ウルトラマン1号(小学1年生)と過ごす朝の30分。
2世帯で同居して11か月。
ウルトラの母は7時過ぎに出勤。
ウルトラの父とウルトラマン2号は
7時30分に保育園に向かう。
その7時30分から登校時間の8時まで、
彼は2階のジジババスペースで過ごす。
この30分の過ごし方、
この1年、実にいろいろ変化してきた。
そして今は、1号とババとの
「掛け合い読書タイム」で落ち着いている。
この日のセレクション。
ヨシタケシンスケ「もうぬげない」ブロンズ新社
この本、MOE主催の絵本屋さん大賞第1位。
ちなみに第2位は同じ作者の「このあとどうしちゃおう」
ヨシタケシンスケ「このあとどうしちゃおう」 ブロンズ新社
ヨシタケシンスケさんの作品はなかなかだ。
この間、懇意にしている児童書専門店
「ハックルベリーブックス」にお邪魔した時、
1号や2号と楽しめそうと思って手に入れた。
「もうぬげない」は
2,3歳の子どもによく起こる出来事。
この絵本、
「ぼくの ふくが ひっかかって ぬげなくなって
もうどのくらい たったのかしら。」ではじまり、
「・・・パジャマが ひっかかって きられなくて
もう どのくらい たったのかしら。」で終わる。
あらすじはこうだ。
男の子が、お風呂に入るとき、
お母さんが、急いで脱がそうとする。
そのとき上着が首に引っ掛かってしまう。
男の子は「ひとりで ぬぐから だいじょうぶ!」といって
一人で脱ぐべく奮闘する。
その間、「このままずっと脱げなかったらどうしよう・・」
という気持ちと、「脱げなかったら脱がなきゃいいんだ!」
という気持ちの間を揺れ動く。
その気持ちの表現は、
「やっぱり おかあさんに ぬがせてもらって、
おフロに はいろうかな・・・」
「いや!! でも くやしいから じぶんで ぬぐ!」
といった具合だ。
そして、結局脱げない。
男の子はつぶやく。
「・・・・やんなきゃ よかった・・・・」
「もう おしまいだ・・・」
というところで、ガラッと引き戸が開いて、
お母さんが現れる。
あっという間に、ポイ、ポイ、ポイと服を脱がされ
おフロの中に。
男の子は思う。
「・・・けっきょく いつも おかあさんの いいなりだ」と。
そしてパジャマを自力で着ようとするが・・・、
「・・・パジャマが ひっかかって きられなくなって
もう どのくらい たったのかしら。」
で、終わる。
この男の子、巷では「イヤイヤ期」といわれる
2歳児を彷彿とさせる。
でもこの「イヤイヤ期」という言葉、
私にはずっと違和感があった。
今ではお母さんの中に知れ渡り、
2歳児の年齢近辺のお母さんたちは、
この言葉を連発する。
「イヤイヤ期」だから仕方がない、
「イヤイヤ期」で本当に困った・・等々。
私も少し前までは、
こんな風に「自分で!」を連発する時期に入った
子どもたちを持つお母さんたちに、
「これは、自立の初めの一歩だから、
基本的には喜ばしいことだけれど、
ほんと、たいへんよねえ」などど、
お母さんに寄り添った風な発言をしていた。
でも、この絵本に出会って、考えてしまった。
そうだ、子どもの気持ちってどうなのかって。
そこを丁寧に救い上げているのが、
作者のヨシタケシンスケさんだ。
「一人で脱ぐからだいじょうぶ」と
言ってはみたものの悪戦苦闘する。
その悪戦苦闘の一生懸命さが、
短いつぶやきに乗せられている。
「やんなきゃ よかった」「もう おしまいだ」
その男の子の焦りや後悔は二本の曲線に、
それを上から腕組みをして見下ろす母親の視線。
どんな言葉よりそこに描き出された線がものを言っている。
<ヨシタケシンスケ「もうぬげない」裏表紙
母親たちはいうことを聞かなくなった子どもたちを
「こまったちゃん」といってみたり、
「イヤイヤ期ってまったく」なんていうけれど、
子どもたちは、全身全霊で、自分でしたいという気持ちと、
そこまでの実力はまだないという現実との乖離を
生きているのだと思わされる。
ほんと、ここでも子どもは一生懸命、そして哲学的!
