徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

父のことー番外編 その2  実家を手放す決断の巻ー

2016-11-16 06:24:01 | 父とのこと
父の大往生から5か月が経った。

この5か月、妹と一緒に、
というより、妹におんぶしながら、残務処理、
つまり諸々の手続きを進めてきた。

代替わりの手続きは煩雑だ。

12年前に母が亡くなったときは
ほとんど悩むことはなかった。
両親で築いたものだから、
あとは父が引き継ぐのは当然と考えていた。

それが、今から思えば誤算だったということになる。

別にお金持ちというのではなく、普通の庶民だ。
けれど、税制がかわり、父が住んでいただけの土地を
持っているだけでも相続税がかかったりする。
空き家を置いておかない限り。税金も数倍に跳ね上がる。
父のケースもそういうことになる。

私たちは二人姉妹。
父の薫陶よろしきをえて??、
私が小学校高学年、妹が低学年だった時以来、
喧嘩をしたことがない。
それは父に、たった二人の姉妹なのに、
喧嘩するとは何事だ!と、怒鳴られたから。

母や父の看護や介護が生じたときも
いっぱい話ながらやってきた。

今回の相続やらなにやらの件も
基本、長電話、ときに待ち合わせて
お茶やランチをしながら、
あーでもない、こーでもないとしゃべりあった。
もちろん、さまざな手続き関係の確認が
大きな話題ではあったけれど・・・、
私たちの話は、現在・過去・未来を縦横に行き来した。
つまり、あっちへ飛び、こっちへ飛び、
昔の実家でのこと、その後のこと、父のこと、母のこと、
亡くなった祖父母のこと・・・エトセトラ、エトセトラ。、
それが女性の会話かも・・・、楽しいのだ。

介護保険や年金などを止めることはすぐできた。
私たちの場合、土地の相続手続きや、遺産分割については
その書類を整える手間を主に妹が担ってくれ、
おかげでと早く整った。

というのは私たち姉妹二人だけのきょうだい、
二人とも実家を出ている、
母の時も、父の時も一緒に考え、経済的なことも
同じように負担した。
だから、本当に単純に何でも二分割にした。

一つ考えたのは、父が住んでいた実家の土地だ。
ここでも再び、あーでもない、こーでもないと考え、話し合い、、、
その結果、二人とも住めないし、
セカンドハウスとして置いておくには
余りにもあまりにも築年数が・・・、
亡くなった父よりちょっとお兄さんの実家の年齢は
およそ95歳。

土地柄、古民家として生まれ変わって、どなたかに使っていただく
なんてことも考えられないわけではないが、
なんたって築95年。羽目板だってはがれているし、
雨漏りだって、尋常ではない。
それに、決定的なのは、土台が浮いていること。
これでは、リフォームでは追いつかない。
立て直ししかないのだ。

全く阪神淡路大震災や、東関東大震災の揺れにも耐えたなんて、
奇跡としか言いようがない。
一説には、ここの地盤は岩盤で硬いこと、
瓦屋根であるにもかかわらず、
昔風の太い梁がめぐらせれていること等々が
倒壊を免れた原因としか思えない。

でも、そんなために立て直しする??
と、また頭を抱えた。
そして、「そう遠くない将来に売ろう」と結論した。
だから、土地の登記は2人の共有に。

そして、また考えようといった矢先、
いくつかの不動産関係者から妹のところに接触があった。
不動産関係者はその仕事柄、最近相続があって、
空き家になりそうなところに目を光らせているということが分かった。
登記簿をたぶん毎月のように閲覧しているのだ。
これだって、今ではネットで彼らは簡単に閲覧できるようなシステムがある。

というわけで一番乗りは、アパート経営の勧め。
私たちは一瞬色めき立った。
土地を手放さなくて済みそう・・・、そんな思いが頭をよぎった。
売るって決めても、まだ心の中では逡巡している二人だとお互いにわかった。
そんなことも業者に見透かされている気がした。

