妻は胃ろう  手抜かり 老老介護

2007年9月、56歳、アルツハイマー病と診断
2018年1月、胃瘻造設手術
2023年9月、体調悪化

家族会

2014-06-29 15:32:04 | 日記
 私の住む市にも家族会があることは知っているが

 まだ参加したことはない。

 
 理由は私がうまく人と話せないからである。

 人前で自分のことを話すことができない。


 身内には無神経で鈍感な私だが

 よそ様には極端に気を使ってしまう。


 家族会が情報交換の場であり、

 介護に大いに役立つことは、

 多くの参加者が言っていることだ。



 私が出席するまでにはもう少し時間がかかりそうだ。

 あるいは、出席しないで終わるかもしれない。





 このブログにコメントを寄せていただきました。

 予想外のことだったのでうろたえています。


 自分でそういう設定にしていながら予想外もないものだが

 初心者の無知とお許しください。


 コメントに対して何も返事をしないのは失礼だし、

 かといって、一対一の対応が苦手なのです。

 

 コメントを寄せていただいた方、申し訳ありませんが

 この病的な私の性質をご理解していただき、

 ご返事を差し上げられないことをお許し下さい。






 

 











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妻の症状(言葉を失う   ごめんなさい)

2014-06-27 19:29:24 | 妻の症状
 今日は暑くもなく曇り空だったので

 妻を車椅子に乗せ散歩した。

 気持ちいい風が吹いていた。

 妻の表情は見えないが、どう感じていたのだろうか。

 15分程で戻る。


 4日ぶりにシャワー。

 シャンプーもする。

 以前ほど声を上げなくなった。

 プラスチックのイスは我ながらうまくいった。


 

 現在、妻は会話が出来ない。

 何か訴えたい時に声を出すが言葉にならない。


 アルツハイマーと診断されたのは、56歳だったが、

 その1年前あたりから筋道立てて話すことが出来なくなっていた。


 診断から2年後の58歳の時、言葉が出にくくなってきたかな、

 と思っていたら、あっというまに単語が出なくなった。


 それでも、

  「家に帰る」 とか 「怖いよ」 とかは時々発せられた。 

  

 不穏な時期には、なにやら ぶつぶつ 文句を言うような感じで

 話続けたこともあった。


 夜寝る時も、この ぶつぶつ攻撃が私に向けられたときもあった。

 私は耐えられず、枕を持って別室に避難した。


 今思えば、文句に聞こえる この ぶつぶつ も ひょっとして

 妻が何かを必死に話そうとしていただけなのかもしれない。


 言葉にならないことに妻自身が、悲しくて、悔しくて、

 苛立っていたのかもしれない。

 しかし、当時の私にそのように思いめぐらす余裕はなかった。


 


 詳しい時期は忘れたが、

 妻がきちんと私に話した最後の言葉は次のようなものだった。


   「 何もできなくてごめんね 」


 と言って泣いた。


 おそらく、家事が出来なくなった頃だと思う。


 徐々に壊れていく不安と恐怖にじっと耐えていたのかもしれない。

 そのことを私に話したくても、もう話すことさえ出来なくなっていたのかもしれない。

 

 その時も、鈍感な私は、

   たぶん、身体の調子が悪いのだろう、


 くらいにしか思わなかった。



 昨日、ソファーに座っている妻の前を通るとき、足を踏んでしまった。

 「いてっ」 と妻が叫んだ。

 ごめん、ごめん と謝りながら、

 はっきり言葉が出たことになんとなく可笑しかった。

 

 

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転倒 その後

2014-06-25 23:42:02 | 妻の症状
 妻が転倒後2~3日は足元がふらつき不安定だったが、

 今は何とか立っていられる状態になった。



 それでもやはり以前に比べると安定感に欠ける状態だ。

 
 一番苦労するのはオムツ交換やズボンの穿き替えだ。


 立っている妻に椅子の背を持たせ、安定したところで足を交互に上げさせて交換していた。


 転倒後は、なかなか椅子の背を握ってくれなくなった。

 手を誘導して握らせようとするがすぐ離してしまう。

 やっと握ったかと思うと今度はなかなか足を上げてくれない。


 そんなこんなでオムツ交換に30分もかかってしまう。



 妻が寝たきりになることを極端に恐れる私だが、

 そう遠くない将来、それは確実にやってくる。



 先日、ある冊子で病院長さんが「介護の達人」と呼ぶ人について書いていた。


      患者さんは脳梗塞で17年、気管切開をして車椅子がやっとの生活。

      妻はもともと看護師で、いろいろな介護の工夫をしながら、

      そして次々に起こる場面をくぐり抜けてきた。

              ―  中略  ―

      大変なことがいっぱいあるのだろうが愚痴にならないところが

      「介護の達人」 たるところ。



 私にとって、妻が寝たきり になることは 

 次々に起こる場面であり、

 工夫をしながらくぐり抜けるしかない。


 達人 は無理だが、

 寝たきりの場合のオムツ交換の方法を今から勉強しておこう。

 

