りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

人間万事塞翁が丙午。

2011-01-20 | Weblog
自分の執筆活動がひと段落したので、ただいま久々に読書中。

「人間万事塞翁が丙午」青島幸男。

1981年前期の第85回直木賞受賞作。
著者に関しては、細かい説明は不要だろう。

もちろん僕も、以前から知っていた。
直木賞受賞の翌年、テレビドラマ化されて、それを視た記憶が断片的に残っている。
でも、原作の本著を読んでみようという気に今ひとつなれなかった。
その理由は、物語が戦時中の話だったからかもしれないし、舞台が「東京の下町」と
いう、瀬戸内に暮らす僕から見れば、最も遠く離れた世界だったからかもしれない。
もうひとつ加えれば、「青島幸男」という、昭和を代表する(もしかすると最初で
最大の)マルチタレントが執筆した・・・というたったそれだけの先入観で、眉つばで
この作品を敬遠していたのかもしれない。

しかし、あるひとつのエピソードが、僕にこの本を読ませるきっかけになった。

青島氏にとって、本作品が生涯で唯一執筆した小説・・・つまり処女作であったにも
関わらず、いきなり直木賞を受賞したこと。
・・・・いや、実はこのエピソードは知っていた。
僕が、唸ったのはそれに付随するエピソードだ。
青島氏は、なんと執筆前から「直木賞を獲る」と公言して、執筆、出版し、そして実際に
受賞してしまったのである。


有言実行にも、程がある(笑)


受賞から30年の時間が過ぎて、僕は今、ページをめくっている。
面白い。
素直にそう思いながら、物語を読んでいる。
以前は遠い世界と思っていた「東京の下町」も、なぜか違和感を感じない。
それは講談調の文体のせいなのか、それとも主人公たちと僕の年齢がほぼ同じくらいに
なったからなのか、それとも「青島幸男」という稀代の才人が、もう鬼籍に入ってしま
ったからなのか・・・僕にもよく分からない。

でも、時間を経て、気がつけば受け入れられるようになる、というのも悪くはない。
そう思いながら、夜な夜な紅茶を口にしながら、僕は今夜もページをめくっている。
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げん担ぎ。

2011-01-19 | Weblog
以前からこのブログにも書いていたように、昨年末からあまり良いことが起こらなかった。

もちろん、今までもアンラッキーなことは数え切れないほど経験してきた。しかしその都度、
それらをクリアしてきたし、だからこそ今の僕が存在していると言っても過言ではない。
つきつめれば、そもそもこの世に生まれたこと自体がアンラッキーを爆弾のように抱えて
母親の胎内から飛び出して来たようなものだ・・・というところまで行くと、哲学や宗教
の話にまで飛躍してしまうので、それ以上は書かない(笑)

兎にも角にも、昨秋から年末にかけて。

本当にアンラッキーなことが起こり過ぎて、いつもならば、ひとつずつクリアするなり
スルーしてきた僕でも、さすがに今回は自分のキャパシティーを超えてしまった。

酒の席などで、勢いにまかせてそんな愚痴を他人に話すこともあった。しかし、だいたい
皆、異口同音に
「誰にでもあるよ」とか、
「厄年だから」とか、
「死ななかっただけ、マシじゃん」とか、
人によっては、「俺は同じその年に、癌になったよ」と言って、流してしまう。
さすがに「癌」を例えに出された時は、無口になって愛想笑いをすることしかできなかったが、
それ以外は、頭で理解できても心は共感できないままでいた。

そうなると、人間はどうなるか。

弱くなるのである。

では、弱くなると、どうなるか。

神仏に頼るのである。

年末年始の僕は、きっと世界中で最も信心深い人間だったはずだ。
年の瀬の12月29日に地元の八幡神社に参拝し、大晦日は地区の天神様の境内を大掃除した。
明けて、元旦。初詣に再び八幡神社へ。年を跨いだと言えど、こんなに短いスパンで神社に
参拝したのは、生まれ初めてのような気がする。もちろん、おみくじをひいた。当然、大吉
である。大吉でないと困る(笑)
正月の2日には、父方の曾祖父、父方&母方&妻の父方の祖父母、叔父の墓に片っ端から参った。

