徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

90歳レビー小体型認知症@一人暮らし続行中

2015-02-02 12:08:21 | 父とのこと
朝7時。一人暮らしの父からの電話。

「もしもーし」(父)
「あ、お父さん、おはよう!」(私)
「もしもーし、」(父)
「お父さん、私よ、R子」(私)
「あ、R子か。あのなあ、ここを出でいけって言われたんだよ。
だから、用意したんだが。何で出なきゃいけないんだ?
出たら、どこへ行ったらいいんだ?」(父)

あっ、妄想国の人からお達しがあったんだな。

「お父さん、そこはね、お父さんのおうちだからね、出ていかなくっていいのよ」(私)
「うーん、そうだなあ。じゃあ、出ていかなくっていいんだな」(父)
「そう、出ていかなくていいの。そこはお父さんが持っているおうちだからね」(私)
「そうかー、俺のかー・・・・?。じゃあ、出なくていいんだな」(父)
「そう、出なくていいのよ」(私)
「そうかー、わかった。じゃこのままだな・・・。いいんだな・・・。ガチャン」(父)

時々繰り返されるこの電話。
父は妄想国の住人から、しばしばこのように立ち退きを要求される。
それから、仕事を言いつけられる。
呼びもしないのに、父の家に妄想国の住人がいっぱい来て、
父は家から出ざるを得なくなるときもあった。

そんなとき、玄関の前でうろちょろすることになる。

最近は足が弱ってきているので、
自分から外に出てしまう心配は以前よりぐっと減った。
これが足が丈夫だったら徘徊になるところ。

友人のお母様は父と同じ妄想国の住人に支配され、何度も家を飛び出たという。

妄想国に支配される高齢者、立派な病名がついている。
レビー小体型認知症。

私たちには見えないものがリアルに見える。
例えばこんなことだ。
父は、10年前に母を亡くしたあたりから、幻覚がでるようになった。
小さな母が蛍光灯の傘の上に座っていたり、
夜になると親戚の人がいっぱい来て、うるさいのなんのっていったり。
でも、トイレに行くため居間をいったん離れ、戻ってきたときにはもういないと言う。

そんなことがありながらも、以後数年は妄想国と現実国の区別はわかっていた。
「ああそうか。あれは夢の中のことなんだな」と理解できた。

他の認知症と違うのは、記憶はしっかりしている、
ユーモアのある語りもできるということだ。
母が亡くなって、父と話すことが多くなって、
それはある意味楽しい時だった。


けれど、時がたち、妄想国の住人に支配される時間も多くなった。
その一つのきっかけは東日本大震災だ。
その前までは、娘たちが週1回くらいのペースで様子を見るくらいで
一人暮らしを全うしていた。
震災があり、私の家から1時間40分、
妹の家からだと3時間かかる実家には行きにくくなった。

震災の半年前に、私の卵巣がんが発覚し、以後1年間は休職していた。
それまで週1回行っていた父の家にしばらく行かれなくなった。
妹も持病もち。そんなに繁くはいかれない。

そして2011年夏。
妄想国の住人に家を占拠されるという事件が発生した。

それから、妹が頑張って介護保険の手続きをした。
週1回のヘルパーさんをお願いした。
そして時々、妹が様子を見に行ってくれた。
妄想国の住人が暴れだすと、ケアマネから連絡が来た。

いろいろあって結局私たちは実家から15分ほどのところにアパートを借りた。
実家は古家。
築100年近い。
実家が朽ちるか、父が朽ちるか・・・。
なので、実家に泊まることはかなわないのだ。

そしてついにヘルパーさんが朝昼晩3回入ってくれるようになった。

「俺は軍隊にいるんだな」「ここは施設だからな」という父の発言。
自分の家と思ったり、施設と思ったり、規律が厳しかった軍隊と間違えたり。

自宅にいるけれど、自宅じゃないと思うこともしばしば。
でも一人暮らしを続けられている。
それは、ヘルパーさんが、本当に本当に父の介護をよくしてくれればこそのこと。

今では紙パンツを使用してる。
それをしっかり取り替えてくれ、洗顔、髭剃り、食事作り、入浴まで、
ヘルパーさんたちは本当にプロだ。

私たち娘が父の紙パンツの取り換えなどはほとんど不可能。
娘にはやらせなくない!そのうえ怒り出す。
私たちは自分たちのできなさにがっくり。

でも、そんなとき、妹はヘルパーさんからこんな言葉をいただいた。
「私だって、自分の母のおむつは取り替えられないんです、取り換えさせてくれない・・」と。

この言葉にどれだけ救われたことか。
自宅介護というけれど、家族は本当に難しい。

今の父。自分の家にいて、施設と同等かそれ以上の介助を受けている。
私たち(といっても、今はほとんど妹におんぶ・・・)はケアマネとの次月の計画相談、
医者の往診、医者に連れて行く、そして時々顔を見に行く。

今の父はいつもの日常は変わらないことが一番平穏でいられる。
だから、上記の定期的なこと以外には緊急事態の知らせがない限り、わざといかない。
父とは短い電話でつながっている。

まだ、父は確かめの電話をかけることはできる。
そんな父とのことで、妹とはしょっちゅう、しょっちゅう長電話。
それがまた私たち姉妹にとってはいい時だ。

小学生の時こんなことがあった。
私たち、父の帰ってくる時間に喧嘩をしていた。
家に戻った父は
「たった二人しかいない姉妹なのに、喧嘩するとは何事だー!!!」と怒り炸裂。
父は自分の兄弟と喧嘩しているくせに!と思ったけれど、
以後50年以上、私たち姉妹は喧嘩したことがない。

そんな二人が、持病を持ちつつ、超高齢者の父とつかず離れず歩いているというお話でした。

今のヘルパーさんたち、本当によくやってくれている。
その上に、今の父の生活がある。



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