遠に遺るはずだと思います。
春は我欲を離れれば自ずと訪れる筈です。
私は3月生れです。いわゆる早生まれで兄とは学年が一つ違いですが、年としては二つ違いです。よく早生まれの人は4月とか5月生まれの人よりも、身体が小さく発達が遅いと言われますがあまり気にしたことはありませんでした。それでもあと一か月遅く生まれていたら下の学年で、すごーく活躍できたのではないかと思うと3月生れでもよくがんばってきたと思います。
世の中をみると昔裕福だった家庭が今も裕福かといえばそうも限りません。反対に昔は極貧生活を強いられていたとしても子供や孫に優秀な方がいて現在は成功者として裕福になっていることも多々あります。日本人は先祖信仰と自然崇拝を大切にしてきた民族です。各家庭に神棚と仏壇があるのは、今でこそ核家族化で置かない人も増えてきましたが、一昔前まで当たり前に各家庭に安置されていました。先祖のおかげと言う考え方は日本人であることのDNAの中に強く刻み込まれてきたのです。しかし今、その考え方に変化が訪れています。先祖代々と思ってお参りするお墓は後継者不足や少子化、未婚化や貧富の格差。それらの問題により墓じまいや無縁墓になる確率が高くなってきました。娘しか子供がいなく、娘さんが嫁ぎ先に自分の両親のお位牌をもっていったり、一緒のお墓に納骨したりする話もよく聞くようになりました。
私はご先祖様は家と子孫の繁栄を一番に望んでいると思ってきました。しかし今の時代は自分の家族を守るので精一杯になってしまったような気がします。何代も続いた家系が途絶えてしまうことも残念ながら起きてしまうのです。
先祖が因縁の浄化と子孫の魂の向上を一番に望んでいるのなら、守るべきものは家柄や現世的な繁栄ではありません。この世で何が正しくて、清々しく、すーと思えるか。それは見栄やプライドにこだわらずに世の為、人の為に無欲になり己のおかれた立場を全うすることです。そのうえでもし成功者となりえなかったとしても、先祖の貫いてきた思いは永遠に遺るはずだと思います。
春は我欲を離れれば自ずと訪れる筈です。
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動く
何も思いうかばない時、その時は物事の結果にこだわらずとにかく進みましょう。じっとしていれば何かが変わるかもしれません。それでも動くことにより流れは変えやすくなります。
静かに物事を熟考し、判断力を練ることはことは大切なことです。何かあれば慌てずにコツコツ物事にあたれば大抵のことは克服できます。それでも中には自分の力では到底越えられないような無理難題もあるのです。それらのことを譬えるならいきなりエベレスト級の山が目の前に立ちはだかったようなものです。もしそうであるなら「はい。すぐにこの山を登ってください」と言われても装備や経験がなければ一歩踏み出すことさえもできません。動く、前進することは一歩一歩山に登り、装備を整える作業でもあります。
雰囲気を味方につける。このことはとても大切です。思いの一念が徐々に固まり、自分自身に防御策を作り、態勢が整います。結果を気にせずその体制を続けることが最善の結果をうみだすことにもつながるのです。
苦しいこと辛いことも、生きていさえすれば再び必ず良いことも訪れます。人に迷惑をかけずに信念を曲げなければ、たとえ瀕死の状態からも持ち直すことができるのです。すべては生きてこそです。
静かに物事を熟考し、判断力を練ることはことは大切なことです。何かあれば慌てずにコツコツ物事にあたれば大抵のことは克服できます。それでも中には自分の力では到底越えられないような無理難題もあるのです。それらのことを譬えるならいきなりエベレスト級の山が目の前に立ちはだかったようなものです。もしそうであるなら「はい。すぐにこの山を登ってください」と言われても装備や経験がなければ一歩踏み出すことさえもできません。動く、前進することは一歩一歩山に登り、装備を整える作業でもあります。
雰囲気を味方につける。このことはとても大切です。思いの一念が徐々に固まり、自分自身に防御策を作り、態勢が整います。結果を気にせずその体制を続けることが最善の結果をうみだすことにもつながるのです。