 



 


 

      




 




 







 

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妻が倒れてた

2014-06-19 21:58:11 | 妻の症状
 昨日は足元がちょっとふらついたので心配したが、

 今朝はいつも通り立ってくれたので安心していた。


 夕方、妻をソファーから立たせパットを交換した後、

 そのまま一人にして外に出た。


 30分程、物置の片付けをして部屋に戻った。

 
 妻が倒れていた。

 目は開いていた。 意識はしっかりしているようだった。

 
 顔に汗が浮かんでいた。

 必死に起き上がろうとしたのだろう。

 しかし、力及ばず、諦めてじっとしていたのだろう。


 
 表情は大丈夫そうに思えたので、

 上体だけ起こして、顔の汗を拭いた。


 どこかをぶつけて痛そうな様子も無い。

 床から立ち上がらせることにした。


 私は最近、腰痛が再発したので、腰ベルトをしっかり巻き、妻を立たせた。


 よろよろする妻をソファーに座らせた。

 汗で濡れた肌着を脱がせ、身体を拭いた。

 表情は普段と変わらない。

 大事には至らなかったようで少し安心する。



 夕食の量も大体いつも通り。

 食事の後は、いつものように眠りに入る。


 大きく前に身体を折るようにして眠ってる。




 どうやって倒れたのだろう。

 つまずいて前方にドンと倒れたのだろうか。

 手はついたのだろうか。



 一人で歩けなくなることを悲観するよりも


 怪我をしなかったことを幸運と感謝すべきなんだろう。


 

 


 

 

 

 

 

 
 

 

 
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歩くより遅い ジョギング

2014-06-18 22:30:20 | 日記
 今日はヘルパーさんの来る日。

 時間に余裕があったので久しぶりにジョギングをした。

 
 スーパーに行く途中に大きな川が流れており

 その堤防が遊歩道を兼ねている。


 気温は26℃程あり、車の中は暑かったが

 堤防は気持ち良い風が吹いていた。

 
 前半の20分は歩き、帰りはジョギング。

 とはいっても、超スローペース。

 自分では早く走りたいのだが、足が動かない。

 前方を私より年配と思われる婦人が歩いていたが

 その差は一向に詰まらない。


 歩くより遅いジョギングとはどういうことか。

 健康な人には理解しがたいと思いますが、

 要するに足が上がらないのです。


 それでも河川敷の土手に咲いてる小さな草花を眺めながら

 何とか15分間休まず足を動かし続けてゴール。

 私にとっては上出来。


 汗が風に当たって気持ちいい。


 妻ともよく来ていたこの堤防。

 いつかまた、車椅子に乗せて連れて来たい。



 
 夕方、妻の汗も洗い流すことにする。

 浴室に連れて行こうとするが、足元がいつもより不安定だ。

 私が手を離すと転びそうな感じだ。

 浴室でも不満気に何か言う。

 前傾が深くなった。


 
 新たな段階に進んで来たのか。















 
 


 


 
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妻の症状 (食事)

2014-06-16 23:30:45 | 妻の症状
 朝食は、昨晩の残りのポテトサラダと

 冷凍庫にあった甘塩鮭。

 今朝、作ったのは、

 味噌汁(豆腐、カットわかめ)と

 納豆(温泉卵、長ネギ)。


 それと、呑み込みを助けるための、

 牛乳とトマトジュースとシリアルヨーグルト。


 すべて私がアーンさせて食べさせる。



 アルツハイマー病と診断されてから3~4年経った頃からだろうか、

 茶碗を持てなくなり、次第に箸もスプーンも持てなくなってしまった。


 それでも、りんごやお菓子を皿に置いて出すと手で掴んで食べてくれた。

  
 しかし、ある時は、ミカンやバナナを皮ごと口に入れたこともあった。

 
 やがて、コップも持てなくなり全面介助が必要となった。



 今、気がかりなことは、食事の質と量が十分摂れているかどうかだ。

 噛む力、呑み込む力が衰えてきた。

 
 誤嚥性肺炎、胃ろう、 という言葉が頭をよぎる。

 



 

 

 


 




  

  
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妻の症状(仕事中に電話・・・退職を決意)

