青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





今日は随分変わった日本人

私の事務所は前が高層住宅。住宅の前は大きな広場になっている。多くの高齢者が住んでいて救急車の出入りも激しい。又、昼間は下は幼稚園から上は高校生までの子供が沢山遊んでいる。そういう環境で子供達の生活が良く観察出来る。特に私は子供達に何かあれば直ぐ飛んでいく。



頭脳スポーツで子供と大人の交流

特に遊んでいる子供に声を掛ける大人が最初は結構いたが、今はほとんどいない。中には防犯パトロールと書いたシールを車の後部に貼っていたライトバンが公園の横に長く止まっていたので、早速事務所から降りて行って車の中を覗いたら、4人の若者が乗っていたのでちょっと様子がおかしかったから、お前ら何をやっているんだと聞きながら後ろに貼ってあるシールがあるが、車のナンバーが相模ナンバーだったので、色々聞いたら防犯とは関係ない話をしたので、何しにここにいるのだと高圧的に聞いたら



頭脳スポーツで子供と大人の交流

相手は逃げて行った。たまたま近所の交番のお巡りさんが来たので事情を話したところ、お巡りさんから誰でもいいから不審者を見たら、声を掛けてくれるとありがたいんですけれど、と言っていましたけどね。もし近所で不審者を見かけたら声を掛けてください。犯罪が起きる前の抑止力になると思います。確かに近年子供が被害を受ける事件多いので、警察だけでは手に負えない。地域の協力があって安心安全の環境作り位は自分たちで出来る事はやりましょう。



特別老人ホームでの慰問コンサート

それと昨日、私の事務所の一寸先の広場で誰か倒れているのが見えたので早速双眼鏡で覗いたところ、お婆ちゃんで何か声をあげているような感じがしたので、降りて行ったところ道行く人に助けて下さいと声を掛けても、何人かに無視されていたので、私がお婆ちゃんの肩に手を掛け起こして高層住宅まで連れて行った。



高齢者だって国に訴える事は出来るのだ

改めて思ったのは80歳を超えると身体が軽かった事と、3~4歩でお婆ちゃんの息づかいがあらいので一寸休憩。また一寸歩いては休憩。とにかく無理をしなくてもいいからねと声を掛けながら高層住宅の中に入ったら一番驚いたのは介護とかしている事務所があった事。



アメリカでは当たり前の行動だ

それに介護士の人がとんできてお婆ちゃんに声をかけていましたけどね。自分は長年住んでいたが中に入ったのは初めてで、その管理に驚いた。とにかくますます高齢者社会が進む中、お互いに助け合っていかなければ生きていけない社会になります。



子供を育てるには武道が最高の道徳

日本がこれ以上、冷え切った社会にしてはいけない。経済も駄目、生活も駄目、すべてが駄目になれば日本は沈没するしかない。今の日本に一番必要なのは常識・非常識を知ることだ。国は中々動かない。それは国民から声が上がらないから駄目なのだ。

我々国民が声を上げる事によって必ず重い腰の政治家も腰を上げる。これからはインターネットの時代。インターネットによって声かけ運動をしますので、よろしくお願いします。


犯罪被害給付制度とは



画像は警察による犯罪被害者支援HPより 

<小学生連続殺傷>14年経てもなお悲しみ…父が手記 神戸


毎日新聞
 5月20日(金)22時51分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000130-mai-soci
 神戸市須磨区で97年に起きた小学生連続殺傷事件で、小学6年だった土師(はせ)淳君(当時11歳)が殺害されてから丸14年となる24日を前に、父・守さん(55)が報道各社に手記を寄せた。全文は次の通り。【重石岳史】

 ◇手記の全文

 子供が亡くなってから14年が過ぎました。どれほどの年月がたとうとも、子供への想いは変わることはありませんし、悲しみもなくなるものではないと思います。

 弁護士を通じて、5月12日に前年と同様に加害男性からの手紙を受け取りました。手紙の内容については公開できませんが、この1年の間に、良い意味で彼自身がかなり大きな変化をしたことを伺わせるような内容だと感じました。また、本退院後の加害男性の状況については、現在も十分な情報を得ることはできていません。難しいことだとは思いますが、少しでも情報を得ることが出来ればと思っています。

 今年は基本計画の見直しがありました。04年12月に犯罪被害者が望んでやまなかった犯罪被害者等基本法が成立し、翌年基本計画が決定され、その後、裁判への被害者参加制度を認めた刑事訴訟法の改正、審判傍聴を認めた少年法の改正や公訴時効を見直す刑事訴訟法の改正など、各種の法改正や施策が講じられ、犯罪被害者を取り巻く状況は非常に改善してきたと思います。しかしながら補償制度はまだまだ不十分なものだと思います。

 犯罪被害者等給付金が、前回の改正で引き上げられましたが、金額的には甚だ不十分なものです。最高額はかなり引き上げられましたが、条件が厳しいため、この額をもらえる人はごく一部の被害者のみでしかありません。一時金を引き上げることも重要ですが、何よりも大事なことは継続的な支援です。

 医療費補助にも、現在は上限が定められています。身体的な治療に加え、精神的なケアも必要となり、長期間に及ぶ医療が必要となることが多く、この場合の経済的負担は非常に大きなものです。また一家の大黒柱が被害を受けた場合には収入が激減してしまいます。日々の暮らしにも事欠くようになってしまうことも多く見受けられます。以前の生活を取り戻すまでの、継続的な経済的補償は是非とも必要と考えます。

