とある幼稚園の研究発表会の合間に
こんな会話が聞こえてきた。
「やっぱり、幼稚園の間に一日中遊んでいて、
机に座って話を聞くっていう経験がないまま小学校に来たら、
そりゃあ、授業中だって歩き回っちゃうよね」(A小学校の校長先生)
「やっぱり、幼稚園と小学校の連携って大切ですよね。
じゃないと、小学校で受けた時に、やはり困っちゃう」(B小学校の校長先生)
えっ、えっ、今なんて言った??
私は自分の耳を疑った。
校長先生たちが話題にしていたのは、
近年話題になっている「小1プロブレム」のことだ。
小学校に上がった時に、落ち着かずに歩き回る子どもがいるのは
やっぱり、幼稚園の教育のせいになっちゃうのかー。
今、国を挙げてといったら大げさだけれど、
この業界では、幼稚園・小学校・保育所の連携を模索し、
色々な試みが行われている。
この段差に子どもがつまずかないように、
なめらかな移行ということが謳われているけれど、
本音の部分には、子どもたちを送り、
迎える大人が困らないように・・・、
という本音も見え隠れする。
その本音を久しぶりに耳にした。
残念、まだこんな本音が残っているのか・・・。
なんとなくもやもやしながら家路についた。
夕食後、久しぶりに夫とゆっくりおしゃべり。
というより、私のモヤモヤを直球で夫にぶつける羽目に(*_*;
でも、夫はこんなことを言い出した。
「俺は小1プロブレムのはしりだったよな。
覚えているだろ?
おふくろは『モンスターペアレンツ』のはしりだったってことも」(夫)
ああ、そうだった、そうだったなあ・・。
それはこういうことだ。
夫が小学校一年生だったときのある日、
今から六十うん年前。
その日の真昼間、夫は泣きながらトボトボと家に向かって歩いていた。
それを見た、近所の人が、
「あれ、まだ学校の時間でしょう。どうした?」と言って、
一緒に家に連れ帰ってくれたという。
昼間に、帰ってくるはずのない息子が帰ってきたのを見て、
義母は逆上した。
「なんで帰ってきた!まだ学校の時間でしょうが。
一緒に学校に帰るよ!」(義母)
そして、息子の手を引っ張って学校へ。
担任の先生に
「先生には、下校時間までは学校で子どもを見る義務がある。
なのに返すとはどういうことですかっ?」
「ああ、それですか」(担任)
と言って、担任はその日のことの顛末を話してくれた。
「休み時間に、隣のクラスと喧嘩になって、
皆、学帽(当時の小学生男子は学帽をかぶっていた時代・・)を
ぶつけ合っていたんですよ。それでも負けて腹が治まらなかったのか、
息子さんは隣のクラスの子どもの学帽を全部水につけちゃったんです。
だから、そんなことする奴は、帰れって言ったんです」(担任)
「うん、まあ!でも帰れはないでしょう。
まだ、学校で責任を持つ時間でしょう!」(義母)
「では、申し上げますが、息子さんは実はこれだけじゃないんです。
授業中にすぐ立ち上がって、教室をうろちょろすることがしょっちゅうです。
なんなら、これから授業参観していただけますか?」(担任)
「えっ、歩き回るんですか・・・。
じゃあ、明日から、私、学校にきます!」(義母)
ということで、義母は翌日から学校に通った。
夫によれば、義母は怖い顔をして教室の後ろに立っていたという。
そして義母は納得した。
確かに息子は授業中立ち歩いていたのだ。
そのあと、家の中で義母と夫との間で、
どんな会話が交わされたのか、
二人の間で何があったか、
今となっては知るすべもない。
そこのところの記憶は夫にはないし、義母は天国だし・・・。
でも、納得した義母は授業参観にはいかなくなった。
そして、いつの間にか夫の立ち歩きも終わった(のであろう・・・)。
そして夫が言うことは・・・
「結局、つまんなかったんだよね、学校が。
だから歩いちゃったんだよね。
今だからわかるんだ」(夫)と妙に断定的。
なるほどな。
やっぱりつまらなかったのか。
では、つまらないからって立ち歩いていいのか?
それではいけないっていうのが、学校というところ。
「つまらなくても」座っていなくてはならない。
時と場所をわきまえるようにというのは
日本の「規範」教育の中核をなす・・・
なーんていうのはちょっと大げさかな。
でもそれが真実。
もちろん、立ち歩くってことには
子どもの側にも解決しなくてはならない
何かがあるかもしれないし、
事実そういう場合もある。
それでも、教師だったらやっぱり、
「子ども」のせいにするのではなく、
「もしかしたら自分の授業、つまらないのかも・・」とか
「もっと工夫が必要かも・・・」とか考えてほしいなって思う。
子どものせいや、幼稚園や保育所のあり方、
家庭のあり方だけのせいにするのではなく、
自分を振り返るってこと必要じゃないかなって、
こういう場面にあうたびに思う。
ちなみに今のモンスターペアレンツと義母との違い。
学校に怒鳴り込みに行くのは同じでも、
そのあと授業参観で、自分の子どもの様子を見届けたということ。
今の人たちはきっと怒鳴り込みに入っても、
この自分の子どもの様子を見届けることまではせずに、
自分の主張のみを一方的に繰り返すのだろうなと思う。
まだまだ、学校や先生の社会の中での「権威」が今より
ずっとあった時代の「小1プロブレム」考なのでありました。
こんな会話が聞こえてきた。
「やっぱり、幼稚園の間に一日中遊んでいて、
机に座って話を聞くっていう経験がないまま小学校に来たら、
そりゃあ、授業中だって歩き回っちゃうよね」(A小学校の校長先生)
「やっぱり、幼稚園と小学校の連携って大切ですよね。
じゃないと、小学校で受けた時に、やはり困っちゃう」(B小学校の校長先生)
えっ、えっ、今なんて言った??
