林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

教える側が学び続ける動機

2010年08月29日 | 教養英語
かなり久しぶりになりますが、再度ブログを始めたいと思います。いろいろ書くべきことはありますが、今日は前回の続きのようなことです。


ある人が『英語青年』(研究社)が廃刊されてしまった事を嘆いていた。  (ただし、現在全くなくなったわけではなく、研究社のホームページから「 web英語青年」 なるものを読むこともできないわけではない)。

私も、この雑誌がなくなった事以上に残念に思っている。以前大学で教えていた頃は、図書館にある『英語青年』を大量にコピーしていたものである。その後、近くの図書館にはないので、やむを得ず横浜にある県立図書館まで行ってコピーした事さえある。英語と英語文学に関する、最新の興味深い情報で溢れていたのだ。

ところで、ある程度以上の大学を卒業して「普通の中高生」に教えるのであれば、本当のところそれ以上英語を学習する必要ないのではないのか。たとえ英検準一級に達していないとしても、普通の生徒との英語の学力差がかなり大きいだろう。だから、英検準1級未満だとしても、十分な英語力になってしまう。したがって、英語教師が自分の英語力を磨こうとするのであれば、それは必ずしも職業的な要請によるものではないはずだ。

他の先生方はともかくとして、私の場合は『英語青年』的な英語への関心、あるいは英語圏文学と文学批評への関心が、英語学習へのモチベーションであり続けた。正直に言って、社会科学や歴史などの英語ばかりを読み続けているのだとしたら、英語を学んでみようという気にはならなかったであろう。そしてその延長上に英検1級を取得したり、塾で英語を教えてみようと思ったりしたのである。

英語圏文学を学び、『英語青年』を読むことが、英語を教える事に直接的に役に立つわけではない。しかし、教える側も何か学び続けているということは、間接的に意義のあることなのではないかなと思っている。

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