お盆の帰省シーズンが始まった。
だから、都内は閑散としている。
道路も電車も。
この人の少なさで、
お盆シーズンを実感する。
父が92歳の寿命を全うしたのが2年前の6月。
父の住み家だった実家は大正10年生まれ。
父よりほんのちょっと年上。
そして、家が朽ちるか、父が朽ちるか
という時を過ごして、
結果的には父が先にこの世を去った。
父の一周忌の時は親戚と、
この家のお別れ会をした。
今年、三周忌の時は、
私たち姉妹の家族と孫たちの家族だけで、
最後のお別れをした。
この実家を手放すことが本決まりになったからだ。
私も妹も子どもたちも住むことは難しい。
いろいろ考えたけれど、手放す決意をした。
決意はしたものの、小さな海辺の町の
不動産売買の動きは鈍かった。
手放そうか、手放すまいか、
手放そうか、手放すまいか・・・。
本当に手放す!と決めてからも、
これでよかったのかしら・・・
と、私も妹も気持ちが揺れた。
曽祖父が瓦屋を立ち上げて、
何とか手に入れた家と土地。
それを私の代で手放すのか・・、
なんていう思いもあった。
が、結局、手放す決断をした。
手放すと決めてから、およそ10か月が経った。
なかなか決まらなかった買い手も
その最後の1か月であれよあれよという間に決まった。
ちょっぴり嬉しかったこと、
それは買主さんがこの土地を気に入って
買ってくれたこと。
こうして3周忌の前には
家を手放すことが本決まりとなった。
父の三周忌の法要を済ませ
家とのお別れも心行くまで済ませて、
いよいよ家の解体となった。
私たちは解体現場の写真は
逐一もらったけれど、
見には行かなかった、
いや、行けなかったという方が正しい。
丁度、ほぼ更地になった7月下旬、
遂に土地は完全に新たな持ち主のものとなった。
あの築100年に近い家は、
この町から消滅し、
私たちの心の中に移築された。
今年の夏は帰る実家がない。
もちろん、父が倒れてからは
無人の家となっていたので、
お盆だからと帰ることはなかった。
けれど結婚して家を離れてこの方、
途中で父や母は鬼籍の人となったが
家だけは変わらずにその町にあり、
私たち姉妹を静かに待っていてくれた。
だが、今はもうない・・。
ふと気づいた。
昔は私の嫁ぎ先だった家が、
今では子どもたちの実家になっているということに。
実家で迎えられる側であり続けた自分が
これまたいつの間にか
子どもたちを迎える側になっている。
子どもたちが集った夏休みの一日、
私は子どもたちや孫たちの会話を
椅子に座って黙って聞いている自分を
見下ろしている自分に気づいた。
これはどこかで見た光景だ・・・。
そう、それは私たちが実家に帰った時の
みんなでワイワイ食事をした後の母の姿だ。
私は自分が母と重なったような錯覚に陥った。
こうした重なりをもちながら、
時は過ぎ、世代は交代していくのかもしれない。
子どもたちを迎える小さな宴の準備で
少しばかり疲れて言葉少なになっている私。
母もあの時、私たち家族と妹家族合わせて10人の
大連隊の宴の用意で、
ちょっぴり疲れて言葉少なになっていたに違いない。
と、そんなことを思った
心の中に実家を移した夏の
小さなノスタルジーなのでした。
だから、都内は閑散としている。
道路も電車も。
この人の少なさで、
お盆シーズンを実感する。
父が92歳の寿命を全うしたのが2年前の6月。
父の住み家だった実家は大正10年生まれ。
父よりほんのちょっと年上。
そして、家が朽ちるか、父が朽ちるか
という時を過ごして、
結果的には父が先にこの世を去った。
父の一周忌の時は親戚と、
この家のお別れ会をした。
今年、三周忌の時は、
私たち姉妹の家族と孫たちの家族だけで、
最後のお別れをした。
この実家を手放すことが本決まりになったからだ。
私も妹も子どもたちも住むことは難しい。
いろいろ考えたけれど、手放す決意をした。
決意はしたものの、小さな海辺の町の
不動産売買の動きは鈍かった。
手放そうか、手放すまいか、
手放そうか、手放すまいか・・・。
本当に手放す!と決めてからも、
これでよかったのかしら・・・
と、私も妹も気持ちが揺れた。
曽祖父が瓦屋を立ち上げて、
何とか手に入れた家と土地。
それを私の代で手放すのか・・、
なんていう思いもあった。
が、結局、手放す決断をした。
手放すと決めてから、およそ10か月が経った。
なかなか決まらなかった買い手も
その最後の1か月であれよあれよという間に決まった。
ちょっぴり嬉しかったこと、
それは買主さんがこの土地を気に入って
買ってくれたこと。
こうして3周忌の前には
家を手放すことが本決まりとなった。
父の三周忌の法要を済ませ
家とのお別れも心行くまで済ませて、
いよいよ家の解体となった。
私たちは解体現場の写真は
逐一もらったけれど、
見には行かなかった、
いや、行けなかったという方が正しい。
丁度、ほぼ更地になった7月下旬、
遂に土地は完全に新たな持ち主のものとなった。
あの築100年に近い家は、
この町から消滅し、
私たちの心の中に移築された。
今年の夏は帰る実家がない。
もちろん、父が倒れてからは
無人の家となっていたので、
お盆だからと帰ることはなかった。
けれど結婚して家を離れてこの方、
途中で父や母は鬼籍の人となったが
家だけは変わらずにその町にあり、
私たち姉妹を静かに待っていてくれた。
だが、今はもうない・・。
ふと気づいた。
昔は私の嫁ぎ先だった家が、
今では子どもたちの実家になっているということに。
実家で迎えられる側であり続けた自分が
これまたいつの間にか
子どもたちを迎える側になっている。
子どもたちが集った夏休みの一日、
私は子どもたちや孫たちの会話を
椅子に座って黙って聞いている自分を
見下ろしている自分に気づいた。
これはどこかで見た光景だ・・・。
そう、それは私たちが実家に帰った時の
みんなでワイワイ食事をした後の母の姿だ。
私は自分が母と重なったような錯覚に陥った。
こうした重なりをもちながら、
時は過ぎ、世代は交代していくのかもしれない。
子どもたちを迎える小さな宴の準備で
少しばかり疲れて言葉少なになっている私。
母もあの時、私たち家族と妹家族合わせて10人の
大連隊の宴の用意で、
ちょっぴり疲れて言葉少なになっていたに違いない。
と、そんなことを思った
心の中に実家を移した夏の
小さなノスタルジーなのでした。