私は自分の耳を疑った。
校長先生たちが話題にしていたのは、
近年話題になっている「小1プロブレム」のことだ。
小学校に上がった時に、落ち着かずに歩き回る子どもがいるのは
やっぱり、幼稚園の教育のせいになっちゃうのかー。
今、国を挙げてといったら大げさだけれど、
この業界では、幼稚園・小学校・保育所の連携を模索し、
色々な試みが行われている。
この段差に子どもがつまずかないように、
なめらかな移行ということが謳われているけれど、
本音の部分には、子どもたちを送り、
迎える大人が困らないように・・・、
という本音も見え隠れする。
その本音を久しぶりに耳にした。
残念、まだこんな本音が残っているのか・・・。
なんとなくもやもやしながら家路についた。
夕食後、久しぶりに夫とゆっくりおしゃべり。
というより、私のモヤモヤを直球で夫にぶつける羽目に(*_*;
でも、夫はこんなことを言い出した。
「俺は小1プロブレムのはしりだったよな。
覚えているだろ?
おふくろは『モンスターペアレンツ』のはしりだったってことも」(夫)
ああ、そうだった、そうだったなあ・・。
それはこういうことだ。
夫が小学校一年生だったときのある日、
今から六十うん年前。
その日の真昼間、夫は泣きながらトボトボと家に向かって歩いていた。
それを見た、近所の人が、
「あれ、まだ学校の時間でしょう。どうした?」と言って、
一緒に家に連れ帰ってくれたという。
昼間に、帰ってくるはずのない息子が帰ってきたのを見て、
義母は逆上した。
「なんで帰ってきた!まだ学校の時間でしょうが。
一緒に学校に帰るよ!」(義母)
そして、息子の手を引っ張って学校へ。
担任の先生に
「先生には、下校時間までは学校で子どもを見る義務がある。
なのに返すとはどういうことですかっ?」
「ああ、それですか」(担任)
と言って、担任はその日のことの顛末を話してくれた。
「休み時間に、隣のクラスと喧嘩になって、
皆、学帽(当時の小学生男子は学帽をかぶっていた時代・・)を
ぶつけ合っていたんですよ。それでも負けて腹が治まらなかったのか、
息子さんは隣のクラスの子どもの学帽を全部水につけちゃったんです。
だから、そんなことする奴は、帰れって言ったんです」(担任)
「うん、まあ!でも帰れはないでしょう。
まだ、学校で責任を持つ時間でしょう!」(義母)
「では、申し上げますが、息子さんは実はこれだけじゃないんです。
授業中にすぐ立ち上がって、教室をうろちょろすることがしょっちゅうです。
なんなら、これから授業参観していただけますか?」(担任)
「えっ、歩き回るんですか・・・。
じゃあ、明日から、私、学校にきます!」(義母)
ということで、義母は翌日から学校に通った。
夫によれば、義母は怖い顔をして教室の後ろに立っていたという。
そして義母は納得した。
確かに息子は授業中立ち歩いていたのだ。
そのあと、家の中で義母と夫との間で、
どんな会話が交わされたのか、
二人の間で何があったか、
今となっては知るすべもない。
そこのところの記憶は夫にはないし、義母は天国だし・・・。
でも、納得した義母は授業参観にはいかなくなった。
そして、いつの間にか夫の立ち歩きも終わった(のであろう・・・)。
そして夫が言うことは・・・
「結局、つまんなかったんだよね、学校が。
だから歩いちゃったんだよね。
今だからわかるんだ」(夫)と妙に断定的。
なるほどな。
やっぱりつまらなかったのか。
では、つまらないからって立ち歩いていいのか?
それではいけないっていうのが、学校というところ。
「つまらなくても」座っていなくてはならない。
時と場所をわきまえるようにというのは
日本の「規範」教育の中核をなす・・・
なーんていうのはちょっと大げさかな。
でもそれが真実。
もちろん、立ち歩くってことには
子どもの側にも解決しなくてはならない
何かがあるかもしれないし、
事実そういう場合もある。
それでも、教師だったらやっぱり、
「子ども」のせいにするのではなく、
「もしかしたら自分の授業、つまらないのかも・・」とか
「もっと工夫が必要かも・・・」とか考えてほしいなって思う。
子どものせいや、幼稚園や保育所のあり方、
家庭のあり方だけのせいにするのではなく、
自分を振り返るってこと必要じゃないかなって、
こういう場面にあうたびに思う。
ちなみに今のモンスターペアレンツと義母との違い。
学校に怒鳴り込みに行くのは同じでも、
そのあと授業参観で、自分の子どもの様子を見届けたということ。
今の人たちはきっと怒鳴り込みに入っても、
この自分の子どもの様子を見届けることまではせずに、
自分の主張のみを一方的に繰り返すのだろうなと思う。
まだまだ、学校や先生の社会の中での「権威」が今より
ずっとあった時代の「小1プロブレム」考なのでありました。