一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
命を救う教え
私は時として思います。自分ほど不幸な人間はいないのではないかと。また思います。自分は世界一幸福だと。
人から見れば自分が悩んでいるのはわからないはずです。でもそれなりに悩みはあります。生きることへの悩みです。
そしてそれは人間社会で生きる人が誰しも味わう可能性のあることなのです。
作家の太宰治さんは皆から尊敬される方ですが当時の彼は自分は幸福だとは思っていなかったと思います。
最後は恋人と入水自殺をするのは生きることへの悩み、不安感からです。
芥川龍之介さんもそう。作家として才能を開花させ活躍すればするほどなんともいえない不安感に押しつぶされてしまい自ら死を選びました。
最近の若手俳優の自死も多分、研ぎ澄まされた自分の感情の入ったちょっとしたズレが引き起こしたものだと思います。
まるでスーパーカーを乗りこなせなくなったかのように。ハンドルを少し切り損ねただけで一気に。
用心すべきです。自分は大丈夫だとは思わない方がいいです。人はただ生きるのでも簡単なことではありません。
仏教ではこの世を火宅に喩えました。この世に生きる人は燃えている家に気づかずに遊んでいる子供だと。
気づかせるのにさまざまな方法を用いてもまるっきり気づかない。最後は子供が乗りたそうな車を用意して外に出すことができた。その車こそが仏教。
この世は生きるのに楽しくて幸せで仕方ないという人がいたらその人はこの世にいる意味がないのかもしれません。
苦しいからこそ救われたいという思いが教えの尊さを気づかせてくれます。
そう、私も今もこの教えに命を救われているのです。
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