しかし、話を聞いていくうちに、
私たちが建物を建て、その会社はある年数に渡って、入居者を探し、
定期的に家賃を支払ってくれるというものだった。
だから借地権もつかない。
説明ではとってもいい話だったから、一瞬、心が傾いた。

でも、待てよ、ある一定の期間たっても家賃が下がらないことってあるの?
首都圏駅チカならともかく、首都圏といっても中心からはかなり離れた
あまり人口の増加も考えられない小さな町で、それは不可能だろうと思ったが、
勧める方はいろいろメリットを並べ立てた。
またグラッとする私たち。
だが「家賃は期間中初めに提示した額を保障します!」と最後に又聞いた瞬間、
こりゃ、話に乗ってはだめだ、というブレーキが働いた。
約20日間のお話だった。

そうこうするうちに頼んでおいた土地の査定を
数社の不動産会社が持ってきた。
まあ、そのばらつきのあること!
○○万円から△△万円ま。△△万円は○○万円の倍だ!
その根拠は、と思ってしまう。
△△万円なんて、私たちの想像より高かった。
ここでもまたまたグラッとなる私たち。

3社に詳しい査定を出してもらった。
一番額の高い不動産会社は、実家の隣に建つ家の価格を根拠にしていた。
その家は東日本大震災の少し前に建ったもの。
だから坪単価が高かった。
震災後は海辺の町であることもあり、津波の心配ありで、
地価はグーンと下がったのだ。
腹の中の欲張り虫は、いいじゃんなんて呟いているが・・、
まあ、待て待て。

あとの2社は最近売れた近隣の土地の値段を勘案し、
実家の条件を考慮して出してきていた。

決めなくてはならない。

どうする?、やっぱり売るしかないよね・・・。
アパート経営はここではありえないとわかったし、
セカンドハウスを建てたとしても、
別荘地でもないし、なにしろ私たちは平均60代半ば。
だから週末にちょいちょいなんていうのも
やったとしても、そんなに続けられない。
次の代の子どもたちは合わせて6人。
また相続があるわけだし・・・・。
今のところそこに住みたい子どもはいないし・・・。

とまたまたあーでもない、こーでもない状態に。
でも、やっとこ出した結論は・・。
「売る!売るんだ!!売るしかない!!!!!」と叫びながら、
妹も私も清水の舞台から飛び降りた。

査定がまあ妥当と思われる真ん中の額を出してきた会社に、
あと××万円上乗せして売り出してほしいとお願いした。
提示額は、相場的には妥当ということはよくわかる。
けれど、そこに住んできた私たち、そしてその土地を手に入れ、
その土地を自分たちの実家と思っているあちらの世界の人のことも
頭をよぎる。
その額が××万円というわけだ。
この値段で落札される可能性は限りなく0に近い。
でも、まあ、ここからやっていみたいというのが私たちの正直な気持ち。
ダメもとでいいのだ。

そして、遂に売り出しOKのハンコをついた。

次の日、妹からのメールには、
一生懸命、売るという結論にした土地のマイナス理由を考えて、
「売る」という結論を自分に納得させていると書かれていた。

私も同じ。あれだけ考えたのだから、売るしかないというのは
納得している。いえ、しているつもり。
でもやっぱりそうした後でも心は千々に乱れる。

私の場合は、そこに住んでいた人のことではなくて、
小さい時から一緒に過ごしたペットのこと。
犬の一代目メロ、二代目メロ、三代目メロ、
猫の信子(シンコ)、父の飼っていたカナリヤたち。
特に犬と猫たちを置いていくのは忍びない。

と、まあこんなことに相成っている父の番外編なのでした。

それにしても、父はとても面白い人ではあったけれど、
なんたってすぐ理不尽に怒るし、論理は通らないし、
自分の周りだけすっきりしていれば、
それ以外は関知しないという究極の我儘人。

そのつけを今もらってはいるけれど、
まあ、いろんなことを考えるチャンスをくれたということで、
許すことにいたしましょう。

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