その甲斐があったのか、1月も半月が過ぎたが、比較的体調は良好だ。
肉体も精神も、安定している。

そうそう、ひとつ、大切なことを忘れていた。

僕は右手の中指にシルバーリングをつけているのだが、昨年の11月に新しいリングを購入して、
それを付けた。
今、考えればそれが分水嶺だったかのように、それ以降アンラッキーなことが起きはじめた。
こう書くと、また上述したようなことを他人から言われてしまいそうだが、世界一の信心人間
には、そうとは思えないのである。
だから、昨年末、新しいリングを外して、以前のリングに戻した。

そしたら、どうだ。
肉体も精神も安定している。妊婦の安定期にも負けないくらい安定している。

以前のリングは10年近く、右手の中指に収まっていたので、擦れて傷だらけになって、お世辞
にもオシャレなリングとは言えない。
でも、僕が所有しているリングの中で、最も指にしっくりくる。
何よりも、おちつく。
一度外したからこそ、分かることもあるのだ。

こういうことを、げん担ぎというのだろうか。
それとも、長年はめ続けて、自分の身体の一部のようになったリングには、心理学的にも何かしら
の作用を起こす科学的根拠があるのかもしれない。

どちらにしても、しばらくは・・・いや、もう他のリングは右手の中指にははめないだろう。
心身がこの調子で推移するのならば。
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西村賢太。

2011-01-18 | Weblog
やられた。

直木賞ばかりに気を取られていたので、最近の芥川賞には、正直いってあまり興味を示していなかった。
しかし、今回の受賞作と、そして何よりも受賞作家の個性に、強烈な引力を感じた。

西村賢太氏。

僕にとっては、ダークホースのような存在だった。
こんな作家がいたんだ。
しかも同世代で。

受賞の記者会見でのコメント。
「そろそろ風俗に行こうかな、と思ったところで(受賞を)聞いた。行かなくてよかったです」

そのコメントに、思わず拍手を送ってしまった。
いいぞ、西村氏!
これほど清々しく潔く男を感じるコメントを、僕は聞いたことがない。
何よりも、文壇の最高権威と風俗を天秤にかけた作家は、彼が初めてではないだろうか(笑)

さっそく西村氏の経歴と作品をネットで検索してみた。

面白そうな作品を書いている。
特に第134回芥川賞候補になった「どうで 死ぬ 身の 一踊り」は、ぜひ読んでみたい。
選考委員の山田詠美が、巧みな皮肉を込めながらも絶賛している。

10代は、村上春樹。
20代は、村上龍。
30代は、重松清。

その世代、世代で、僕が貪るように読みふけった作家たち。

もしかすると、僕の40代の調味料になるのは、西村氏の作品かもしれない。
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Nick Lowe

2011-01-18 | Weblog
偶然。ホントに偶然だった。
昨夜YOU TUBEをダラダラ見ていたら、
この歌にたどり着いたのだ。

そう、季節はちょうど今ごろ、真冬だった。
勉強机の端に置いていたラジカセのFMから、
突然ゴキゲンなROCK&ROLLが流れてきた。

“カッコいい~~~

理屈や道理ではなく、直感だけで生きていた
当時16歳の僕の心を、そのナンバーは一発で貫通した。

しかしそのナンバーの曲名はもちろん、プレイヤーが
誰なのかさえも分からないまま。
当時の僕が辛うじて分かったことは、たぶん、“外人”
だろうということだけ(笑)
そこそこ洋楽を聴いていたという自負があった僕だったが、
どんな音楽雑誌を見ても、どんな音楽番組(ベストヒットUSAとかね)
を見ても、いったい、それがどこのだれなのか、一向に分からなかった。

そして、25年後。
突然、再会した。

この曲がPCから流れはじめたとたん、
思わず僕は悲鳴に近い声を上げてしまった。

しかしすぐに正気に戻り、誰の歌かを調べる。
ニック・ロウだったのか・・・。

盲点。思い込み。早とちり。25年目の後悔。

まさかブリテッシュ・シンガーだったとは・・・。
そのビートやメロディーから、絶対にMADE IN USAだとばかり
思っていた。

そうか。ニック・ロウだったのか。

しかし、ほんとに久々に聴いたけど(四半世紀ぶりだ)、
やっぱり、ストレートなROCK&ROLLはいいね
なんだか、数年ぶりにオールディーズやアメリカン・ロックンロールの
マイブームが到来しそうな予感です

