自分の執筆活動がひと段落したので、ただいま久々に読書中。
「人間万事塞翁が丙午」青島幸男。
1981年前期の第85回直木賞受賞作。
著者に関しては、細かい説明は不要だろう。
もちろん僕も、以前から知っていた。
直木賞受賞の翌年、テレビドラマ化されて、それを視た記憶が断片的に残っている。
でも、原作の本著を読んでみようという気に今ひとつなれなかった。
その理由は、物語が戦時中の話だったからかもしれないし、舞台が「東京の下町」と
いう、瀬戸内に暮らす僕から見れば、最も遠く離れた世界だったからかもしれない。
もうひとつ加えれば、「青島幸男」という、昭和を代表する(もしかすると最初で
最大の)マルチタレントが執筆した・・・というたったそれだけの先入観で、眉つばで
この作品を敬遠していたのかもしれない。
しかし、あるひとつのエピソードが、僕にこの本を読ませるきっかけになった。
青島氏にとって、本作品が生涯で唯一執筆した小説・・・つまり処女作であったにも
関わらず、いきなり直木賞を受賞したこと。
・・・・いや、実はこのエピソードは知っていた。
僕が、唸ったのはそれに付随するエピソードだ。
青島氏は、なんと執筆前から「直木賞を獲る」と公言して、執筆、出版し、そして実際に
受賞してしまったのである。
有言実行にも、程がある(笑)
受賞から30年の時間が過ぎて、僕は今、ページをめくっている。
面白い。
素直にそう思いながら、物語を読んでいる。
以前は遠い世界と思っていた「東京の下町」も、なぜか違和感を感じない。
それは講談調の文体のせいなのか、それとも主人公たちと僕の年齢がほぼ同じくらいに
なったからなのか、それとも「青島幸男」という稀代の才人が、もう鬼籍に入ってしま
ったからなのか・・・僕にもよく分からない。
でも、時間を経て、気がつけば受け入れられるようになる、というのも悪くはない。
そう思いながら、夜な夜な紅茶を口にしながら、僕は今夜もページをめくっている。
「人間万事塞翁が丙午」青島幸男。
1981年前期の第85回直木賞受賞作。
著者に関しては、細かい説明は不要だろう。
もちろん僕も、以前から知っていた。
直木賞受賞の翌年、テレビドラマ化されて、それを視た記憶が断片的に残っている。
でも、原作の本著を読んでみようという気に今ひとつなれなかった。
その理由は、物語が戦時中の話だったからかもしれないし、舞台が「東京の下町」と
いう、瀬戸内に暮らす僕から見れば、最も遠く離れた世界だったからかもしれない。
もうひとつ加えれば、「青島幸男」という、昭和を代表する(もしかすると最初で
最大の)マルチタレントが執筆した・・・というたったそれだけの先入観で、眉つばで
この作品を敬遠していたのかもしれない。
しかし、あるひとつのエピソードが、僕にこの本を読ませるきっかけになった。
青島氏にとって、本作品が生涯で唯一執筆した小説・・・つまり処女作であったにも
関わらず、いきなり直木賞を受賞したこと。
・・・・いや、実はこのエピソードは知っていた。
僕が、唸ったのはそれに付随するエピソードだ。
青島氏は、なんと執筆前から「直木賞を獲る」と公言して、執筆、出版し、そして実際に
受賞してしまったのである。
有言実行にも、程がある(笑)
受賞から30年の時間が過ぎて、僕は今、ページをめくっている。
面白い。
素直にそう思いながら、物語を読んでいる。
以前は遠い世界と思っていた「東京の下町」も、なぜか違和感を感じない。
それは講談調の文体のせいなのか、それとも主人公たちと僕の年齢がほぼ同じくらいに
なったからなのか、それとも「青島幸男」という稀代の才人が、もう鬼籍に入ってしま
ったからなのか・・・僕にもよく分からない。
でも、時間を経て、気がつけば受け入れられるようになる、というのも悪くはない。
そう思いながら、夜な夜な紅茶を口にしながら、僕は今夜もページをめくっている。