りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

誰?

2022-01-03 | Weblog
正月3が日も、終わり。

案の定、食って寝て、食って寝て、食って寝ての3日間を過ごし、年末までに3kg減量した体重も、おそらく元に戻ってしまった様子😅

今年も年賀状をいただきました。
年末のブログにも書いたけれど、年々減りつつある年賀状ではあっても、いただけることは、やっぱり嬉しくありがたいことです。

そんな中で、こんな年賀状をいただいた。


 



よくある普遍的な年賀状(失礼かな?ごめんなさい🙇‍♂️)ではあるのだけれど、他の年賀状とは決定的に違っているところがひとつだけあった。

送り名が書かれていないのである(笑)

宛て先が妻ではなく、ワタシの名前になっているので、おそらくワタシの知り合いなのだと思う。

そのワタシの名前は、プリントアウトされたものでなく、細字のサインペンの直筆で書かれていた。

筆跡鑑定のスキルはないのだけれど、その字の筆圧や雰囲気からして、どうも女性のような気がする。

慌ただしい年末年始の時間を割いて年賀状を作られたから、うっかり自分の名前を書き忘れられたのだろうとお察しします。

このブログをお読みになった方で、“あ、これ私だ!”と思われた方は、どうぞお気軽にご連絡ください(笑)

最後に話は変わりますが、話題の『浅草キッド』、昨夜見ました。

面白かった❗️
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謹賀新年2022

2022-01-01 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。

画像は、今年の我が家の年賀状。

毎年それなりの年賀状を作ってきましたが、今年は著作権フリーサイトの画像を使わせてもらいました(笑)

2022年が皆様にとって素晴らしい年になるようにお祈り致します。

本年もどうぞよろしくお願い致します。
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ええねん。

2021-12-29 | Weblog
この曲を初めて耳にしたのは、いつ頃だったろうか。

もうよく憶えていないけれど、精神的にダウンして快復に向かいはじめた時だった事だけは、今でもよく憶えている。
車のラジオから流れてきたその歌詞に、思わず涙腺が緩んだ。

今月の初め、久しぶりに耳にした。
テレビからふいに流れてきた。


やっぱり、いい曲だな。


画面に流れる歌詞を眼で追いながら、そう思った。

令和3年も、もうすぐ終わる。

誰も言ってはくれないけれど、せめて自分だけは、ちゃんと自分自身に言ってやろう。








今年も色々あったけど、
お前、よく頑張ったよ。









今年もこのブログを読んでいただき、ありがとうございました。
来年が皆様にとってよい年になりますように。

⚫︎ウルフルズ 『ええねん』
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ピークの半分。

2021-12-26 | Weblog
この週末は、年賀状作り。

土曜日の午後は、丸々それに費やす予定でいたのだけど、始めてみれば2時間弱で終わってしまった。

考えてみれば、当選だ。

以前は、毎年100枚超の年賀状を両面プリントアウトしていたのだけど、今年は50枚余り。
そりゃあ、時間も短くなる。

年賀状が少なくなった理由は、2つだと思う。

ひとつめの理由は、差し出す相手が減ったこと。
ここ数年、11月頃になると喪中ハガキが届くことが多くなった。
送り主はだいたい同世代の友人で、届いた文面には、ご両親のどちらかが鬼籍に入られたことが記されてある。
もうひとつは、親戚の方々。
ワタシが幼い頃に我が子のように可愛がってくれた叔父さん叔母さん達も同じように鬼籍に入られて、宛名先のリスト自体から削除してしまわなければならない事も増えてきた。

そしてもうひとつは、年賀状そのものの取り止め。

「来年から年賀状でのご挨拶は遠慮させていただき、ご挨拶はSNSでさせていただきます」

このような一文を添え書きされた年賀状を、今年の正月にけっこうな枚数でいただいた。
その一文に、当然だよなぁと思う一方で、一抹の寂しさも。

まぁ、そんなわけで、今年はピークの半分の年賀状になってしまった。

手前味噌ながら、毎年我が家はけっこう凝った年賀状を作っていた。
それは、ワタシが広告のデザインを生業にしていることが大きかったと思う。
駆け出しの頃に「まがいなりにもデザイナーなんだから、普通の年賀状は出すなよ」と先輩デザイナーから事あるごとに言われていたし、また、日常の仕事はあくまでもクライアントの意向に沿ってデザインをしているので、本来自分が表現したいと思っていたモノを、年賀状を利用して作っていたフシもあった。

