今年のゴールデンウィークも過ぎ去った。
階下のウルトラマン一家も
今日からは会社と学校に戻った。
この連休、わが家の場合は前半と後半に分かれていた。
けれど、ウルトラの父が10連休だったこともあって、
子どもたちはこの10日間、
私たちの住み家である2階にはほとんど上がってこなかった。
ウルトラの父母の心遣い、ありがたい!!って思いつつ、
ちょっぴりさみしい私たち団塊夫婦・・・。
久し振りに二人っきりを心置きなく味わった。
そして後半。
5日は子どもの日だったけれど・・、
あと数日で夫の71歳の誕生日!
ということで、娘たちの二家族が
夫の誕生日会を企画してくれた。
いつもは長女夫婦がこちらに遊びに来るときは、
ウルトラマンたちと遊ぶ以外は
ほとんどが2階の我が庵で過ごすことが多い。
必然的に、3家族のそろっての食事の用意と言えば、
母親稼業の私の役割となる。
役割っていうより自然とそうなってしまう。
それがずーっと当たり前だったから・・・。
ところが今回は娘たちが私に手を出すなって言う。
老夫婦は参加するだけでいいのだそうだ。
「えっ、でもー、何か手伝うことあるでしょ?」と私。
「ないってばー。何回言ったらわかるの??」(娘たち)
「そうお・・、でもなんかあるでしょ」と食い下がる私。
「もう、ないんだったら、ないんだから!!」とほぼ喧嘩腰(笑)。
そうかあ、ないのかあ。
ではまあ、のんびりしていましょって思ったけれど、
用意をしている様子が伝わってくると、
なんだか申し訳なくて、ソワソワ・・・。
でも、我慢、我慢!!
そこで、私は外に出た。
わが家には庭というほどの庭はない。
家に張り付くようにして、
今年1輪しか咲かなかったハナミズキ、
そろそろ十字の花を咲かせそうなヤマボウシ、
なんと、花芽が一つしかないアジサイ、
可憐な白い花を咲かせてくれたドウダンツツジ、
それにナメクジにも負けず、
咲き残ったパンジーとビオラ。
そろそろ夏の花の準備をしなくちゃ、と、
普段は掘っぽりっぱなしの花壇に手を入れた。
2時間たっぷりの外遊びと相成った。
時は流れ、夕方5時半。
ウルトラ家から「ごはんですよー」の声。
夫といそいそと階下に降りる。
そこには子どもたちと孫たちの心づくしが並んでいた。
手巻き寿司と握りの用意!
フライやサラダ!!
寿司の具材はデパ地下の閉店間際に
ウルトラの父が手に入れた
質のいいお刺身。
あっぱれ!!
ウルトラマンたちは握り用の型を使って
色とりどりの握りを並べ、
ウルトラの母はサラダやフライ、
焼き鳥をウルトラの伯母と作り、
ウルトラの伯父はシャンパンと
美味しい日本酒をゲットしてきてくれた。
私たちは体を運んだだけ。
こういう状況は自分が娘だったとき以来だった
ということを思い出した。
娘が終わった日から長男の嫁となり、
その後、子どもたちの母となって、
ずっとなんだかいつも
こういう用意をしてきていた。
それが、招待される側にまわるなんて、
実はそんな日が来ることは考えになかった。
なんたって、どら娘だった私は、
実家に帰ると嫁役割も母親役割もかなぐり捨てた。
そしてただの娘に戻った。
だから母は亡くなる年の最後のおせちまで
作ってくれていた・・・。
そんなことを思い出しながらいると、
なんだか、眠気が襲ってきて、
皆がワイワイガヤガヤやっているのに
口数少なく、ニコニコしつつ、
眠気に身を任せるという結果になったのでした。
当たり前と言えば当たり前だけれど、
子どもたちは大きくなったんだと思った。
もう、役割を降りることが
子どもたちがまた一歩大人になることを
助けるのかなって。
いつもウルトラマンたちが時々口にする
「おばあちゃん、67歳って、すごく生きてきたんだね」
という言葉をかみしめつつ、
世代交代ってこういうことなのねと
妙に納得したのでした。
夫ですか?
