林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

現代文の語彙増強の必要性(その2)

2010年04月10日 | 受験
画像は、2005年度の早稲田大学教育学部の国語の2番の問題の冒頭である。問題文は、中学受験でもお馴染みの重松清が開高健ノンフィクション賞の選考委員として書いた文章である。

それほど難しい問題ではないかもしれないが、それにしても典型的なテーマを論じた、典型的な文章である。つまり、この種の文章と語彙について多少なりとも知識があれば、非常に解きやすくなるわけだ。

さて、傍線を引いたのは、ノンフィクション作品における「事実の重み」についての箇所と、「開高健」の名を冠した賞」というところ。また「ノンフィクション」の定義そのものを揺るがせかねない爆弾 の傍線は、問題作成者によるものだ。この冒頭箇所を読むだけで、議論は大方見当がついてしまうというものではないか。(しかも、読者の期待を裏切らない、良くも悪くも凡庸な作家である重松清の文章なのだ)。要するに、ノンフィクションの「事実の重み」と、事実を観察し記述する書き手の作家性とを対置させ、後者の重要性を論じた文章に違いないのだ。事実の客観性・事実性のみを有り難がる姿勢を批判し、それを見つめ記述する主観的認識者の役割の重要性を説いているのだ。

主観と客観、あるいは、主体と客体、観察者と対象といった二項対立する重要概念についてあらかじめ学んでいれば、重松清の文章はその単なる変奏曲でしかないことが分かる。その上で問題を解いていけばよい。

現代文の解き方の一つの確かな方法論が、ここにあるのではないか。