しかし、それもこれも、突き詰めれば、「紙」という媒体があってのことだったような気がしている。

その紙でのコミュニケーションが明らかに斜陽に向かっていることを、ここ数年、「年賀状」というモノからもヒシヒシと感じ取ってしまう。

まぁ、それでも、デザイナーとしてセンスがあるかどうかは別として、今年もそれなりの年賀状は作りましたんで(笑)

さて、午後からポストに投函しますか。
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接種。

2021-08-27 | Weblog
本日、1回目のワクチン接種、やってきました。

この時期の接種が、“さっそく”なのか、それとも“ようやく”なのかは、もうよく分かりませんが (^^;)

ワクチン接種が始まった今年の初め頃は、“これさえ打てば、もう安心❗️”的な思いを抱いていたけれど、ここ数ヶ月の間に現れた“デルタ株”やら“ブレイクスルー感染”といった新語のおかげで、いつの間にか


“まぁ、打たないよりはマシ”


・・・といった程度に期待値も落ちてしまったような気がする。

まぁ、それでもワクチンはワクチン。

ただいま接種から2時間ほど過ぎたけど、接種した左腕が多少重たさを感じるくらいで、あからさまな体調変化はなし。
それでも、とりあえず今日明日は、お家でいい子にしておこうと思います(笑)

2回目の接種は、3週間後の9月中旬。

その頃には、少しは世の中も変わっているだろうか?(もちろん、良い意味で)


そろそろ、遠くへ行きたいです。


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陽のあたる場所。

2021-06-23 | Weblog
3年前の今日。

自宅で介護生活を続けていた父の容態が急変し、病院へ救急搬送された。
予断は決して許されず、その日の夜、誰かが病室で付き添うことになったのだが、高齢の母にさせるわけにはいかないので、長男のワタシが付き添うことにした。


覚悟は、出来ていた。


もしかしたら、父と過ごす最後の夜になるかも知れない。
心のどこかに、そんな気持ちが生まれていた。

付き添いをする前にいったん帰宅して、1日分の着替えと財布と携帯、そして、1冊の本を本棚から引っ張り出してバッグに入れると、ワタシは再び病院へ向かった。

家族や近しい親戚が帰宅し、日付が変わった頃、ベッドに横たわる父と二人きりになった病室で、ワタシは家から持って来た本をバッグから取り出し、父の横でページをめくりはじめた。

それから、約6時間後。
2018年6月24日 午前6時20分。
朝の訪れとともに、父は永眠した。
静かな、まるで眠るような旅立ちだった。

夜通し読んでいたその本は、主人公の誕生前後から物語が始まり、やがて上京してミュージシャンとなり、悪戦苦闘の末に大成して、デビューから10年目に行われた代々木オリンピックプールでのコンサートを、癌で闘病中の父が車椅子で観賞する場面まで読み進んでいた。





その本・・・「陽のあたる場所」は、浜田省吾のサクセスストーリーであると同時に、昭和という時代を広島と東京で必死に生き抜いたひと組の父子の物語だ。

病院へ向かう時、何故咄嗟にこの本を選んでバッグの中に詰め込んだのか、あの時は自分でもよく分からなかったのだが、今なら自分なりに理解できる。



ワタシは、怖かったのだ。



覚悟していたと言いながら、すでに意識がなく、命の輪郭がおぼろげになり始めた父の姿を受け入れることが怖くて怖くて怖くて、まるで聖書のように、この本に救いを求めたのだと思う。



