今日は、後厄祓いに行って来た。
一人ではなく、総勢12名。
みんな高校時代の同級生。
地元に残っている連中以外にも、
福山や岡山、遠くははるばる九州・小倉から戻ってきた同級生も。
お祓いをしていただいた場所は西国寺という歴史ある古刹。
宗派が真言宗なので、読経しながら護摩祈祷。
護摩焚きの炎を眺めながら、「本来“厄”っていう概念は神道の
はずだけど、お寺で祈祷してもいいのかなぁ?」と今さらながら
素朴な疑問。
まぁ、明治維新の廃仏毀釈までは神道と仏教は一緒くただったんだから、
そんなにこだわる必要もないか、と独りで納得。
そんなふうにつまらない自問自答しているうちに気がつくと、祈祷は
終わっていた。
罰あたり・その1
その後、打ち上げと、ちょっと遅い新年会も兼ねて至近の料亭へ。
10代からのつき合いの連中だから、口から出る話は、全部遠慮なし、
気がねなし。おかげで酒も進むわ、進むわ・・・。
その後、宴は場所をバーに移動。
一緒に厄祓いをしてもらった友人の行きつけのバーだそうで、日曜日の午後なのに、
無理をして開けてもらったそうだ。
その店は初めて顔を出した店だったけど、なかなか暖かくていい感じの店。
知らなかったなぁ・・・常連になるかも。
チューハイをお代わり、ナッツもお代わり、歌うカラオケは80'S♪
気がつくと、3時間以上も長居してしまう始末。
そこで一度お開きをして、同級生の半分が帰宅。
腕時計を見ると、午後6時。薄暮。しかし、昼間っから酔っ払った40代の
オッサンたちには、“午前6時”のような感覚(笑)
だ~~れもいない、日曜の夜の歓楽街を、千鳥足で右往左往。当たり前だが
開店している店などありゃしない。
やっと見つけた居酒屋に入って、残ったメンバーで3次会。
話す話は山ほどあるので、ネタには一向に困らない。
懐かしい話、バカな話、真剣な話、仕事の話・・・・。
駆け引き不要な関係だからこそ話せる話もある。
午後7時、お開き。
さすがにグデングデン。
財布もスッカラカン。
でもそれだけの価値ある時間を過ごした。
それだけは自信を持って言える。
みんなと別れて、一人、海岸通りを歩いて家路をたどる。
少しずつ冷静な、いつもの“りきる”に戻りはじめる。
よく考えたら・・・本当の厄払いは、祈祷後の底抜けに楽しかった、あの飲み食いの
時間だったような気がする。そこで身体の内外についたすべての埃や錆を、払い落した
ような気がする。
だったら・・・。
だったら、最初のお寺の祈祷は行かなくてもよかったんじゃないか?
・・・と、これまた本末転倒なことを考えた。
罰あたり・その2。
・・・・今年1年が、いい年でありますように。
一人ではなく、総勢12名。
みんな高校時代の同級生。
地元に残っている連中以外にも、
福山や岡山、遠くははるばる九州・小倉から戻ってきた同級生も。
お祓いをしていただいた場所は西国寺という歴史ある古刹。
宗派が真言宗なので、読経しながら護摩祈祷。
護摩焚きの炎を眺めながら、「本来“厄”っていう概念は神道の
はずだけど、お寺で祈祷してもいいのかなぁ?」と今さらながら
素朴な疑問。
まぁ、明治維新の廃仏毀釈までは神道と仏教は一緒くただったんだから、
そんなにこだわる必要もないか、と独りで納得。
そんなふうにつまらない自問自答しているうちに気がつくと、祈祷は
終わっていた。
罰あたり・その1
その後、打ち上げと、ちょっと遅い新年会も兼ねて至近の料亭へ。
10代からのつき合いの連中だから、口から出る話は、全部遠慮なし、
気がねなし。おかげで酒も進むわ、進むわ・・・。
その後、宴は場所をバーに移動。
一緒に厄祓いをしてもらった友人の行きつけのバーだそうで、日曜日の午後なのに、
無理をして開けてもらったそうだ。
その店は初めて顔を出した店だったけど、なかなか暖かくていい感じの店。
知らなかったなぁ・・・常連になるかも。
チューハイをお代わり、ナッツもお代わり、歌うカラオケは80'S♪
気がつくと、3時間以上も長居してしまう始末。
そこで一度お開きをして、同級生の半分が帰宅。
腕時計を見ると、午後6時。薄暮。しかし、昼間っから酔っ払った40代の
オッサンたちには、“午前6時”のような感覚(笑)
だ~~れもいない、日曜の夜の歓楽街を、千鳥足で右往左往。当たり前だが
開店している店などありゃしない。
やっと見つけた居酒屋に入って、残ったメンバーで3次会。
話す話は山ほどあるので、ネタには一向に困らない。
懐かしい話、バカな話、真剣な話、仕事の話・・・・。
駆け引き不要な関係だからこそ話せる話もある。
午後7時、お開き。
さすがにグデングデン。
財布もスッカラカン。
でもそれだけの価値ある時間を過ごした。
それだけは自信を持って言える。
みんなと別れて、一人、海岸通りを歩いて家路をたどる。
少しずつ冷静な、いつもの“りきる”に戻りはじめる。
よく考えたら・・・本当の厄払いは、祈祷後の底抜けに楽しかった、あの飲み食いの
時間だったような気がする。そこで身体の内外についたすべての埃や錆を、払い落した
ような気がする。
だったら・・・。
だったら、最初のお寺の祈祷は行かなくてもよかったんじゃないか?
・・・と、これまた本末転倒なことを考えた。
罰あたり・その2。
・・・・今年1年が、いい年でありますように。