一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
住む世界
私、自分が優れた人間だと到底思えないのです。だから宗教者の方が先生と言われたり、教祖みたいにあがめられたらお気の毒様と思ってしまいます。
同じ人間なのに偉い人、良い人、選ばれた人にならなくてはいけないのですから。
よくこれからの世の中のために自分が大きなお役にたちたいと学生時代から思ってきました。
でもそんな大きな思いをいだくほどの人間ではないのではないかと今は思ってしまうのです。
私は毎日を懸命に生きて、なんとか自分のすべきことを精一杯行って、落第点にならないように必死にくらいついて、しがみついて、理想と現実のギャップ、自分自身の矛盾とたたかいながら、ミスしないように、迷惑をかけないように。
そのように思っています。
そんな自分ができることは目の前のことしかないのです。
大きなことを言う人は昔は好きでした。なんだかワクワクしてあこがれました。
でも今は違います。
なんだか自分とは住む世界が違う人に思うのです。いったい自分は良くなったのか、悪くなったのか。
同じ人間なのに偉い人、良い人、選ばれた人にならなくてはいけないのですから。
よくこれからの世の中のために自分が大きなお役にたちたいと学生時代から思ってきました。
でもそんな大きな思いをいだくほどの人間ではないのではないかと今は思ってしまうのです。
私は毎日を懸命に生きて、なんとか自分のすべきことを精一杯行って、落第点にならないように必死にくらいついて、しがみついて、理想と現実のギャップ、自分自身の矛盾とたたかいながら、ミスしないように、迷惑をかけないように。
そのように思っています。
そんな自分ができることは目の前のことしかないのです。
大きなことを言う人は昔は好きでした。なんだかワクワクしてあこがれました。
でも今は違います。
なんだか自分とは住む世界が違う人に思うのです。いったい自分は良くなったのか、悪くなったのか。
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