           ◆



あの日以来、「陽のあたる場所」は読んでいない。

20代の時に購入し、それ以降、何度も読み返した本なのだが、あの日病室で読んで以来、表紙を眼にしただけで、父の間際を思い出すようになってしまった。

しかし、そんな心持ちも時間を経て変化しはじめたのか、最近になって、またページをめくってみたいと思うようになった。

父が鬼籍に入って3年が過ぎ、ワタシだけでなく、母や弟をはじめ、家族みんな、すでに「父のいない日常」を受け入れて日々を暮らしている。

そしておそらく父も、あちらの世界での暮らしに、もう慣れた頃ではないだろうか。

同じ本であっても、ワタシがまだ「父の子」だった3年前と、もう完全にそうではなくなった今とでは、また違った景色に出会えるような気がする。

久しぶりに枕元に置いて、眠りにつく間際に、またページをめくってみようか。


お父さん、そっちはどうね?
もう、天国には慣れたかいね?
こっちは、みんな元気じゃ。
うん、元気にしとるよ。
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5〜6年の感覚。

2021-03-20 | Weblog
先日、実家のトイレをリフォームした。

母が言うには、常時緑色のランプが点灯しているはずのウォシュレットの温水ランプが、黄色い点滅になり、肝心な温水が全く出なくなったそうだ。

季節的にはこれから温かくなるのだから、しばらくはこのままでも良いかとも思ったそうだが、その他にも気になる箇所が多々あったそうなので、やはり思い切って早めにリフォームすることにした。

〈ビフォア〉


           ↓
           ↓
           ↓
           ↓

〈アフター〉


こう見ると、やはり以前のトイレが旧いタイプだったことがよく分かる。

長年使用している自分の持ち物を客観視することは難しいので、自宅や実家のトイレの新旧を意識することはあまりなかった。
しかし考えてみれば、以前のトイレに換えたのは、もう27年も前なのだ。
う〜〜ん、感覚的には、5〜6年前なのだけど。


          ◆


今日は、午後から妻と墓参り。

父の墓と隣町にある母方の祖父母が眠る墓に参った後、近くの店へ訪れた。



この店は、明日(3月21日)で閉店。

新婚の頃、この近くで暮らしていたこともあって、当時は買い物でよく訪れた。

新居のいくつかの家財道具や娘のベビーカーを購入したのもこの店だったし、1階のフードコートは、幼かった娘にとって、好きなモノを何でも食べられる桃源郷のような場所だった(笑)



分かってはいたが、商品棚はどこもかしこもほとんどもの毛の殻。

靴売り場もサンダルくらいしか陳列していなかったのだけど、その中で半額の値札が付いたadidasのスニーカーを見つけ、反射的に手に取ったら、サイズが30cmだった(笑)

この店は、30年前に開店したそうだ。

ワタシ達夫婦がよく来店していたのが、今から20年前頃。

それらにしても、そんなに時間が過ぎているような感覚がない。

やはり、5〜6年前の出来事のような感覚。

とりあえず食品売り場で日々の買い物だけをして、最上階の屋上駐車場までエレベーターで昇った。





クルマに乗って店を出る時、ワタシのそんな時間の感覚を妻に話すと、彼女から明確な答えが返って来た。



「それは、ワタシ達が30年以上生きてるからでしょ」



・・・・・あ、なるほど(笑)



〈余談〉
今回のトイレのリフォームは、友人が営む工務店にお願いしました。
迅速に対応してくれますよ(^_^) ↓
http://takahashi-jyusetsu.com/
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そこじゃねーんだよ。

2021-02-09 | Weblog
写真は、ワタシの眉毛。

微かに写っているが、一本だけピーンと長い毛が伸びているのがお分かりだろうか。

いつの頃からか、この一本だけが妙に元気に成長するようになってしまった。
それからというもの、鏡を見て目立ちはじめたら、数ヶ月に一度の割合いでハサミで切るのが習慣になってしまった。

昨夜、寝る間際に洗面所の鏡に写った自分をみたところ、またまた元気な一本を発見。

この前切ったのは、いつだっけ?
年末か?・・・いや、秋頃だったかな?
いずれにしろ、ここしばらくは切った記憶がないから、相変わらずこいつだけは健やかに育ったというわけか (^_^;)

まぁ、これもひと言で言えば「老化」以外の何物でもないのだろうけど、いずれは一本だけでなくすべてが長く白くなって、眉毛全体がブラインドのように垂れ下がってくる日がワタシにも訪れるのかも知れない(笑)