Nick Lowe☆I knew the bride
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あんたが、言うな。

2011-01-17 | Weblog
今朝のニュースで。

インドを訪問中の鳩山前首相が、第2次管改造内閣について、
「私には理解できない」と記者団に語ったそうだ。

・・・・・・・・・(ー_ー;)

この国は言論の自由は保障されているけど、
あなたには言う資格はないと思うよ。



話は変わるけど、今日は芥川賞・直木賞の選考会。
今夜、受賞作が決まりますね。

直木賞に関しては、個人的には、そろそろ荻原浩氏に受賞して欲しいなぁ。

候補作にエントリーされた作家の方々って、今どんな心境なんだろう?
きっと、アタフタなんてしていないだろうな。
デンと構えて、果報は寝て待つ・・・そんな感じだろうか。

いや、実は外見は平常心を装っていても、内心は心臓が七転八倒してたりして(笑)
願わくば、そうであって欲しい。
その方が、よっぽど人間らしい。
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大雪・・・じゃなかったの?

2011-01-16 | Weblog
天気予報によると、昨夜から今日にかけて積雪しているはずだった。

でも写真のとおり、気持ちがいいほどの快晴

ちょっと離れた広島市内や県北は、大雪でちょっとした交通マヒも

起こっているのに・・・。

ホントにこの辺りは温暖なんだなぁ。

でも、風は突き刺すように冷たい。

もう一度天気予報を確認すると、低温注意報が発令されているそうだ。



今日は午後から、子どもたちの小学校の日曜参観。

しかし参観内容は、なぜか、体育館でカルタ大会と大なわとび大会。

子どもたちに罪はないが、しかしこんな日に限って・・・(-_-;)

時代は変わっても、体育館のあの凍死しそうな底冷えは、

きっと変わっていないだろう。

厚着して行かなければ・・・・
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勢いにまかせて。

2011-01-15 | Weblog
ちょうど、一週間前。

執筆していた小説の第一稿が上がった、という日記を
このブログに書いた。
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/3745a0ef7c8bf76362f388f0043ff092

あれから毎晩、推敲を重ねて、昨日脱稿して(というより、させた)、
昨日、封筒に入れて、郵送した。

送り先は、某短編文学賞。

ここ数年、毎年チャレンジしているのだが、まだ入賞したことがない。
しかし応募をしはじめた当初は、最終選考の約10本の中に入ることが何度かあった。
だが、一昨年、昨年はともに最終選考に残らなかった・・・onz

正直、ショックだった。

双方とも約半年くらい前から、構想を練り上げ、執筆し、推敲に推敲を重ねて
「よし、これで完璧」と、自分で完全納得して応募した作品だったから、
なおさらショックの度合いは大きかったのだ。

だから、今回は逆でいった。

一週間前の日記にも書いたが、執筆したのは第一稿までで延べ4日。
それから一週間が過ぎたのだから、結局約10日で脱稿したことになる。
これまでで、最短の執筆時間だ。

もちろん、手を抜いたわけではない。
今の自分の筆力はすべて出し切ったつもりだ。

ただ今回は、“勢いにまかせて”というスタイルに戻したのだ。
手前みそながら、この10年ほどの間に、ありがたいことに、稚拙な小説ながらも
何度か賞をいただき、それを励みに今まで続けてきたのだけれど、
それに比例するように、作品を書き続けるに連れて作品を仕上げる慎重さも
増してきたように思っていた。
ここ数年は、それが過度になりすぎているような気もしていた。

僕が生まれて初めて小説で賞を受賞したのは、地元の某タウン誌が主催した
文芸大賞だったのだが、思えばそれに応募した時は、もう勢い以外の何ものでも
なかった
400字詰め原稿用紙154枚という、それなりのボリュームがあったにも関わらず、
2~3回の推敲をしただけで応募したのだ。

