2020@TOKYO

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■風姿花伝―花は残るべし

2009-10-24 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  昨日はルーマニア大使館で催された生け花とワインの会に出かけました。正確なタイトルは、「ルーマニアガラスに活けるニッポン」というもので、草月流生け花作家の州村衛香さんが、生け花に関わる解説を交えながらルーマニアグラスに花を生けて行くという趣向でした。

  私は生け花というものにほとんど縁がなく、学生時代に出かけた現代音楽の演奏会で、器楽の音にあわせて安達瞳子さんがサクサクと花を生けて行く一種超然とした光景だけが、イメージとして残っていました。

  今回の催しも誘いを受けたときに、実のところ生け花などたいした興味もなく、その後に供されるらしいルーマニアワインに釣られて出かけたものでした。

  当日は形の異なる四つの花器にそれぞれ別の創意に溢れた花が生けられたのですが、あらかじめ定められた花器という限定された空間に、わずかな時間の中で視覚的な小宇宙を造形してしまう生け花の力に圧倒されました。完成した生け花は、正面からの鑑賞ばかりでなく、私たちには360度角度を変えて楽しむことが許されていました。

  後のワイン会を抜け出した私は、気がつくと、幽玄な薄明かりの中に静かに佇みつつも自らが格調高い光彩を放つ花々の前に屹立していました。

  花が生けられていく過程、それはいわゆる序破急と呼ぶべきスリリングな展開に満ちているのですが、幽玄、序破急、花といった言葉こそは世阿弥の風姿花伝を想起させます。

  昨日、生まれて初めて生け花が少しは理解できたのかもしれないと思ったとき、私は自分が結構な年齢になっていたことに気づきました。風姿花伝は、年来稽古条々という章に始まり、説き起こしは七歳からとなっています。

  この芸において、大方、七歳をもて初めとす。この比の能の稽古、必ず、その者自然とし出す事に、得たる風体あるべし。

  このように始まった章は、やがて我が五十有余歳をもって一旦閉じられます。

  五十有余歳 この比よりは、大方、せぬならでは、手立あるまじ。「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申す事あり。さりながら、誠に得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて、善悪見所は少なしとも、花は残るべし。

  
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