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今日もまた私の生涯の友、伊達治一郎さんを皆に知ってもらいたいと思い、ここに再度紹介したい。
1976年モントリオール大会、レスリング・フリースタイル74キロ級の五輪金メダリスト。この大金星の伊達さんを国

のスポーツの指導者として、何故、使わなかったのか。たとえば、文科省で彼を受け入れてくれたら何でも出来る人。人

間として、すばらしい人格者であって、最後の日本の侍だと思っております。それだけに貴重な宝だと私は思っています。それと今、大問題になっている教育委員会。この問題を解決出来るのは伊達さんの器量でやってもらうのがベスト。こんなに素晴らしいハートを持った人はいないと思う。それに誰に対しても礼儀正しく接し、一回出会ったら生涯忘れられない位

の、魅力の持った指導者。もし伊達さんのような教師がいたならば、学校内で起きている、いろいろな問題が起きないだろう。ここに伊達治一郎さんを紹介します。

 

伊達冶一郎さんの紹介



武蔵丸12回目の優勝祝賀会会場でレスリングフリースタイル74キロ級モントリオール五輪金メダリストの伊達治一郎さんと

【第72号】伊達治一郎-外国人に負けない体力で金つかむ

(76年モントリオール・レスリング・フリースタイル74キロ級)
★試合待ち遠しくて眠れぬ日々

 52キロ級で金の高田に続いたのが、世界的には厳しい中量級の24歳、伊達だった。

 伊達は、1回戦から5回戦まですべてフォール勝ちという高田を上回る好成績。しかも罰点はゼロという驚異的なものだった。決勝リーグ1回戦ではジェジック(米国)に判定勝ちとなったが、続く2回戦、バルゼガル(イラン)に両足タックルからフォール勝ち。日本にレスリング2個目の金をもたらした

 



画像は 伊達治一郎の相関図 伊達治一郎 プロフィール - あのひと検索 SPYSEE [スパイシー] より

 大分・佐伯農高から、国士大に進学。20歳でミュンヘン五輪に出場し、75年の世界選手権では銅メダルに輝いた。ライオンとにらめっこや、ハブとマングースの死闘を見学するなど、とかく精神論が強調されがちな日本レスリングにあって、伊達は、「体力が劣っては、根性ではカバーできない」が持論。腹筋、背筋運動、ブリッジなどで体を鍛えた上で、スピードとタイミングを研ぎ澄ます練習をした

精神論重視だった当時のレスリング界で、意思を通した。外国人に負けない体力、腹背筋を鍛えることを第一に、地獄トレを自らに課してきた。

 伊達は選手村に入ってからというもの、調子が良くて眠れず、予選リーグが始まると5回戦まですべてフォール勝ち。決勝リーグでも判定勝ちの後、最後の試合は2ラウンド7秒でバルゼガル(イラン)にフォール勝ちした。試合後も場内を走り回るほど、スタミナが有り余っていた。

 

写真:1976年モントリオール大会、レスリング・フリースタイル74キロ級で優勝した伊達治一郎

世界チャンピオン伊達治一郎(だて・じいちろう)



 世界に誇れるレスリング王国を築いた日本だが、中量級以上といえば、56年メルボルン五輪で池田三男が勝って以来、世界一は生まれていなかった。グレコローマンで72年ミュンヘン五輪に出場した伊達が、その後フリーに専念して75年に世界3位。76年モントリオール五輪では前年世界2位のイラン選手にフォール勝ちするなどして圧勝。日本が弱いとされた中重量に金メダルをもたらした。


【生年月日、出身】1952年1月6日、大分県出身
【所 属】大分・大分農高~国士大~国士大教(モントリオール五輪時)
【全日本選手権成績】70年2位(グレコ74kg級)、71年2位(フリー74kg級)、72年優勝(グレコ74kg級)、74年2位、75年2位、76年優勝、79年優勝、80年優勝(以上フリー74kg級)
【五輪・世界選手権成績】72年モントリオール五輪=3回戦敗退(グレコ74kg級)、75年=3位、76年モントリオール五輪=優勝、80年モスクワ五輪=幻の代表



国旗は日の丸、国歌は君が代