キャロル・キングが来日する。17年ぶりだそうだ。17年前といえば平成2年、福田康夫新総理が国会議員になった年のことだ。
18から22歳にかけて、聞いていた音楽の多くは、当時のCBSソニーからレコードがリリースされているものだった。ポップスでは、キャロル・キング、サイモンとガーファンクル、サンタナ…、クラシックはレナード・バーンスタイン、ジョージ・セル、グレン・グールド…そして、何よりジャズのマイルス・デイビスなど。
あの頃、CBSソニーは、コロムビア、キング、クラウンなどという、いわゆる民族資本系のレコード会社とは明らかに一線を画する独自の存在だった。通常、LPレコードの表Ⅰに対して縦にかけていた帯(宣伝コピーなどが入っている)を、表Ⅰの天の位置にかぶせた。これによって、レコード店の餌箱(当時は、レコード店の陳列棚をこう呼んだ)では格別にレコードを選別しやすくなった。ジャケットに使われる紙は一様に厚手のボール紙で、パッケージソフトに対する毅然とした主張を感じたものだ。
18から22歳にかけて、キャロル・キングの「つづれおり」は本当によく聞いた。下北沢のロックやジャズ喫茶に隠遁していた私は、このアルバムに収められている "So Far Away" "It's Too Late" "You've Got A Friend" などを好んで聞いたり歌ったりしていた。
とりわけ、"It's Too Late" は、失恋の経験もないのに、妙に心にしみた。
And it's too late, baby now it's too late
Though we really did try to make it
Something inside has died and I can't hide
And I just can't fake it
もう、遅すぎる、遅すぎるのよ
ふたりは努力したけれど
心の炎が消えたのを、私はそれをかくせない
私はそれをだませない
とても、とても、だませない…
下北沢にあった友だちのボロアパートで、畳の上に寝転がりながら、ポータブル・レコードプレーヤーから流れる雑音だらけのこの歌を聞いていた頃、まだ20歳の身でありながら、「遅すぎる、遅すぎる」というフレーズばかりが心に刺さっていた。
このまま何もしないで、何者にもならないで、一生を終えてしまうのだろうか?という漠然とした不安が、「遅すぎる」という言葉から聞こえたのだ。
青年が成熟する過程で味わう将来へ向けての恐れのような感情を、失恋の歌の中に聞いていた時代があった。