徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

父のことーなんか弱ってきちゃったなあー

2015-11-21 08:57:06 | 父とのこと
夜中、ふと目が覚めた。
歯が痛い。
虫歯はないのになあ。
確かに虫歯の痛さとは違う。
ギューと何かを噛んだあとの痛さ。
何も噛んでいないのに。
夢でも見たんだろうか・・・。

その前日、私と妹は恒例になった
父の主治医との面談のため病院に向かった。

数日前に行った赤血球の輸血の結果を聞くことと、
いよいよ療養病棟に転院するかどうかの
最終的な相談が目的だった。

午後2時過ぎ、病室に入った。
父は薄目を開けてうつらうつらしていた。

7月に倒れて以来、救急病院に一か月、
老健に一か月、そして今の病院に二か月。
老健の一か月を除いてほぼ寝たきりの生活になっている。

でも、今の病院に来ても
はじめのうちはよくおしゃべりした。
もちろん妄想国の住人の話も出ることはあったが、
総じて饒舌な、いつもの父だった。

今の病院に来て二か月、
口からは一切食べ物を取ろうとしなくはなっていた。
それでも会いに行くと、大抵目を開けていて、
私たちと分かることも多く、おしゃべりが始まったのだ。

でも、ここ何回かはほとんど寝ている。
栄養が行き届かないのかなあ・・・。

口からの栄養補給を拒否する父の栄養摂取方法は、
点滴、中心静脈ポートを設置しての点滴、
そして胃瘻と推移していった。

胃瘻になって、ちょっぴり顔の赤みや、
ふっくらさが戻ったかしらねと、
妹と話したのも束の間、
やっぱり父の体力の弱りを止めることはできていない。

そんなことを思っていたある日、
また病院の主治医から妹のところに電話があったのだ。
今度は赤血球の輸血をするための許諾が欲しいというものだった。

赤血球の値が悪く、原因はもしかしたら
腎機能が弱くなっていることからかもしれないとのこと。
このままというわけにはいかないので、輸血をという内容。
もちろん、お願いした。

そして、その結果を聞きに来たこの日、
ベッドの上でうつらうつらしている父の様子は、
「輸血したはずなのにねえ・・・」と妹と顔を見合わせるほど。
つまり、元気になったなあとは思えなかった。

丁度、居合わせた看護師さんに父の様子を聞くと、
「昨日、今日はほとんど寝ていらっしゃいますねえ」とのこと。
そうかあ・・・。
胃瘻をしても、輸血をしても徐々に徐々に弱り続けている。

そして面談。
主治医は、赤血球の値が悪かったのは
腎機能の低下ではなかったこと、
輸血で値が戻りそうなこと、
肺炎も治ったこと等々を話された。
そして、急性期は脱していることと、
これ以上の積極的な治療はないと言われた。
療養病棟に移送するための体力もあるし、
たんの吸引の回数も減っているので大丈夫ということ。

そして今後について、恐る恐る聞いてみると、
特に病気ということはないので、
徐々に少しずつ色んな機能が低下していくであろうと・・。
つまり、老衰の域に入ったということだ。

胃瘻をしても、輸血をしても、
今以上に元気になるという結果は得られていないのだから。

そして、妹の家の近くにある病院へ転院する日時が決まった。

妹は片道3時間、私は1時間半かけて病院に通っていたのが、
妹は15分、私は1時間ちょっととなる。
これ以上の選択はない、というのが私たちの決断。

そんなまわりの思いに関係なく、
今の父はベッドの上で、特に苦痛を訴えることもなく、
寝ているのを嫌がることもなく、
なんとなく静かに過ごしている。

レビー小体型の認知症ではあったけれど、
そしてそれだけでなくいわゆる認知症の兆候はあったけれど、
父の人格はつい最近まで父だった。
今も「お父さん分かる?R子よ!」とか「T子よ!」と呼びかけた時に
ふっとこちらを見て目を合わす父は、やっぱり父だ。

でも今はそれが一瞬になってしまった。

病院からの帰り道、
「お父さんの年賀状、どうしようか」と
頭突き合わせた私たち姉妹なのでした。




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