そういえば、老人の眉毛が抜けずにいつまでも長く伸びるのは、毛根の老化が原因で、毛自体が「抜ける」ということを忘れてしまうから・・・って「チコちゃんに叱られる」で放送してたな。

・・・同じ毛でも、抜けることを忘れて欲しいのは、そこじゃねーんだよ(笑)
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謹賀新年 2021

2021-01-01 | Weblog
明けましておめでとうございます。

画像は、我が家の今年の年賀状。

数年前までは毎年100枚程度出していたけど、新年の挨拶がsnsに移行した人も増え出して、今年はピークの半分程度になりました。

こんなところからも、時代が変わりはじめていることを感じます。

さて、2021年。

今年こそは、良い年なってくれるよう切に願います。

・・・いや、「なってくれる」という言い方では、あまりにも受け身過ぎるか。

受動態ではなく、能動態でないといかんな (^_^;)

新年早々、反省(笑)




では、気を取り直して・・・・・




さて、2021年。

今年こそは、良い年にしましょう‼️

本年もよろしくお願いします🐄



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決して、負けない。

2020-12-29 | Weblog
おそらく、これが今年最後のブログです。




         ◆




4月の下旬だった。

snsで学生時代の友人と取り止めのないやり取りをしていた。
緊急事態宣言が出され、新型コロナの猛威がいよいよ本格的になりはじめた頃だったので、必然的にそれらの事も話題に含んでいたのだが、その流れの中で友人がこう言ってきた。

「お前、広告のデザインをやってるんだから、皆が元気になるデザイン考えて❗もちろん、ボランティアで🙏」

ダメなのだ。
頼まれ事・・・しかも、まだ損得勘定がなかった頃の相手から頼まれると、どうしても断ることが出来ないのが、ワタシのダメな所なのだ。
もしかしたら、その友人は、ワタシのそんな性格を見越して頼んできたのかも知れない(笑)

なので、すぐに動いてしまった。

大学が長期休校中で家に居た娘のMacを貸してもらい、ものの15分で一気に作った。
それが、これ ↓



どこかの大手資本の映画会社のロゴに似ていることは、この際、眼を瞑ってください(笑)


NEVER LOSE (決して、負けない)


このデザインが頭の中に思い浮かんだ時、地球の上に被せる文字は、これ以外には思い浮かばなかった。




          ◆




依頼してきた友人と一緒に過ごしていた若い頃は、「負けない」という言葉は、「勝つ」という言葉と同義語だった。
実際、当時は単純な思考回路で、簡単に勝敗や白黒が付けられるような毎日を過ごしていたのだから、本当にそうだったのだと思う。

しかし、最近になって「勝つ」と「負けない」は、実は似て非なるものなのではないか?と思うようになってきた。

むしろ「負けない」という言葉は、「勝つ」という言葉よりも「耐える」とか「堪える」とか「踏ん張る」とか、そういった言葉と同義語なのではないか?と。

今はもう、誰にも勝ちたいとは思わない。
他者だけでなく「自分」にも勝ちたいという気持ちさえも、最近は低くなってきた。

しかし、それに反比例するかのように、「負けない」という気持ちが以前よりも強くなってきたような気がしている。

もっとも、強くなってきたと言っても、それが特定の誰かに対してであるとか、もしくは自分に対してであるとか、そういった明確な対象は分からないのだけれど・・・。

しかし、というか、だからこそ、「負けない」という言葉が、個人的には、今年最もリアリティがあった言葉のような気がしている。
 


          
          ◆




さて、来年。

どんな年になるのか、想像できる人は、おそらく誰ひとりいないのではないだろうか。

しかし、良い年になるにしても、(あまり考えたくないが)今年よりも悪い年になるにしても、「決して負けない」という気持ちだけは持っていたい。

もっとも、それが誰かに対してなのか、自分自身に対してなのか、それとも、もっと大きなモノに対してなのかは、たぶん相変わらず分からないままなのだろうけれど。


まぁ、どんな年になろうとも、そんな感じで、来年も生きていきます。



          ◆



今年もこのブログを読んでいただき、ありがとうございました。
来年が皆様にとって良い年になりますように。
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