一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
本体の自分
人は一年後どうしているかなんて誰もわからない。今まで安泰だったからこれからもなんて保障はどこにもない。
だから今を悔いなく一生懸命いきなければならないのです。
今日のことは今日で終わる。しかし明日が来る保障はない。
人は必ずこの世の役目を終えてあの世に旅立つものです。もし、それが突然にやってきたとしても動じない覚悟が必要です。
今までの思い出も経験も自分の魂の中に必ず残って記録されます。
だから安心してください。けっして無駄ではない貴重な経験がすでにできていて生が続くかぎりそれがのこっていくことを。
自分のことは自分が一番知っている。知っていてくれる。今世だけでない本体の自分が。
閻魔大王は自分の内在神の本体だともいえるのです。
自分の生の記録を見せられた時になんとか見ていられるように生きなくてはなりません。
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