徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

父のことー療養病棟待機中ー

2015-11-14 06:58:19 | 父とのこと
父の胃瘻設置を決断してから1か月が経った。

9月に老健から今お世話になっている病院に
救急搬送されてから2か月が経とうとしてる。

7月までは92歳とはいえ、
そして、ヘルパーさんに三度三度の食事と
身の回りのことをみてもらっていたとはいえ
一人暮らしを貫いていた。

しかし、7月に倒れてこの方、
老健に入所した小一か月を除いて、
いわゆる寝たきりの状態になっている。

こんな風に急展開するとは
私も妹もある意味想定外のことではあった。

今、父は胃瘻を設置されて、
ベッドの上で小康状態を保っている。

医師から、今後の決断を迫られた時、
迷いながらも胃瘻を決断した私たち姉妹。

嚥下機能に問題はないのに、
老健で急に体がダランとした状態になって以来、
あんなに食べることが好きだった父が
口を開けようとしない。
それは胃瘻設置後、
少し元気になってきている今でも変わらない。

そう、胃瘻を設置して、
やはり栄養が行き届くようになってから、
父の顔色もよくなってきた。

点滴針を刺せなくなって、
中心静脈ポートを設置した時、
すこしは栄養状態がよくなるかなと思ったが、
会いに行くと、顔がもうほんとうに縮んでいた。

妹も私も、おっと、これは・・・と思った。
こんなに縮んじゃうなんて、大丈夫なのかな。
いや、大丈夫じゃないわよねと言いあった。

胃瘻を設置するその手術自体は
とても短いものであるとは言っても、
設置してすぐに普通の栄養量を取れるのではない
ということを知った。
少しずつ、傷の具合と、胃腸の具合を見ながらということだった。

でも、父は普通であれば一週間以上かかる
それらの移行措置を、あっという間にクリアした。
そして、胃瘻はしっかり父の日常になっていった。

胃瘻であれば、点滴とは違って、
認知症の薬も入れることができるという。

父のレビー小体型認知症では、
ともかく夜中に活動が活発になる。
妄想国との住人との会話等々、いっぱいあるのだ。

でもここは病院。
症状が落ち着いて、個室から大部屋に移った。
しかし、それもつかの間、また個室に戻ることに・・。

それは、父の病状が悪化したからではない。
父の夜の活動に、
まわりの方たちが耐えられない状態になったからだ。

意識がしっかりある方たちにとっては、
父のこの夜の活動性は耐えられないことになる。

父の場合、体が元気になれば、
認知症の活動も活発になる。
入院していると、そこが痛し痒しになってしまうのだ。

これってもし、個室に入る余裕がない場合はどうなるのだろう。
そんなことを考えてしまう。

今の父は、私たちのことが分かっているような
分かっていないような・・。
それでも、一つ変な救いがある。

もし私が入院したら、
そしてベッドから落ちるかもしれないからと
胴体を拘束されたら、
(そうなのです。医療行為の場合は
この拘束が必要とされる判断されると、拘束できるのです。
介護施設の場合は、これはできません。介護行為では
この拘束は虐待に近いものと、捉えられるからです)
私なんぞはもうどうしてよいかおかしくなると思う。

でも、父は入院が始まってこの方、
この文句を言ったことは一度もない。

これをどう理解したらいいのだろう???
今の現状を理解できていないからか??
それとも、妄想国から現れる人々との対応に忙しく、
寂しがったり、今の状況を考えて落ち込む時間なんてないのか・・??

父のこの状況も想定外のことで、
私たちはいつも、どう考えたらいいんだろうね・・と頭を突き合わせる。

でも、救いは父が嫌がっていないということ。
そして私たちは、そこにすがるような気持ち。

もう朝の9時になっても電話もかけられない。
それだけは、寂しい・・・。

そして、この父、またこの病院も出ることになる。
救急対応の病院には救急自体が消滅したらでなくてはならない。

病院のソーシャルワーカーと相談し、
今度は実家の近くではなく、
今、妹の住んでいる家の近くの療養病棟のある病院を探した。

高齢者に足を突っ込んだ私たち娘は、
今度は近くに呼び寄せることにした。
父にはおよそ想定外のことだとは思うのだけれど・・・。

想定外、想定外のことが続くのは
もう想定内になっているこの頃なのでした。



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