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■仰臥漫録

2009-08-20 | ■俳句
  本日もご近所走りをやったのですが、少年の頃から見慣れた路地裏を走ったり歩いたりしていると、折々の景色を俳句に詠みたくなります。とはいえ、スロー・ジョギングやウォーキングをつづけながら句を詠むのはなかなか難しく、目下のところは、着想を深化させることで楽しんでいます。

  俳句を始めてから、関連の書物を何冊か読みました。高浜虚子の「俳句への道」「俳句はかく解し、かく味わう」、正岡子規の「墨汁一滴」「歌よみに与ふる書」「仰臥漫録」などです。

  とりわけ、子規の「仰臥漫録」は、彼の死の前年(明治34年9月)から死の直前までの日常を綴ったもので、左右ともに大半が空洞となってしまった肺をかかえ、生存自体が奇跡と医師に言わしめた壮絶な状況のもとでの毎日の暮らしが詳述されています。

  驚くべきはその食欲。生きることへの欲求がそのまま食欲に表されているようで、読んでいる我々が少し気持ち悪くなるほどえす。

  例えば、明治34年9月2日。

  朝 粥四椀、はぜの佃煮、梅干(砂糖づけ)
  昼 粥四椀、鰹のさしみ一人前、南瓜一皿、佃煮
  夕 奈良茶飯四椀、なまり節(煮て少し生にても)茄子一皿
    二時過牛乳一合ココア交ぜて
    煎餅菓子パンなど十個ばかり
    昼飯後梨二つ
    夕飯後梨一つ

  この後、子規は大食がたたって腹痛に苦しみます。しかし、この異常とも思える食欲は次の日も、その次の日も継続していきます。

  翌9月3日は次のように記されます。

  朝 ぬく飯二椀 佃煮 梅干
    牛乳五勺(ココア交) 菓子パン数個
  昼 粥三椀 鰹のさしみに蝿の卵あり それがため半分ほどくふ、晩飯のさいに買置たるわらわをさしみにつくる 旨くなし 食はず
    味噌汁一椀 煎餅三枚 氷レモン一杯呑む
  夕 粥二椀 わらさ煮 旨からず
    三度豆 芋二、三 鮨少し 糸蒟蒻
    総て旨からず 佃煮にてくふ 梨一つ

  鰹のさしみに蝿の卵あり それがため半分ほどくふ…、瀕死の病床にありながら、現世へ生き残るための野望のようなものが溢れていて、恐ろしくなります。

  この記述のあとで、子規は次の句を詠みます。

  町 川 に ぼ ら 釣 る 人 や 秋 の 風 

  圧巻は9月12日。

  朝飯 ぬく飯三椀
     牛乳五勺(紅茶入) ねじパン形菓子パン一つ(一つ一銭)
  午飯 いも粥三椀 松魚(かつお)のさしみ 芋 梨一つ 林檎一つ 煎餅三枚
  間食 枝豆 牛乳五勺(紅茶入) ねじパン形菓子一つ
  便通あり
  夕飯 飯一杯半 鰻の蒲焼七串 酢牡蠣 キャベツ 梨一つ 林檎一つ

  鰻の蒲焼を七串とは!大食の後で、子規が詠んだ句は…。

  病 閑 に 糸 瓜 の 花 の 落 つ る 昼

  消 え ん と し て と も し 火 青 し き り ぎ り す 

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