りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

悩む、ということ。

2008-07-07 | Weblog
腕時計を買った。
ダイバータイプ。これからの季節にピッタリ

ブランドは、アメリカの「ELGIN」。
ROLEXを買えない人のためのブランド(爆)。

ショーウインドウの前で、思わず目が合った。
ちょっと悩んだ。
でも、30秒後には財布から代金を出していた。



悩んだ時は、買う(行動する)。



これ、僕のセオリー。

だって、悩むということは、買えるということだから。
出来るということだから。やれるということだから。

だって、絶対に買えないものや出来ないことややれないことは、
どんなに頭の中で想像しても、ハナから悩んだりしない。

悩むということは、可能性があるから悩むのだ。
だったら、諦めずに前向きに動いた方がいい。

結論をいうと、この考え方で行動すると、ほぼ十中八九、後悔はしない。
りきる、断言できます。


・・・さて、今回購入した腕時計。
これで腕時計、何個になった????
数えたことないから、分からないけど、実際に使ってるのは、
そのうちの2~3個がいいとこ

でも、腕時計をする男性は、愛する女性を大切にする・・・って、
心理ゲームで言ってたからね。
もっとも、その腕時計がたった1個なのか複数なのかによって
変わってくるみたいですが(笑)
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ぐーるぐる。

2008-07-06 | Weblog
今日の昼食は、隣町に最近開店した回転寿司。
盛況盛況、大盛況~

至近に2軒ほど競合店があるけど…心配だ。



うそ。


ホントは心配なんてしてない、してない(笑)

自然淘汰は資本主義の基本でやんす(・◇・)
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メガネ。

2008-07-04 | Weblog
メガネ、かけてます。

休みの日はグラサンをかけることが多いですが、
仕事の時や夜は、このメガネです。

しかしこのメガネも、購入して早2年。
そろそろ、飽きてきた

でも、次に買いたい(掛けたい)メガネの
デザインのイメージが浮かばない。。。。

セルフレームのメガネを掛けたいが、
残念ながら、ハゲちゃんには似合わない。
どうも、暑苦しく見えてしまう。。。。

悔しいっす

いったい、ハゲちゃんに似合うメガネって、どんなのかしら?
(手前みそながら、今のは似合っていると思ってる(笑))

後で、本屋でそのテの雑誌を立ち読みしてみようかな?
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村上龍。

2008-07-03 | Weblog
村上春樹について書いたのなら、今度は龍ちゃんです(笑)

僕の家の本棚に並ぶ書籍で、作家別で数えると、
たぶん一番多いのが村上龍の本だと思う。

昨日の日記で20代の頃、“村上春樹の本を貪るように読んだ”と書いたが、
村上龍の本の場合は、“抱きしめて”いた。
もう、誌面に踊る彼の言葉・・・それこそ彼の小説やエッセイを読むたびに、
そこに書かれた一言一句が、僕の心と身体を刺し続け、貫き続けた。

トーク番組「 Ryu's Bar」も大好きだった。
そこには、僕にとっての“オトナの世界”があった。

今でこそ、人気作家がTVのトーク番組のMCやコメンテーターをすることは
珍しくなくなったが、当時は、人気作家、しかも芥川賞受賞作家が
TVのトーク番組のホストをすることなんて、前代未聞のことだったし、
実際に、文壇の重鎮たちからは、猛烈な批判があったそうだ。

そういう背景があったからだろうか、番組の中での村上龍は、
いつもゲストと穏やかに対話しつつ、見えない何かと闘っているようにみえた。

彼は、間違っても外見はカッコいい男ではない。
背も低いし、足も短いし、顔もデカイ(すべてエッセイなどで自分自身で言っている)
番組にゲストにやって来た関根勤に「龍さんってドラえもんに似てますね」と言われて
戸惑っていたこともある(笑)
でも、その佇まいや語り口には、言葉では説明できないカッコよさがある。
同じく番組にゲストで来ていた女優の故 大地喜和子は、「龍さんって、色っぽくて
かわいい」と言ってた。
当時の僕には、よく理解できなかったが、今なら少しは分かるような気がする。

彼女が言っていたのは、村上龍の経験と才能なのだ、と。

男のカッコよさは、顔のよさや足の長さや声の渋さで決まるのではなく、最後は経験と才能で決まるのだ。
足が短く、顔がデカく、背が低く、おまけに髪の毛が寂しい僕は、心の底からそう信じたい(笑)

一度だけ、村上龍本人と会ったことがある。
5年前、隣の街に講演会でやって来た時に、その講演を拝聴して、
帰りに楽屋口で待ち伏せして(笑)、握手してもらった。
プニプニした柔らかい手だった。この手でペンを握って小説を書いているのか。。。
そう思ったら、少し感動した。


ここまで書いて気づいた。


彼の著書について、まったく触れていない(笑)
しかし、村上春樹のように“コレ”とひとつだけ挙げるのは、無理だ
あまりにも、好きで刺激的すぎて多種多彩だから、選べやしない。

でも、いくつか挙げよう。
ひとつは「69」。
変な読み方しちゃダメよ(笑)
これは“sixity nine”と読みます。
つまり、1969年の長崎県佐世保市を舞台にした私小説。
もう、本当に理屈抜きで面白い

だけど、今のご時世を考えると、やっぱり頭の中に浮かぶのは
「愛と幻想のファシズム」になる。
読んだ当時は、衝撃的だった。
“村上龍、スゲェ”と感嘆しながら読んだものだ。
読み終わったあと、しばらく本棚の中で眠っていたが、
1995年、オウム真理教事件が世間を震撼させていた時、
あらためて、ゆっくりと読んだ。

そして、2008年。

地球温暖化、原油高騰、人口爆発、異常気象、食料危機・・・ etc.
すべての問題を解決するためには、突き詰めると、やはりこの小説の
ような世界にならなければ解決しないのではないか?

