徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

あっ、ウィグ忘れた!@実家の父の前

2015-02-07 23:39:13 | 父とのこと
「プルルル、プルルルル・・・・」
あれっ、なに、なに、なに???
寝ぼけまなこの私。
時計を見ると5時40分。

まだ暗い朝。

父かも知れない!

「もしもし、こんな時間に申し訳ありません」(?)
「はい」(私)
「Kさんのお隣のMでございます」(Mさん)
「あ、いつも父がお世話になっております」(私、ペコンとお辞儀)
「あのですね、私の空耳かもしれないのですが、
お父様が『誰か来てくださーい!』とおっしゃっているようで・・・」(Mさん)

また、妄想国の住人が父のところにやってきたのか・・・。

「父は、外に出ていますでしょうか?」(私)
「いいえ、外にはいらっしゃいません」(Mさん)
「すみません。たぶん幻覚が出ているのだと思います。
明け方になるとよくそうなるようなのです。
本当に申し訳ありませんが、もし、また叫んだり、外に出てくるようであれば、
お知らせいただけますか。本当に早くからご迷惑をおかけします。
父はこの頃、幻覚がひどくて、昨日も病院に行ってきました。
病院からのお薬がまた一つ増えたところなんです」(私)
「そうだったんですね。わかりました。
では何かあったらまたお電話いたしますね」(Mさん)
{ありがとうございます!」(私)

父は90歳を超えている。そしてレビー小体型認知症を患っている。
だから、よく妄想国の住人が父の家を占拠する。

そんな父が一人暮らしを続けられるのは、
献身的なケアマネやヘルパーさん、そしてお隣のMさんや向かいのKさんのおかげだ。

でもやっぱり一大事。
結局、その日はいかれず、二日後に父のところに様子を見に行った。

父の部屋に入る寸前、あっ、と思わず絶句。
私、ウィグをつけてくるのを忘れたことに気がついた。

父は、私の白髪のショートヘアを見たことがない。
どうしよう!!

4年半前の卵巣がんの手術以来、二度の抗がん剤治療経験者の私。
「つるぴかはげまる」状態からは脱しても、元に戻るのに半年以上はかかる。
その間、敏感な父が驚くといけないので、いつもウィグをつけて出かけた。

基本的には自分ががんと同居中であることを公にしている私。
でも、父にだけはどうしてもはっきりとは言えないでいる。
父はもちろん薄々知ってはいる。
だからか、私の健康のことをとても気にかけている。
「元気か?そうか。何も変わりはないな。
変わりがないのが一番だ」とは父の電話の決まり文句。

慌てて、何かかぶるものを探したが、持ってきたのは毛糸の帽子だけ。
まさか、帽子をかぶって「ただいま!」ってわけにもいかない。

私、覚悟を決めた。
「お父さん、ただいまー」(私)
「・・・・・・・」(父)
「あっ、このあたま?びっくりしたでしょう。
髪の毛短くしちゃった。それでね、ついでに、髪染めるのもやめちゃった。
フフフ、だから白髪頭ってわけ}(私)
「・・・、そうか、坊主頭もよく似合うじゃないか」(父)
「えっ、(*_*;、フフフ、そうでしょう?意外と似合うでしょう?」(私)
「そうだ、なかなかいいじゃないか」(父)

もともと短気を通り越して、瞬間湯沸かし器のように怒りっぽい父だったが、
認知症の薬の一つ、抑肝散の効果か、人格が丸くなっている。
症状の一つの人格変化がプラスの変化になっている。
ただし、妄想国の住人がいない時だけだけれど。

「なかなかいいじゃないか」なんて反応は全くの予想外。
およそ昔の父からは考えられない反応。
でも、なんだかホッとした。
父がそのまんまの私をそのままスッと受け入れてくれたから。

父とは私が小さい時から多くの確執があった。
それをずっと心に溜め込んでいた時期も長かった。
父には言えないことがいっぱいあった。
父が怒るのが嫌だったから。
ガンと同居中というのを言えなかったのもそのせい。
心配のあまり怒るということもあることは分かっていても、
やっぱり父の怒るのは嫌だった。だから言わなかった。

でも、いつの間にか父は変わっていた。
良くも悪くも。
怒りっぽくても、ウィットにとんだ父は姿を消しつつある。
妄想国の住人と戦いながらも、
穏やかにあるがままを受け入れる父も姿を現し始めた。

もうウィグはいらない。

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