夫はいつものように楽しく
ワイワイガヤガヤに加えてもらってました。
人生、いろんな時が来るものですね。
階下のウルトラマン一家も
今日からは会社と学校に戻った。
この連休、わが家の場合は前半と後半に分かれていた。
けれど、ウルトラの父が10連休だったこともあって、
子どもたちはこの10日間、
私たちの住み家である2階にはほとんど上がってこなかった。
ウルトラの父母の心遣い、ありがたい!!って思いつつ、
ちょっぴりさみしい私たち団塊夫婦・・・。
久し振りに二人っきりを心置きなく味わった。
そして後半。
5日は子どもの日だったけれど・・、
あと数日で夫の71歳の誕生日!
ということで、娘たちの二家族が
夫の誕生日会を企画してくれた。
いつもは長女夫婦がこちらに遊びに来るときは、
ウルトラマンたちと遊ぶ以外は
ほとんどが2階の我が庵で過ごすことが多い。
必然的に、3家族のそろっての食事の用意と言えば、
母親稼業の私の役割となる。
役割っていうより自然とそうなってしまう。
それがずーっと当たり前だったから・・・。
ところが今回は娘たちが私に手を出すなって言う。
老夫婦は参加するだけでいいのだそうだ。
「えっ、でもー、何か手伝うことあるでしょ?」と私。
「ないってばー。何回言ったらわかるの??」(娘たち)
「そうお・・、でもなんかあるでしょ」と食い下がる私。
「もう、ないんだったら、ないんだから!!」とほぼ喧嘩腰(笑)。
そうかあ、ないのかあ。
ではまあ、のんびりしていましょって思ったけれど、
用意をしている様子が伝わってくると、
なんだか申し訳なくて、ソワソワ・・・。
でも、我慢、我慢!!
そこで、私は外に出た。
わが家には庭というほどの庭はない。
家に張り付くようにして、
今年1輪しか咲かなかったハナミズキ、
そろそろ十字の花を咲かせそうなヤマボウシ、
なんと、花芽が一つしかないアジサイ、
可憐な白い花を咲かせてくれたドウダンツツジ、
それにナメクジにも負けず、
咲き残ったパンジーとビオラ。
そろそろ夏の花の準備をしなくちゃ、と、
普段は掘っぽりっぱなしの花壇に手を入れた。
2時間たっぷりの外遊びと相成った。
時は流れ、夕方5時半。
ウルトラ家から「ごはんですよー」の声。
夫といそいそと階下に降りる。
そこには子どもたちと孫たちの心づくしが並んでいた。
手巻き寿司と握りの用意!
フライやサラダ!!
寿司の具材はデパ地下の閉店間際に
ウルトラの父が手に入れた
質のいいお刺身。
あっぱれ!!
ウルトラマンたちは握り用の型を使って
色とりどりの握りを並べ、
ウルトラの母はサラダやフライ、
焼き鳥をウルトラの伯母と作り、
ウルトラの伯父はシャンパンと
美味しい日本酒をゲットしてきてくれた。
私たちは体を運んだだけ。
こういう状況は自分が娘だったとき以来だった
ということを思い出した。
娘が終わった日から長男の嫁となり、
その後、子どもたちの母となって、
ずっとなんだかいつも
こういう用意をしてきていた。
それが、招待される側にまわるなんて、
実はそんな日が来ることは考えになかった。
なんたって、どら娘だった私は、
実家に帰ると嫁役割も母親役割もかなぐり捨てた。
そしてただの娘に戻った。
だから母は亡くなる年の最後のおせちまで
作ってくれていた・・・。
そんなことを思い出しながらいると、
なんだか、眠気が襲ってきて、
皆がワイワイガヤガヤやっているのに
口数少なく、ニコニコしつつ、
眠気に身を任せるという結果になったのでした。
当たり前と言えば当たり前だけれど、
子どもたちは大きくなったんだと思った。
もう、役割を降りることが
子どもたちがまた一歩大人になることを
助けるのかなって。
いつもウルトラマンたちが時々口にする
「おばあちゃん、67歳って、すごく生きてきたんだね」
という言葉をかみしめつつ、
世代交代ってこういうことなのねと
妙に納得したのでした。
夫ですか?
夫はいつものように楽しく
ワイワイガヤガヤに加えてもらってました。
人生、いろんな時が来るものですね。
ヒマかと思えば色々、あれこれ、忙しくて。。。
でも、家族って、いいですね♪