今の僕では、到底考えられない・・・

でも、そういう、ある意味ヤケクソ気味の“勢い”というものも、時には
必要なのではないか?と最近思うようになった。
今回は、それを再度実践してみたようなものだ。

もちろん、作品には自信がある。
受賞できるかできないかは、それこそ神様しか分からないが、
ちゃんと読者に読んでもらえるに値する作品を綴ったつもりだ。

だから、あとは勢いだけだ、と思った。

もう、送った。
あとは、知らない(笑)
5月の発表まで、僕は忘れる。

果報は、ひたすら寝て待つ
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観光ポスター。

2011-01-14 | Weblog
仕事の話。

毎年、この時期になると、とある自治体の観光ポスターをデザインしていた。
そのポスターは、数社によるコンペ形式で、見積書とデザインの双方を
先方に提出して、その中から採用されるという仕事だった。
つまり、相応の金額と秀でたデザインの作品が採用されるわけである。

僕がこの仕事を初めて担当にしたのは、今から13年前だった。
やる気満々で臨んだが、まだまだ力量不足だった僕は、見事に落選した。

その後も毎年チャレンジし、2001年、やっと初めて採用された。
その報告を担当の営業社員から受けた時、僕は飛び上がるほど歓喜した。
その自治体にとって、21世紀最初の観光ポスターが僕のデザインになったことが、
僕にとって、大きな誇りになったし、これからこの仕事を続けてゆく上での強い励みにあった。

手前みそながら、そこから僕の怒濤の快進撃がはじまった。

2001年の初採用以降、2000年代のその自治体の観光ポスターを延べ4回、勝ち獲った。
その中でも2003年にデザインしたポスターは、僕にとっても印象深く、今でも気に入っている一枚だ。
その自治体のシンボルである国蝶オオムラサキに人々が乗って、光の中へ突き進む様子を描いた。
発想、構図、カラーバランス、レイアウト・・・デザインが完成した時、まだ先方へ提出前
だったにも関わらず、直感的に「絶対に勝てる」と確信したことを今でもよく覚えている。
実際、僕の直感は的中した。
先方の選考会議で、満票一致で当社の作品が採用された。
後に伝え聞いた話では、各社から提出された見積書だけを見れば、当社が最も高額だったそうだ。
普通ならばこの段階で落選必至のところなのだが、あまりにもデザインが飛び抜けてよかったので、
有無もなく採用された・・・ということだった。

デザイナーとして、これほど名誉ある経験は、他にないだろう。

そして、昨日。
担当の営業社員から、今年も観光ポスターのコンペの知らせが届いた、との知らせを受けた。
しかし今年は、その内容が違っていた。
デザインは提出しなくてもよい、とのことだった。
見積書だけの提出で、それでどの会社に発注するか決めるという。

つまり、コンペではなく、入札になったのだ。

営業社員は、僕に相談してきた。
僕も悩んだ。
毎年この時期は、忙しい。
他にも、複雑で大きな仕事がひしめきあっている。
その中で、獲れるか獲れないか分からないコンペ形式のポスターのデザインを毎年制作するのは、
正直に言って、キツかった。
締め切りまでにアイデアを考え、コンセプトをまとめ、それをビジュアルとキャッチコピーに
創り上げてゆく。
それは、精神的に相当な労力を費やす仕事だった。
だからこの仕事が終わった後、僕はいつも半分抜け殻のような状態になっていた。

しかし、それでも僕がこの自治体の観光ポスターを毎年引き受けて来たのは、その労力に相当する
モノを得ることができたからに他ならない。
上述した2003年のポスターの一件は、その中でも最も象徴的な出来事だったが、それ以外にも、
この仕事を通じて様々なことを教えられたからだ。

この10年間、僕はこのポスターのデザインを通して成長させてもらった、と言っても過言ではない。

長い間、営業社員と話し合った結果、一応見積書を出すことにした。
獲れるかどうか分からないが、このご時世、少しでも仕事になりそうな“種”があるのなら、それを
指をくわえて見過ごすことはできない。金を稼がなければ、会社は維持できない。

それが、現実なのだ。

振り返って、先方の自治体のことを考えれば、今年から見積書のみの入札になったのも、立場は違えど、
きっと当社と同じような理由なのだろう。

時代は、変わる。
僕も、変わる。
どんなものも、変わり続ける。
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タイガーマスク。