毎日、憂鬱なニュースに接するたびに、僕の頭の中にこの小説の
主人公の鈴原冬二が現れる。






いったい僕たちは、どこへいくのだろうか?
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村上春樹。

2008-07-02 | Weblog
僕は、自分を読書家だとはさらさら思ってはいないし、
実際に、そんなにたくさん他人より本を読んでいる人間だとは思わない。
それでも、“ある年齢に達したら読んでおいた方がいい”と思う「本」が
世の中にはあると、僕は思っている。

10代のサリンジャー。
30代の重松清。
40代の・・・(まだなっていないので分からない)という風に。

20代。しかも、その前半。
読める本は片っ端から読むべき年代ではあるが、
敢えて自分の経験則から挙げれば、村上春樹になる。
特に、デビュー作からの3部作。
「風の歌を聴け」
「1973年のピンボール」
「羊をめぐる冒険」

老婆心(男だけど)で言えば、
「風の詩・・・」は、夏の夜にビール片手に。
「1973年・・・」は、鈴虫の声を聴きながら秋の夜長に。
「羊・・・」は、太陽が燦々と降り注ぐ初夏に読むのがベスト、だと思う。

「風の詩・・・」は、読み進むうちに、絶対にビールが欲しくなる
欲しくならない方がおかしい(笑)

「1973年・・・」は、正直言って、あまり思い入れがない(笑)
個人的感想としては、1作目と3作目のつなぎという感じ。

「羊・・・」は、村上春樹の最高傑作だと僕は思う。
巷では彼の最高傑作の呼び名が高いのは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
らしいが、僕は断然「羊をめぐる冒険」を推す。
理由は、ある。そこには、明確な理由が存在するのだ。
それは・・・僕は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでいない(爆)


「羊・・・」は貪るように読んだ。大学時代だ。
大学の大講義室の真後ろの席を陣取って、「経済原論」や「フランス文化論」の
講義の最中、そっちのけで読みふけった。

主人公はすべて同じ人物。20代だ。「風・・・」では21歳。「羊・・・」の時には
29歳(だったかな?)になっていた。
主人公は「羊・・・」の最終章で、故郷の砂浜で2時間泣き続ける。
僕には、それがまるで20代が終わることに対して、青春が終わることに対して
泣いているように思えた。

今月の終わりには、梅雨が明ける。
梅雨が明けると、また暑い夏が来る。
夏が来たら、暑い夏がまた来たら、
僕はきっと今年も缶ビール片手に「風の歌を聴け」を読むことだろう。



・・・いや、今のご時世、ビールじゃなくて、発泡酒かな(苦笑)
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第一稿。

2008-07-01 | Weblog
何日か前に日記でも取り上げた執筆中の“小説”。
本日、第一稿が出来あがった。

書き終えて、ざっと目を通した感想は・・・いいんでないかい(笑)?

ただ先日の日記で“少しずつ贅肉を落としていって、最終的には、
400字詰め原稿用紙30枚程度に仕上げたい”とエラソーに書いてたけど、
書き終わったら、400字詰め原稿用紙23枚で収まった(笑)

せっかちなので、早速「文学賞一覧」のサイトを覗いてみる。
原稿用紙30枚以内で、ここ数ヶ月以内に応募締切がある文学賞文学賞文学賞・・・・


ない・・・


なんかよく分からない(聞いたことがない)アヤシい文学賞ならあったけど、
こういうのは、賞の応募要項をちゃんと精読してからじゃないと。

ポイントはやっぱり、賞金。
そして、審査員。

賞金は高ければ高いほどいい。
別に僕は銭ゲバではないが(ウソ。少し銭ゲバ)、賞金が高いということは、
応募してくる作品にそれだけの価値があると、主催者が認識しているということだ。
間違っても「大賞:ふるさと産品」というような文学賞には、死んでも応募してはいけない(笑)

審査員は、絶対にプロの小説家でないと意味がない。
欲を言えば、直木賞か芥川賞を穫った先生に見てもらいたい。
やはり書いた以上は、自分の言葉で闘っている先達の方々の文学眼で、
作品を評価してもらいたい。
間違っても、「審査委員長:◯◯商店街会長」というような文学賞には、死んでも応募してはいけない(笑)

さて、話を戻すと、第一稿が上がったこの作品。実は、まだタイトルを決めていない。
書き上がったら決めようと思ったけど、今ひとつ“コレ”というタイトルが決まらないのだ。

まぁ、めぼしい文学賞もないから、半年ほど寝かしておくとしようか。
そうしてたら、その間に自然とタイトルも決まるような気がする。
文章も少しずつチョボチョボと直して、来年、某短編文学賞にリベンジで応募しようかな。



・・・とか言って、このまま書いたこと忘れちゃったりして(笑)
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