ところで、その時期を終えた1号は
その場面をユーモアととらえて
楽しんでいた。
二人はいろんな気持ちをもって笑いながら、
どんな風にも楽しめるこの絵本を
この1週間必ず一日1回は
読んでいるのでありました。
2世帯で同居して11か月。
ウルトラの母は7時過ぎに出勤。
ウルトラの父とウルトラマン2号は
7時30分に保育園に向かう。
その7時30分から登校時間の8時まで、
彼は2階のジジババスペースで過ごす。
この30分の過ごし方、
この1年、実にいろいろ変化してきた。
そして今は、1号とババとの
「掛け合い読書タイム」で落ち着いている。
この日のセレクション。
ヨシタケシンスケ「もうぬげない」ブロンズ新社
この本、MOE主催の絵本屋さん大賞第1位。
ちなみに第2位は同じ作者の「このあとどうしちゃおう」
ヨシタケシンスケ「このあとどうしちゃおう」 ブロンズ新社
ヨシタケシンスケさんの作品はなかなかだ。
この間、懇意にしている児童書専門店
「ハックルベリーブックス」にお邪魔した時、
1号や2号と楽しめそうと思って手に入れた。
「もうぬげない」は
2,3歳の子どもによく起こる出来事。
この絵本、
「ぼくの ふくが ひっかかって ぬげなくなって
もうどのくらい たったのかしら。」ではじまり、
「・・・パジャマが ひっかかって きられなくて
もう どのくらい たったのかしら。」で終わる。
あらすじはこうだ。
男の子が、お風呂に入るとき、
お母さんが、急いで脱がそうとする。
そのとき上着が首に引っ掛かってしまう。
男の子は「ひとりで ぬぐから だいじょうぶ!」といって
一人で脱ぐべく奮闘する。
その間、「このままずっと脱げなかったらどうしよう・・」
という気持ちと、「脱げなかったら脱がなきゃいいんだ!」
という気持ちの間を揺れ動く。
その気持ちの表現は、
「やっぱり おかあさんに ぬがせてもらって、
おフロに はいろうかな・・・」
「いや!! でも くやしいから じぶんで ぬぐ!」
といった具合だ。
そして、結局脱げない。
男の子はつぶやく。
「・・・・やんなきゃ よかった・・・・」
「もう おしまいだ・・・」
というところで、ガラッと引き戸が開いて、
お母さんが現れる。
あっという間に、ポイ、ポイ、ポイと服を脱がされ
おフロの中に。
男の子は思う。
「・・・けっきょく いつも おかあさんの いいなりだ」と。
そしてパジャマを自力で着ようとするが・・・、
「・・・パジャマが ひっかかって きられなくなって
もう どのくらい たったのかしら。」
で、終わる。
この男の子、巷では「イヤイヤ期」といわれる
2歳児を彷彿とさせる。
でもこの「イヤイヤ期」という言葉、
私にはずっと違和感があった。
今ではお母さんの中に知れ渡り、
2歳児の年齢近辺のお母さんたちは、
この言葉を連発する。
「イヤイヤ期」だから仕方がない、
「イヤイヤ期」で本当に困った・・等々。
私も少し前までは、
こんな風に「自分で!」を連発する時期に入った
子どもたちを持つお母さんたちに、
「これは、自立の初めの一歩だから、
基本的には喜ばしいことだけれど、
ほんと、たいへんよねえ」などど、
お母さんに寄り添った風な発言をしていた。
でも、この絵本に出会って、考えてしまった。
そうだ、子どもの気持ちってどうなのかって。
そこを丁寧に救い上げているのが、
作者のヨシタケシンスケさんだ。
「一人で脱ぐからだいじょうぶ」と
言ってはみたものの悪戦苦闘する。
その悪戦苦闘の一生懸命さが、
短いつぶやきに乗せられている。
「やんなきゃ よかった」「もう おしまいだ」
その男の子の焦りや後悔は二本の曲線に、
それを上から腕組みをして見下ろす母親の視線。
どんな言葉よりそこに描き出された線がものを言っている。
<ヨシタケシンスケ「もうぬげない」裏表紙
母親たちはいうことを聞かなくなった子どもたちを
「こまったちゃん」といってみたり、
「イヤイヤ期ってまったく」なんていうけれど、
子どもたちは、全身全霊で、自分でしたいという気持ちと、
そこまでの実力はまだないという現実との乖離を
生きているのだと思わされる。
ほんと、ここでも子どもは一生懸命、そして哲学的!
ところで、その時期を終えた1号は
その場面をユーモアととらえて
楽しんでいた。
二人はいろんな気持ちをもって笑いながら、
どんな風にも楽しめるこの絵本を
この1週間必ず一日1回は
読んでいるのでありました。