徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

父のこと ー番外編 その3 実家片付けの巻1ー

2017-01-02 10:55:50 | 父とのこと
暮れも押し詰まった12月30日。
久し振りに実家に向かって車を走らせた。
(オッと、走らせてくれたのは夫・・、感謝)

本当に久しぶりだ。
父が6月に亡くなってから、
とんと回数が減ってしまっていた。

抜けるような青空。
首都高から東名に入るあたりで
富士山がくっきり見えた。

今日は、実家の片付けに向かう。
妹夫婦が、前日から2泊3日で
泊まり込みで片づけてくれている。

実家は空き家になっている。
おまけにほぼ築100年。
もう、人が住むのは難しい。
ちょっとでも風を入れなければ、
家はすぐ死んでしまうのだ。

ということで、手放す決心をした。
今は「売物件」として、小さな旗が経っている。
売る条件は、「更地」にしてというもの。
だから、家は壊すわけだ。

そのためには、正真正銘のごみと、
残すものの区別をしなくてはならない。

妹は時を見て、実家の整理を始めてくれていた。

だが、この実家、築およそ100年。
その意味するところは、
使わないものが溢れかえっているということ。

この実家を建てたのは、私たちの曽祖父。
ひいおじいさん。
瓦屋を興した人。
関東大震災後の建築ラッシュに乗って、
商売を広げた。

だがその後を継いだ祖父は、生粋の職人肌。
いや、職人そのもの。
曽祖父のように商売人ではなかった。
曽祖父の派手な暮らしぶりに比べて、
祖父の暮らしは地味を地でいっていた。

そして父の代に。
父はいわゆるぶきっちょ。
長男ではあったけれど、
瓦屋を継ぐことはなかった。
私たち娘二人も家を出て、
この実家は父の代で絶える運命。

ところで、この家が家として
しっかり手入れをしてもらえていたのは
祖父の代まで。

その祖父ですら、庭の手入れには興味はなかった。
ひい爺さんは、庭を丁寧にしつらえた。
職人だったからだろうか、
庭に小さな「お稲荷さん」がある。
その小さな参道(少々大げさだが)には
椿が植えられ、入り口には
瓦で作られた鍾馗さんや、
同じく瓦造りの鯱や鳩が置かれていた。
「お稲荷さん」の中には
「おきつねさん」が鎮座ましていた。
私たちが幼かった頃、
母と一緒に油揚げをお供えし、
大みそかには掃除をした。

でも、そんな習慣はすでに絶え、
庭も荒れるに任せていた。

庭木も、職人さんを入れなくなって久しく、
庭木は、大木と化した。

私は個人的には小さな林みたいになった庭が好きだ。
しかし、いかんせん、木は大きくなりすぎ、
ご近所に迷惑をかけるようになってしまっていた。

それでも父は動かなかった。
父を説得することは難しい。
私たちが口を出すと、
怒鳴られるのがせいぜいだ。

父がもう自分ではどうにもならないと
どこかで自覚し始めた頃、
私たちは思い切って職人さんを頼んだ。

バッサバッサとやってもらった。
もう父は何も言わなかった。
それから間もなく、父は倒れ、家を離れた。
それが父の家との別れだった。

空き家。
そう、実家は空き家となった。
実家の整理に手を付けられるようになったのは、
父が家を出たからだ。

母が亡くなったとき、
少し整理をしようかと、
母のものを片付けようとしただけで
父は「何するんだ!やめとけ!」と飛んできた。

確かに母を失った上に、
整理されたんじゃたまらないと思ったのかもしれない。
でも、それはちょっと度を越えていた。

「まあ、お父さんが生きている間は、
私たち手を出せないわね」と妹と話した。

それから12年。
ものはまた溜まっていった。

そしていよいよ最後の片付けの時が来た。
実家は大正時代の建築様式で、
ちょっと洒落たところもあった。

建てた当初はそこから箱根の山と富士山が見えた。
西側の窓の一部に「丸窓」があって、
そこにばっちり富士山が入るという趣向。
粋だ。
小学生のころ、私も丸窓から富士山を観た。
夕方になると、近くの松林から山の方に
雀やカラスが、群れをなして帰っていった。
まるで童謡の世界だが、実際そうだった。

それがいつしか家が建ち始め、
丸窓から見えるのは近所の家になってしまった。

一階にも二階にも床の間があった。
二階の床の間の隣には、違い棚があった。
少なくとも祖父の代までは、
床の間には掛け軸が掛けてあり、
琴が立てかけられていた。
茶釜も置いてあったように思う。

つまり床の間本来の使い方をしていたということだ。
それは、祖父の代で終わったと今思う。

祖父が亡くなったのは1959年。昭和34年。
経済の高度成長期の手前だ。
それから、日本の「もの」にあふれる時代が始まる。

ふと気が付くと、電気釜、洗濯機、冷蔵庫、テレビと
家電が家に入り始める。

気が付くと、床の間もいつの間にか物置場になっていった。
生活スタイルが変わっていったのだ。

こうしてその後の50年が続いていく。
父は物が捨てられなかった。
父なりの整理はするのだが、ものは溜まっていく。

いよいよそこに手を付ける日がきたのだ。(つづく)




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2 コメント

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Unknown (ururu)
2017-01-04 11:30:32
新たな年・・・とはいえ
「いつもの年」であり、「いつも通りにしたくない?」年の幕開けですね。

身体は衰えるばかりですが、
気持ちは益々若返るような?
そんな年でありたいと存じます。

今年も宜しくお願い致します。
返信する
Unknown (あかね雲)
2017-01-04 16:23:59
ururuさま

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ブログで気持ちを共有できるなんて、本当に幸せです!
うふふ、気持ちは老け込みたくありませんものね。
返信する

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