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行ずる

どうしたのでしょう。最近の私には以前のような「私はお坊さんだ」みたいな雰囲気が感じられません。前は調子にのってすぐに「お坊さんだから」と自分をアピールしていましたがなんだかそれがなくなってしまいました。

その代わりというのもなんですが自らを追い込むことに目覚めてきたみたいです。もともと私の信仰の先生に言われたことがあります。

「あなたは宗教者ではありません。行者です」

行者とは己が修行することによってようやく人の役にたてるのです。宗教者とはそこまでのことをしなくても人を救える人のことを言います。
私はそう言われた時に「自分らしい」そう思いました。

信仰の道に入ったのは自らが救われたいからです。そうでもしなければ生きていられませんでした。
偉いね。若くてそんなに信仰をもつなんてと言われがちですがそうではありませんでした。とにかく自分がもたなかったのです。そうでもしなければ息をすることさえも苦しくてなりませんでした。

私は不動明王を信仰してまるで水を得た魚のように輝きはじめました。まだ僧侶になるとかそんなこと以前の精神がようやく安定しつつあった時にこうも先生にいわれました。

「あなたは不思議です。お不動様のパワーは普通の人よりもどんどんスーと入っていくみたい」

今思えば僧侶になるくらいだからそれだけの資質があったのでしょう。
でもその頃と僧侶になって20年の私は信仰の本質は何も変わっていません。

苦しい、救われたい、進むんだ。負けるか。

あれ、気が付いたら誰かの役にたてているみたいだ。

私はどうも綺麗な衣よりも行者服の方が似合うみたいです。
これからも自らを追い込んで行じていきます。
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コメント
 
 
 
素敵なことです (麗華)
2017-07-31 01:44:59
自らを追い込んで人様のお役に立たれるお姿、とっても素敵だと思います。

どうぞこれからもあなた様らしく、いつまでも輝いてご活躍なさってくださいませ。

7/30も1日お疲れ様でございました。
 
 
 
救い (kojikoji)
2017-07-31 11:35:09
誰かを救いたいという気持ちもとても大きな気持ちだけれど、自分の心を救っていくこともとても大切な魂の修行なのですね。
 
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