苦しいこと辛いことも、生きていさえすれば再び必ず良いことも訪れます。人に迷惑をかけずに信念を曲げなければ、たとえ瀕死の状態からも持ち直すことができるのです。すべては生きてこそです。
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父と兄弟妹
私は四人兄弟の二番目の子です。男三人、一番下が妹になります。両親は何とか欲しくてようやく授かった女の子だったのでしょう。妹は可愛がられて育ちました。妹が母のお腹に宿った時、父はあろうことかまた男だろうと母と喧嘩しました。産まれた時に喜んで駆け付けた父に母は逆に厳しい言葉で叱責したそうです。とにかく女親にとっては娘がいることは助かるみたいで、今回の父の闘病生活も一番両親を支えてくれました。
兄は私の一つ上です。私と違いとても社交的で楽天家です。人付き合いもことのほかよく、陽気な酒好きです。酒をのんでも飲まれません。面倒見が良いので地域の人にはとても信頼されていると思います。弟は兄と私とはまるっきりタイプが違います。譬えていえば一番癖がなく、付き合いやすいです。私達をたてるのがうまく、けっして押しのけて前にはでません。しかし父とは一番相性がよかったような気がします。とても可愛がられていました。
私は中学を卒業して以来、ずーと両親とは離れて暮らしてきました。それなので兄や弟とは違った形で両親の力になってきたような気がします。父とは伊勢神宮や出雲大社、高野山といろいろな霊場を一緒にお参りに行きました。旅の最中、兄弟の話になりました。父にふと聞いてみたのです。比べるわけではないですが、誰が一番かわいいと思うかと。そしたらやはり一番、兄がかわいいと答えました。私はそれを聞いて安心しました。実は自営業を一緒に働いている父と兄はどうしても近すぎて反発しあい、他の兄弟みたいに仲良くて楽しく話すような関係ではなかったからです。このことを葬儀の後、兄に話したら涙を浮かべていました。
兄は葬儀の間もけっして涙を見せませんでした。人に見られたらいけないと我慢しているみたいです。導師としてのお勤めの時以外はよく泣いた私とは違います。やはり兄は長男だと思います。
兄は私の一つ上です。私と違いとても社交的で楽天家です。人付き合いもことのほかよく、陽気な酒好きです。酒をのんでも飲まれません。面倒見が良いので地域の人にはとても信頼されていると思います。弟は兄と私とはまるっきりタイプが違います。譬えていえば一番癖がなく、付き合いやすいです。私達をたてるのがうまく、けっして押しのけて前にはでません。しかし父とは一番相性がよかったような気がします。とても可愛がられていました。
私は中学を卒業して以来、ずーと両親とは離れて暮らしてきました。それなので兄や弟とは違った形で両親の力になってきたような気がします。父とは伊勢神宮や出雲大社、高野山といろいろな霊場を一緒にお参りに行きました。旅の最中、兄弟の話になりました。父にふと聞いてみたのです。比べるわけではないですが、誰が一番かわいいと思うかと。そしたらやはり一番、兄がかわいいと答えました。私はそれを聞いて安心しました。実は自営業を一緒に働いている父と兄はどうしても近すぎて反発しあい、他の兄弟みたいに仲良くて楽しく話すような関係ではなかったからです。このことを葬儀の後、兄に話したら涙を浮かべていました。
兄は葬儀の間もけっして涙を見せませんでした。人に見られたらいけないと我慢しているみたいです。導師としてのお勤めの時以外はよく泣いた私とは違います。やはり兄は長男だと思います。
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あの世へ旅立つ時
父が亡くなる時、不思議なことを経験しました。私達が亡くなる前に弟の家から実家に立ち寄ったのが夜中の午前12時ごろでした。私が妻と寝ている子を実家に置いてもう一度病院に行こうと思ったからです。その時は母も叔母も病院にいたので容体がどうなるか分からなかったのですが、待機している状態でした。でも病院を出るときに今日遅くなってももう一度来るよと約束していたので向かいました。
