5月3日お昼
ふくの河久でふく刺しぶっかけ丼を食べた後・・・
楽しみにしていた「源平船合戦 海上パレード」が始まりました。
私は、歴史の知識が全くありません。
ひろすけママも同じく、、、(笑)
源平の戦い? 義経と清盛!?
壇ノ浦の戦い!?←小6レベルです
実はそれ以上、わかりませんでした(笑)
源氏の白旗、平家の赤旗に分かれて・・・
ぐるっと2周を回ります。
義経さん弁慶さん
実はこのパレードの前、義経さん&弁慶さんを捕まえて
写真を撮らせてもらいました。
だれか~歴史を教えてください(泣)
ふくの河久でふく刺しぶっかけ丼を食べた後・・・
楽しみにしていた「源平船合戦 海上パレード」が始まりました。
私は、歴史の知識が全くありません。
ひろすけママも同じく、、、(笑)
源平の戦い? 義経と清盛!?
壇ノ浦の戦い!?←小6レベルです
実はそれ以上、わかりませんでした(笑)
源氏の白旗、平家の赤旗に分かれて・・・
ぐるっと2周を回ります。
義経さん弁慶さん
実はこのパレードの前、義経さん&弁慶さんを捕まえて
写真を撮らせてもらいました。
だれか~歴史を教えてください(泣)
また遠いところまで遠征したんですね。
↓のふぐや近代建築にひかれます~。
源平船合戦・・・できたら手漕ぎの船で
やってほしかったな^^;
源頼朝の命令を受け、源氏の軍団を率いて進軍した義経(牛若丸の成長後だす)の天才的な作戦に、平家の軍団は連戦連敗。総帥平清盛も病に倒れる中、平家の血筋を引く幼い安徳天皇を戴いた平家一門は、都を落ちて西国へ逃れ逃れ、瀬戸内海の果ての壇ノ浦で最後の決戦を挑んだのです。
一時は潮の流れに乗って攻めかかり、義経を追い詰めたものの、ついに戦いは源氏の勝利に終り、安徳天皇は祖母で平清盛の妻であった二位の尼に抱かれて波間に身を投げ、名だたる平家の武将も女官たちも皆海の底へと沈んで行ったのでありました。
以上、おそまつではありますが、源平合戦の概略です(汗)
あら、あまり歴史に詳しくないのですか?
京都散策されてたら、歴史だらけなのに~笑。
壇ノ浦のときは、清盛はもう死んでいますよ。それに、頼朝はここまで来てないし・・・。
ちなみに、私は、ここで討ち死にした、清盛の息子の平知盛ファンです♪
ところで、赤白どちらが源平かは、わかっておられたんでしょ?
↑龍3さんの続き
安徳天皇の母建礼門院徳子は助けられ、我が子と平家一門の菩提を弔うため、東山・長楽寺で剃髪。
その後、長楽寺ではあまりに都内のことで、大原の寂光院へ移られ、そこで生涯を閉じる。
しかし、源平の戦いの終了は、新たな源氏同士の戦いの始まりでしたね。
遠かった~でも、友人がいる内に・・・と思って行ってきました。
源平船合戦がちょっと味気なかったのは
やっぱり手漕ぎじゃなかったからかな~
友人もそう思ったようです(笑)
一応勉強はしたので、ぼや~っとは分かる程度。
そして聞けば「あ~そうだった!」と思い出しますが・・・
説明なんて到底無理なレベルです。
京都好きなのにコレでいいのでしょうか??
と普段から気になっているんですよね(笑)
(だから私のブログには、あまり歴史の話しはでてきません)
義経と頼朝、、、書き間違いです
紅白の違いは分かりましたよ~
時間見つけて勉強したいです。
まあ、船がながされちゃったら、えらいことになりますものねえ(爆)。
じゃあ、義経の八艘とびをやるとか。
(それも無理ですねえ。)
rinaさま、歴史は楽しいので、遊びながら知ってみてください。(学問は遊びです)
来年は検討してほしいですね~
そしたらもっと有名になるかも。。。
歴史は高校の時、選択していたのですが
どうも苦手です。
勉強しよう!という気はあるので
そのうち、余裕ができたら。