青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





私が時々思い出すのは、中村粲先生とは20数年前、はじめて出会って話した時、ちょうど私の相棒のNNさんと一緒で、何かお互いに共通点があってNNさんと3人で、食事をしながらこの国のかかえてる、数々の問題を話している内に、改めて中村粲先生は本物の愛国者で、デモに参加した話しとかとにかく話が段々過激になり、最後は私が一番信頼できる人間は戦争で亡くなった軍人達だ。



だから残された私たちが愛国心の無いこの国を、建て直さなければいけないとか、いろいろ話している内にNHKの受信料の話になり、カバンから受信料不払いのシールを出し、その趣旨の説明を聞き納得。私もこの活動に参加。



何しろ中村粲先生とは気が合い、しばらく活動も含
めて付き合いましたが、私も連合会の活動が忙しくなり、遠縁になりましたが中村粲先生は子どもみたいな、無邪気なところもあるしとにかく楽しい先生で横断歩道など渡る時は、右手を上げて渡る仕草は子どもみたいだとNNさんと良く話をした。それだけ純粋な先生。もっと長生きして日本の為に頑張ってもらいたいと今でも残念で仕方がない。


獨協大学教授 中村 粲 69 (神奈川県鎌倉市)


尖閣諸島守備隊を即刻派遣せよ

 尖閣の島が危ない。うかうかしていると、気が付いたときには中国の軍隊に占領されているかもしれない。北方領土や竹島と同じ運命に尖閣が陥る日も遠くないような危惧を覚える。中国を危険な国たらしめてきた侵略と排外運動の歴史的特徴を二つ挙げて警鐘を鳴らしたい。



 1 中国は土地所有をもって領有の第一歩と考える国である。中国がかつて満州、内蒙古、チベットを中国領と強弁したのも、中国人の移住と土地所有という事実を前提をした理屈であった(あのリットン報告書でさえ、在満中国人の土地所有を根拠に満州の主権は中国にあるとしている)。殷艦遠からず。



昨年9月、中国政府は愛国主義者を自称する個人と団体が出した尖閣諸島の借地申請を受理した。他日領有権を主張する場合に備えての伏線であることは言うまでもない。これに比べて、尖閣領有権の国会決議を見送ったわが国の暢気と弱腰はどうであろうか。



 2 中国国内の反日行動はすべて中国共産党政府の指導と容認の下にある。中国の反日感情や反日世論は元はと言えば中国政府が扇動して作り上げた動きでしかない。歴史的に悪名高い中国の外国製品ボイコットが中国国民党政府官製であったのと軌を一にするものだ。日本国旗侮辱やインターネット上での反日言動のすべては中国当局の暗黙の奨励を受けていることを忘れてはならない。自然発生を装う民衆運動を利用して政治目的の達成を図る中国の伝統的対外戦力である。



 右2点に思いを致すだけでも、尖閣が今や累卵の危うきにあることは明かななずだ。尖閣諸島がわが国固有の領土である以上、即刻尖閣の島に守備隊を派遣すべきである。中国ではチャーター船の尖閣派遣計画があり、700人が参加を志願しているというし、中国政府は尖閣上陸行動を積極的に擁護していると伝えられる。



700人が虚を突いて上陸したり、先方が守備隊を上陸させてからではもはや奪回するすべのない事は竹島の事例が物語っていよう。玄界灘の対馬にしても、自衛隊が駐屯していなければ今ごろどうなっていたであろうか。奪われてからでは手遅れである。気を失せず尖閣守備隊を派遣することを政府に緊急要請する。





今日は私の大親友で大尊敬している東村山市で大活躍している、高木範夫さんのまちおこし小麦・ひまわり収穫祭の時に出席した、元東村山市長の熊木令次氏のあいさつの中で、頭に残った言葉に「小さく生んで大きく育てる」。その話の流れで短いスピーチであったが、熊木氏の言葉に言い表せない、人をひきつける魅力のある人だ。


さすが東京都市長会会長になっただけの本物の人格者が高木さんの収穫祭に、その日熊木氏が体調が悪くても来てくれたと云う事はとの深い信頼関係があるからだと思っております。

ここで熊木令次さんと紹介いたします。



東村山市ホームページより

平成16年12月市議会で同意を得て東村山市名誉市民の称号をお贈りしました。熊木氏は大正11年東村山市生まれで、昭和42年東村山市長に選任されて以来、4期16年にわたり「人と自然が調和し、豊かさと心ふれあうやすらぎのまちづくり」を基本理念とし、都市基盤、生活環境の整備をはじめ福祉の充実と健康の増進、教育文化の向上等、積極的に取り組み、推進してこられました。任期中には、福祉施策では昭和46年全国に先がけて開始した東村山方式と呼ばれるねたきり老人訪問看護システムは多くの自治体の注目を集めました。


         東村山市役所
市民のスポーツ振興策では運動公園の整備や市民スポーツセンターを建設し、スポーツを通じて市民相互の連帯を強めるよう尽力されました。昭和49年全国で3番目の「スポーツ都市」を宣言、市民ぐるみのスポーツ愛好により、健康の増進と体力の向上を図りました。また、全国市長会では経済建設分科会委員長等を歴任、地方自治の確立のために尽力されました。


           狭山茶
昭和53年から2年間は東京都市長会会長として多摩地区の地方自治体の諸課題に取り組み、取りまとめる大役を果されました。市長退任後、平成13年まで東村山市国際友好協会会長として国際交流に尽力、東村山明るい社会をつくる会会長、青少年対策地区連絡協議会等の支援、東村山市体育協会名誉会長、緑を守る会市民協議会顧問、“トトロの家を東村山へ”市民の会会長として幅広く活躍されています。また、社会福祉法人理事等市内の福祉を支える高潔かつ地道な活動も継続されています。各方面にわたり市民活動におけるリーダー・シンボル的存在として現在も東村山のために多大なるご尽力をいただいています。


国旗は日の丸、国歌は君が代