一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
迷惑をかけないように
時々こう思います。早くこの世の修行を終えてあの世に行きたいと。
またこの世とはどんなに素晴らしい世界だろう。ありがたいと。
心の中でいろいろな思いが交錯してこうして今日を終えようとしています。不思議なものでどんな素晴らしい一日もどんな最悪な一日も、ありふれた一日も平等の感覚で時は刻まれていくのです。まるで私達の喜怒哀楽を大きな時間の波で飲み込むように終わってみればそれはそれで普通に流されていきます。
私の生は昭和40年代にはじまり、このままいけば平成40年代頃に幕を閉じるのでしょう。それがいったいどんなことなのか。私にとってはやり終えた卒業式みたいなものなのか。はたまた恐怖と不安の中それを向かい入れるものなのか。どうなるのかはわかりません。
でもどちらにしろその時を迎えればそれはそれでごくごく自然におきて自然に私という存在の思い出は流れていくのでしょう。そしてもっと時がたてばその思い出もこの世から亡くなっていくに違いありません。
今はこの世から縁ある人達に直にお役に立てることができます。あの世にいったら、どんなに役に立ちたくてもその範囲は限られてしまいます。
やはりもっとこの世で頑張らなくてはなりません。それは自分の為もありますが家族や他の縁ある人たちのためです。
精一杯迷惑をかけないように頑張ります。
またこの世とはどんなに素晴らしい世界だろう。ありがたいと。
心の中でいろいろな思いが交錯してこうして今日を終えようとしています。不思議なものでどんな素晴らしい一日もどんな最悪な一日も、ありふれた一日も平等の感覚で時は刻まれていくのです。まるで私達の喜怒哀楽を大きな時間の波で飲み込むように終わってみればそれはそれで普通に流されていきます。
私の生は昭和40年代にはじまり、このままいけば平成40年代頃に幕を閉じるのでしょう。それがいったいどんなことなのか。私にとってはやり終えた卒業式みたいなものなのか。はたまた恐怖と不安の中それを向かい入れるものなのか。どうなるのかはわかりません。
でもどちらにしろその時を迎えればそれはそれでごくごく自然におきて自然に私という存在の思い出は流れていくのでしょう。そしてもっと時がたてばその思い出もこの世から亡くなっていくに違いありません。
今はこの世から縁ある人達に直にお役に立てることができます。あの世にいったら、どんなに役に立ちたくてもその範囲は限られてしまいます。
やはりもっとこの世で頑張らなくてはなりません。それは自分の為もありますが家族や他の縁ある人たちのためです。
精一杯迷惑をかけないように頑張ります。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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以前より近くに感じることがあるし、その人の事を思い出していることが多いからでしょうか。それとも実感がないからでしょうか。悲しんでいないと自分は本当に悲しいと思っていないんではないかと思ってしまう時があります。
しかしやっぱり寂しいし、悲しいです。
助け合いながら精一杯この世で出来る事を致しましょ。
7/27も1日お疲れ様でございました。