父と母がいない実家はまるで人が住んでいない家のように冷え切っていて今まで経験したことのない雰囲気でした。嫁はここに二人でおいてかれても寂しすぎて嫌だと言いました。子供が寝ているけど車の中にいるから一緒に行くと。病院に着いた時に父の容体は安定していました。あれだけ苦しがっていた呼吸も自然になっていて寝ているようでした。私は父に話しかけそしてしばらくしてから今後のことを母に話し出しました。仕事がらもしもの次の流れを慌てないように母に伝えたのです。30分位話しあったでしょうか。その間、少しづつ少しづつ父の酸素濃度は下がっていきました。まるで私が来て、母と話しをしたのを確認し安心したように。あーもう父は逝くんだな。いつまでも駐車場に妻と子を待機させているのも気になったのであらためて実家に戻りました。そして私が実家に戻った瞬間、母からいよいよだと電話を受けました。
すぐさま引き換えし、父のもとへと駆け付けましたがもう父は息を引き取っていました。その顔はとても穏やかでした。死に目に会えませんでしたがさほど残念に感じませんでした。エンゼルケアー(死亡後の処置)が終わるまで再び家族で話しあい、搬送先の実家に前もって用意しておこうと私だけ先に戻りました。そしたら不思議なのですが家がさっきまでの雰囲気と違い、人の気配を感じるというか温かいのです。あー父は戻って来ている。昨日、ある方にこのことを話しをしたところ、人が亡くなるときその家の先祖がみんな駆け付けるそうです。だから一度目立ち寄った時はものけのからだったのか。これは私の勝手な想像ですが、亡くなる直前に私が家に戻ったのは父の魂を連れて家に帰る意味があったのではないか。
最後の方の父は容姿も病気の為、顔がむくんで変わってしまい、自慢ではないですが本来格好が良かったので残念でした。あーこの顔、なるべく見せたくないなー。そう心配していたのですが次の日の朝にはすっきりした凛々しいいつもの父に戻っていました。本当にうれしかったです。弟が通夜の晩、何度も何度も父の顔を触りまくるのが、私と違う彼なりの父親に対する愛情表現で思いでに残りました。
父と母がいない実家はまるで人が住んでいない家のように冷え切っていて今まで経験したことのない雰囲気でした。嫁はここに二人でおいてかれても寂しすぎて嫌だと言いました。子供が寝ているけど車の中にいるから一緒に行くと。病院に着いた時に父の容体は安定していました。あれだけ苦しがっていた呼吸も自然になっていて寝ているようでした。私は父に話しかけそしてしばらくしてから今後のことを母に話し出しました。仕事がらもしもの次の流れを慌てないように母に伝えたのです。30分位話しあったでしょうか。その間、少しづつ少しづつ父の酸素濃度は下がっていきました。まるで私が来て、母と話しをしたのを確認し安心したように。あーもう父は逝くんだな。いつまでも駐車場に妻と子を待機させているのも気になったのであらためて実家に戻りました。そして私が実家に戻った瞬間、母からいよいよだと電話を受けました。
すぐさま引き換えし、父のもとへと駆け付けましたがもう父は息を引き取っていました。その顔はとても穏やかでした。死に目に会えませんでしたがさほど残念に感じませんでした。エンゼルケアー(死亡後の処置)が終わるまで再び家族で話しあい、搬送先の実家に前もって用意しておこうと私だけ先に戻りました。そしたら不思議なのですが家がさっきまでの雰囲気と違い、人の気配を感じるというか温かいのです。あー父は戻って来ている。昨日、ある方にこのことを話しをしたところ、人が亡くなるときその家の先祖がみんな駆け付けるそうです。だから一度目立ち寄った時はものけのからだったのか。これは私の勝手な想像ですが、亡くなる直前に私が家に戻ったのは父の魂を連れて家に帰る意味があったのではないか。
最後の方の父は容姿も病気の為、顔がむくんで変わってしまい、自慢ではないですが本来格好が良かったので残念でした。あーこの顔、なるべく見せたくないなー。そう心配していたのですが次の日の朝にはすっきりした凛々しいいつもの父に戻っていました。本当にうれしかったです。弟が通夜の晩、何度も何度も父の顔を触りまくるのが、私と違う彼なりの父親に対する愛情表現で思いでに残りました。
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