2014-06-14 22:26:23 | 妻の症状
 妻は朝食が一番たくさん食べる。

 夕食は途中で眠ってしまうので、

 どうしても量が少なくなってしまう。

 だから朝はお腹が空いているのだろう。

 
 今朝は残り物の寄せ集めだ。

 うどん、野菜炒め、ご飯。それに卵がある。

 こうなればすぐ浮かぶのは 雑炊だ。


 最初は麺つゆ味にするつもりだったが、

 トマトが目に入った。 細かく刻んで鍋に入れる。

 コンソメと、とろけるチーズを入れ西洋風になった。

 闇鍋みたいになったが、妻は食べてくれた。


 妻が呑み込むまでの待ち時間は新聞に目をやる。

 BGMは川中美幸。


 呑み込むとまたスプーンを運ぶ。 また新聞に目をやる。 

 その繰り返し。

 いつも通り、9:00から10:00までかかって終わりにする。



 私が退職したのは56歳だが、その2年前から妻の精神状態は

 不安定になっていた。

 出勤する際、 一人で家にいるのが寂しい、不安だ、

 早く帰ってきてほしい、というようなことを毎朝言った。


 仕事中に何回も電話が来た。

 頭が痛い、お腹が痛い、早く帰って来い、というような内容だ。

 出勤して職場に着くとすぐ携帯(PHS)のベルが鳴った。


 会議中であろうとおかまいなしだ。

 電話に出ないことも考えたが、

 多分それは妻の不安を増し、

 なにかパニックを起こしそうで、出来なかった。

 よほどのことがないかぎり電話には出た。

 私の返事はいつも同じだった。

 「わかった。早く帰るから待っててな」

 しかし、定時に帰ることは出来なかった。


 職場の仲間も、電話が来るたびに、こそこそと廊下に出て行く私を見て、

 家に何か問題を抱えていることをうすうす感じていたようだ。


 
 わたしもようやく認知症という病気を意識し始めていた。

 
 このままでは、妻にとってよくないと思い、辞める決心をした。

 収入が途絶える不安はあったが、仕方なかった。


 3月の人事異動に支障にならないよう、1月早々に上司に辞意を伝えた。

 思いがけなく涙が溢れた。

 定年前に辞めなければならない口惜しさも多少はあったが、

 自分が妻をこのような病気にしてしまった、という自責の念があった。


  
 妻の電話は送別会の最中にも来た。

 花束を持って帰っても、妻には何のことか理解出来なかった。

 「もう、ずっと家にいるから安心していいよ」 と言っても妻の表情は

 変わらなかった。



 今から思えば、

   妻が携帯(PHS)を使えたこと、

   自分の具合が悪いこと、早く帰宅してほしいことを

   はっきり話せたことが夢のようだ。


 このあと、PHSからメール機能の付いた 「らくらくホン」に替えたが、

 妻はもう新しいことを覚えることは出来なかった。

 新しい「らくらくホン」 を一度も使うことは無かった。






 








 
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妻の症状 (癌マーカー)

2014-06-13 10:41:13 | 妻の症状
 昨日は訪問診療の日。

 昼頃に先生と看護婦さんが来る。

 妻の右腕を着替えの際、痛めさせたことを報告する。

 先生が肘や肩の関節を触診し、固まっていないから大丈夫とのこと。

 私が言い訳がましく、腕を少しは伸ばした方がいいかなと思って

 ちょっと無理してしまいました、と言う。

 先生も、動かさないと、関節が固まってしまうから適度に動かすのはいいことだ、

 とのこと。




 妻がアルツハイマーと診断されたのは7年前だが、

 その4~5年前から頭痛、胃痛等を訴え、具合の悪い日が多くなっていた。

 総合病院で定期的に診察、検査を受けたが

 はっきりした原因は見つからなかった。


 ある日、仕事を終えて家に帰ると、妻が泣いていた。

 理由を訊くと、病院で血液検査の結果、

 すい臓がんの疑いがあると言われたという。

 突然のことに私も驚いた。

 しかし、妻に聞いても泣いてばかりで要領を得ない。

 
 その晩、調べてみると背中の痛みや諸症状が当てはまっていた。


 後日、妻と病院に行き、妻がショックで落ち込んでいる旨を伝えた。

 先生は、

    癌マーカーの数値が高いが、今すぐ心配することはない、

    経過を観て行きましょう。

    と言ったつもりだったが、言い方がまずかったかな、と笑った。


 こちらにすれば笑いごとではない。


 死への恐怖から妻はしばらく毎晩のように泣いた。

 私も、「大丈夫だから 」と、肩を抱き一緒に泣いた。

 何の根拠も無かったが、それ以外に何と言っていいか

 思い浮かばなかった。

 
 癌マーカーは、それから2か月ごとにチェックした。

 正常値付近まで下がったと思えば

 異常に高い値を示したり、不安定に変化した。


 1年以上経った頃から数値が正常値内に入り、

 それが半年ほど続いたので検査は止めることになった。


 しかし、その間も頭痛や胃痛は治まることなく、

 婦人科、脳外科でも検査したが、原因は分からなかった。


 痛みは、アルツハイマーと診断されるまで3年余り続いた。


 
 そして、アルツハイマー病の症状が激しくなるにつれ、

 妻は痛みを訴えなくなった。


 
 言葉を失った妻が、痛みを訴えられなくなっただけなのか。

 痛みそのものが治まったのか。


 神様が、妻から 苦痛と死の恐怖 を取り除いてくれたのか。

  


