一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
心の波動
心はころころと変わっていきます。さっきまで悩んでいたと思えば、今度は天にも昇るほど喜んだり。日によっては気分のいい日もあればなんとなくのれない日もある。気分のいい日もわりと一日を通してそう長続きはせず、ふとしたきっかけで急に落ち込んだりもします。気分がのらない時は、一度たちどまり、あまり悪あがきをせずにもとに戻るときを待つこともいいでしょう。
こうして生きていると、なんとなく自分はテレビやマンガの主人公みたいにカッコよくいきれるような気がすることもあるけど実際は意外と普通であることがほとんどです。自分以外の世の中の人たちも大抵はこの普通の範囲で生活しているのではないでしょうか。普通が一番。そして普通であることが一番むずかしい。と言いますがまさしくその通りです。この普通から少し落ち込めば不安と悩みが増幅していきます。みなさんも何かしらこの落ち込みをかかえていると思います。また普通から少し登れば、悦びや安心が倍増します。これは不思議なものでしばらくするとこの悦びが普通になってしまい、それ以上のものがないと再び悦ぶことができません。
仏教の教えで「足ることを知る」という言葉があります。いかにこの普通を理解し満足するかが求められています。朝起きてあー息をしているでも悦びであるのなら普通に毎日が送れることはいかにありがたいことかと考えられるのではないでしょうか。
こうして生きていると、なんとなく自分はテレビやマンガの主人公みたいにカッコよくいきれるような気がすることもあるけど実際は意外と普通であることがほとんどです。自分以外の世の中の人たちも大抵はこの普通の範囲で生活しているのではないでしょうか。普通が一番。そして普通であることが一番むずかしい。と言いますがまさしくその通りです。この普通から少し落ち込めば不安と悩みが増幅していきます。みなさんも何かしらこの落ち込みをかかえていると思います。また普通から少し登れば、悦びや安心が倍増します。これは不思議なものでしばらくするとこの悦びが普通になってしまい、それ以上のものがないと再び悦ぶことができません。
仏教の教えで「足ることを知る」という言葉があります。いかにこの普通を理解し満足するかが求められています。朝起きてあー息をしているでも悦びであるのなら普通に毎日が送れることはいかにありがたいことかと考えられるのではないでしょうか。
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