2011-01-13 | Weblog
周知の通り、全国でタイガーマスク=伊達直人が社会現象になってますが。

まぁ、間違っても悪いことではないし、少なからず、某民放局の24時間の
チャリティー番組よりも、善意が分かりやすくて良いことだと思う。

ところで、その絡みで昨夜 YOU TUBEでタイガーマスクを検索したら、
案の定、昔のタイガーマスクのアニメがいっぱいアップロードされてて。
中には、あの伝説の最終回もアップされてたので、久々に息を飲んで見てしまった。
当時、僕は小学校低学年くらいだったけど、よくも、まぁこんなアニメを見てたなぁ、と
あらためて思ったよ。
昨今の暴力映画と見間違えるほど、血と暴力のオンパレードだもん(笑)
今では、絶対にテレビ放映されないだろうなぁ。
でも、当時はプロレスごっこはしても、アニメのシーンのマネなんて、
日常の遊びの中でした記憶はない。
どんなにヘヴィーなシーンの連続でも、幼心に「これはフィクションだ」という
認識があったし、自分の中で「ここから先はやってはいけない」という不文律を
しっかりと持ってたんだと思う。
そして何よりも、放送していた大人たちも、それが分かってたんじゃないかと思う。

要するに、制作者側と視聴者側に、ちゃんとした信頼関係があったのではないだろうか。

今のテレビにはそれがないから、過度な既成や自重に安易に走っているんだろう。
それは見方を変えれば、ある意味、視聴者を愚弄しているのに等しい。

最後にタイガーマスクのエンディングテーマを。
アニメ史上、最高のバラード。
これを超えるエンディングテーマは、きっとこれからも現れないだろう。

タイガーマスク「みなし児のバラード」
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Rock&Roll Magic

2011-01-12 | Weblog
昨日の日記にも書いたが、一昨日の夜、佐野元春のライブに行った。

昨秋から腰痛が悪化し、しかも極寒の毎日だったので、念のため
腰に湿布とカイロを貼って会場に向かった(苦笑)
しかし開演すると、今年初めてのライブ&代表曲のオン・パレードと
いうこともあって、もう思いきり歌って、ヤケクソ気味に踊り、
最後は、もう腰のひとつやふたつ砕けてもいいや、と開き直ってシャウトした。

昨日。
なんか腰が、おかしい。
こんな風に書くと、この日記をお読みの方々は、“ほら、言わんこっちゃない、
腰痛が悪化したんだろう”と思うだろう。

ところが、どっこい、逆なのである。

軽いのだ。
腰痛が、軽減している。
腰から背中にかけて重たく張っていた筋肉が柔らかくなっている。
神経痛も患って、痺れていた左足から痛みが消えている。
ついでに、正月休みボケのまま働いたために、カチカチになっていた
肩のコリもほぐれてる。

完治した・・・とまでは言わないが、ここ数ヶ月のことを考えると、
驚くほど、身体が軽くなったのだ。

おそらく、上述したように、ライブ会場ですべてをぬぐい去るように
踊り歌い狂ったことが幸いした、としか思えない。
拳を上げ、手拍子を叩き、ジャンプしたことで、気づかぬうちに全身の
ストレッチをしていたのだろうか(笑)

別の考え方をすれば、何もかもをかなぐり捨てるように大声で歌い続けたことで、
身体の内部に蓄積されたストレスが、一遍に昇華してしまったのかもしれない。

まるで“卵が先か?鶏が先か?”のような問答だが、そのどちらとも正解のような気がする。
精神が軽くなれば、身体もおのずと軽くなる。
その逆も、然りだ。
ここ数日の日記に頻繁に書いているように、心と身体は、やっぱり二律背反なのだ。
それを痛感した。

しかし、こんなことで、身体がよくなるなんて・・・。
未だに自分でも半信半疑だ。
でもこれが本当なら、佐野元春に、感謝感謝である。
もしここに、佐野さんがいたら、拝み、柏手を打ち、抱きしめ、キスしたい心境だ(笑)

「Rock&Rollには、魔法があるんだ」

昔、音楽雑誌に掲載されていたインタビューで、佐野元春がそんな発言をしていた記憶がある。
もしかしたら、僕のこの体調の変化も、Rock&Rollの魔法なのかも知れない。
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