 

 
 



 


 

 

 

 

 

 

 

 







 

 
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スーパーで買い物

2014-06-11 21:13:23 | 日記
 今日はヘルパーさんが来る日。

 買物の日だ。


 いつも行くスーパーは、妻が元気なころから行っているので

 かれこれ20年近くになるだろうか。


 妻は車の免許を持っていないので、私は運転手兼荷物運びとして

 毎週1回は出かけていた。


 最初の頃は妻が代金を支払っていたが、

 次第に分からなくなり私が支払うようになった。


 ある時は、レジの最中に、妻が突然一人で外に出て行ってしまい、

 慌てて後を追ったこともあった。


 妻が車に乗れなくなり、ついに私一人で買い物することになった。

 馴染みのレジの女性から、「今日はお一人ですか」と声を掛けられた。

 説明が面倒なので 「ええ」 と応えるしかなかった。


 私が妻と二人で来ていたころを知っているレジの女性が今も二人いる。

 時々言葉を交わす程度だが、大型店にはない家庭的な雰囲気の店だ。

 
 
 いつも通りの野菜や肉、ヨーグルトの他、今日は鉄火巻を夕食に買った。


 6時頃から夕食。


 妻は海苔が噛み切れないので、マグロだけをつまみ出して口に入れてやる。

 顔をしかめて食べる。
  

 また途中で眠ってしまいそう。


 もう少し、夕食の開始時間を早めるしかないか。 




 



 

 

 

 

 

 
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散歩とシャワー

2014-06-10 23:12:27 | 日記
 曇り空だったが、しばらく出ていなかったので散歩することにした。

 外の空気をチェックすると風がちょっとあったので、

 カーディガンとひざ掛けを用意した。

 スロープを2枚敷いて外へ出る。

 これがちょっと面倒で、おっくう な気分にさせる。

 ビフォアアフター みたいにリフォーム出来ればいいのだが。
 


 よそ様の庭を塀越しに覗きながら車椅子を押す。

 妻はだまって前を見ている。

 我が家の左右3軒分ほどを2~3往復した頃

 風が少し強くなったので家に戻ることにする。


 ヨッコラショ と声を掛けながらスロープを上り家に入る。

 タイヤを拭き、狭い廊下をぎりぎり通ってリビングに着く。

 妻の表情は特に変わらず。



 妻が身体を痒そうにしていたので洗うことにする。

 例によって最初はシャワーを当てると怖がって声を出したが

 慣れてくると治まった。


 椅子に座らせ、髪を少しカットする。

 この前、襟足の伸びた一本を切ろうとして

 皮膚まで切ってしまった。

 妻が「痛ッ」 と叫んだ。 血が少し出た。


 今日は襟足部と耳の後ろは特に慎重に切った。

 シャンプーのすすぎのお湯が目に入らないよう

 こまめに拭いてやる。

 それが良かったのか大きな声を出すこともなく

 無事終わった。


 浴室で紙オムツを穿かせ、リビングに連れてくる。


 前開きの肌着を着せようとするが、まだ腕の痛みが

 完全に治っていないのか、腕がすんなりと通らない。


 前回の反省に立って、ゆっくり無理せずシャツを伸ばしたり

 肘を前後左右上下に動かし、何とか着せることができた。


 Mサイズでこれだから、楽に着せるにはLLサイズにしなくては

 ならない。


 パジャマも何とか着せ、ソファーに座らせて夕食。

 
 冷凍室からハンバーグと野菜炒めを取り出し、チンする。

 卵かけご飯とヨーグルト(シリアル、きなこ、バナナ、蜂蜜)と牛乳。


 結局、ハンバーグは小さくほぐして、ご飯と混ぜることになる。

 大体いつもこんな風に雑炊風になってしまうことが多い。


 なかなか飲み込まないので、ヨーグルトや牛乳を少し含ませる。

 
 やがて、いつも通りうとうとし出し、眠りに入った。


 今日は、散歩とシャワーと、いっぱい仕事をした気分。

 











 







 

 
 








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