嵐が通り過ぎると、一気に初秋の風が吹きはじめましたね。
お盆にお墓参りに歩いて行く時の風のにおいがします。
「死への恐怖」話題、盛り上がっていますね
今しがた、ちょうどブログを書こうとし始めたら、不気味な風と雷とで、思わず窓を閉めました。(なかなかぴったりなシチュエーションです)
「死ぬ」ことは、人間のみならず全ての生き物にとっての最大かつ永遠の恐怖だと思います。
一生懸命に働いて生活の糧を得ることも、子供を一日も休まず育てることも、死者を弔うことも、家族や仲間と一緒にいたいと思う気持ちも、おそらく日々の行動の大部分の根底には、「死への恐怖」があるのではないかと思います。
赤ちゃんが泣くのだって、自分の孤独感や空腹や排泄をお母さんに知らせないと、命に関わるので、全身全霊で「生きのびたい」というサインを送っているのかなぁ。
それをより具体的に言葉で表現し始めるのが4~5歳の頃なのでしょうね。
みなさんのコメントを読ませていただいて、やはり死ぬ云々ということを考えたり口にしたりすることに、罪悪感を感じて、「こんなこと思うの私だけなんだわ」というような気持ちになっていたのですね。
昨年夏、祖母が亡くなったときのこと。
親戚が大勢集まっているもんだから、うちの子や弟の子供たちは、お祭り気分でキッャッキャと騒いでいました。
ところが、火葬場で遺骨を目の当たりにしたとき、弟の娘(当時8歳)が、突然、火がついたように号泣し始めました。
彼女の両親は、「そんなに泣くな、静かに」とか言ってましたが、私はこの子の気持ちが痛いほど伝わってきて、ずっと抱きしめて、もらい泣きしてしまいました。
きっと「死」ということの非業さを、初めて実感として突きつけられた瞬間だったのでしょうね。
それまでは、「ばあちゃん、淋しくないように」といって自分の描いたスケッチブックをお棺の中に入れてあげたりしていて、この子は、淡々と死を受け入れているのかなぁと思ってみていたので、私にとっても衝撃でした。
みんなみんな恐怖や悲しみや孤独があるからこそ、生まれてくる命は愛しいし、
自分や他の誰かを愛することもできるんだと思います。
生きていくための原動力なのかも知れませんね。
明日からお盆。
我が家は、13日、14日、15日と3日間、同じ村の中にあるお墓へ、歩いて、
お参りに行きます。
しかもどっぷり日が暮れてから!!
さらに子供はそこで花火をしなければならない
信心深いお年寄りは、ゴザを持ってきて墓石の前に鎮座し、お経を上げておられます。
この3日間の墓地は、ご近所に帰省してきた懐かしい面々の再会の場ともなっています。
あの世の先祖様やら帰省客やらで、3日間だけ村の人口は何倍にも膨れ上がってる感じ。
(実家との習慣の違いが大きすぎてカルチャーショックでした。)
・・・こんなお盆が過ぎ去ったあとの静けさがまた怖い私でした。
よいお盆休みをお過ごしください。
夜にお墓参りに行く以外は、特に予定がないので、アロマご予約OKデス。
BY ふなかわ