 最後になりますが、阪神淡路大震災を経験した者として、東日本大震災における被害の大きさには心が痛みます。被災された地域の皆さま、関係者の皆さまに心よりお見舞い申しあげます。お亡くなりになられた方々のご冥福を祈るとともに、ご遺族の方に心からお悔やみを申し上げます。そして被災地の一日も早い復興をお祈り致します。(土師守)


「仙台市内視察・ボランティア感想 ~瓦礫の中で咲いていた一本の桜の木のように・・・~」

 4月25日、26日と1泊2日で、自民党青年局での仙台市内視察・ボランティアに参加して、自分の目で見て、鼻や肌で感じ、体を使って瓦礫の撤去作業を行う等の貴重な体験をさせて貰いました。

 津波に飲み込まれ、全てを失った町を見て、驚きとショックで自然と涙が頬を伝ってきました。自然の脅威と恐ろしさ、人間世界の儚さを改めて実感してきました。実際に津波の被害に遭われたお宅での瓦礫の撤去作業は、大変辛く重労働でありますが、私達が訪れた蒲生地区には、すでに横浜マリノスのサポーターの方々やNPO法人の方々が訪れ、何件ものお宅の瓦礫の撤去作業のボランティアをして帰っていかれたとの話を聞き、日本人の思いやりや心の優しさを改めて痛感しました。

 津波で全てを失った町を立て直す事は容易な事ではありません。二度とこのような事が起こらないような安全な街づくり、この恐ろしさを忘れてはいけない危機管理を持った安心な街づくりをしていかなければなりません。

 私は、この視察を通じて、我々日本人が忘れていた昔の伝統や文化を思い出しておりました。昔の人達が長年培ってきた地域での行事や、長年使われてきた道具の大切さ、そして必要性を感じました。

 我々日本人の住む町は、昔から神社等を中心として町が形成されてきました。昔から云われている“氏神様”という言葉がまさしくその通りだと思うのですが、神社等は基本的には、その地では昔から安全な場所に建てられており、毎年毎年の行事等で、その地域やその地域に住む人達を守ってきています。今回のこのような災害時には、避難場所等にもなり地域の為に役立ってきています。その神社(氏神様)を大切にするような心を持った街づくりが必要なのではないかと思いました。

 また、昔から使われて来た道具も一度見直す時期にきているのかもしれません。我が家には地震直後に、ロウソクが一本もありませんでした。ご近所の方から分けて頂き、夜中にはロウソクの明かりの元夕食を食べましたが、電気が付かない中、不安な心であった家族をロウソクの明かりは、柔らかく温かな気持ちとさせてくれました。そして、夜中に寒くなってきた時には、こんな時に石油ストーブがあったら良かったのにな~としみじみと思うのでした。

 子供の頃育った徳之島には防災無線がありました。夕方になると童謡の“七つの子”が流れ、友達と遊ぶのを止め家に帰ったのを思い出します。金沢区には柴町には防災無線があり、以前にたまたま通りかかった時に、防災訓練の実施の案内(防災無線から)を聞き、参加させて貰った事がありました。また隣接する横須賀市にも防災無線があり、夕方になると六浦の方まで防災無線から音楽が流れてきて、外で遊んでいる子供達に帰宅する事を自然と教えてくれております。今回の災害が起きてからは、地元の方々から防災無線の必要性を多く耳にするようになりました。今回の大災害ではインターネットやテレビからの情報ではなく、身近な地域からの情報の必要性、停電時や緊急時での実用性を改めて実感させてくれました。

 以前に横浜市内全ての防災マップを集めて検証した事があります。18区それぞれに独自で作成していますので、サイズや記号など統一性がなく、バラバラに作成されておりました。阪神淡路大震災後の神戸市では、市内全てで統一して作成しており、地震の経験を活かしておりました。横浜市でも防災マップに関して、もう一度検証してみる必要性を感じておりましたが、今回の災害で更にその想いを強く持っております。特に金沢区は海に面しており、大津波が発生した祭には、柴町や野島町等の広域避難場所は本当に安全なのかどうか、住んでいる住民の方々から不安な声を多く耳にするようになりましたので、過去の地震も参考としながら、再度検証してみて、不安な気持ちを取り除く必要性があるのではないでしょうか。

 車中から瓦礫と化した町を走っていると、立ち入り禁止区域内で自衛隊の方々が未だに必死となり遺体の捜索活動をしている姿を目にしました。大変な重労働で過酷な任務に就いている方々へ感謝の気持ちと、尊敬の念を抱き、心で手を合わせる想いで通り過ぎました。また、交通整理をする全国から集まってきている警察の方の中から、神奈川県警の方を目にした時には、嬉しさと誇らしさから思わず車中から手を振ってしまいました。

 私は、ず~っと「たった一つの命も失くしたくない!」という想いで、防災まちづくり活動を行ってきましたが、今回の視察で、自治体の市民の生命や財産を守る役割の大切さを実感しました。そして、これからの横浜・金沢区での液状化対策や津波対策の必要性、それをふまえた上での防災計画の早急な見直しも急務だと痛感しました。具体的には、自民党として選挙期間中に「責任と約束」として8つの条例を提案してきましたが、その中の災害地域連携推進条例や生活道路整備促進条例の制定にはしっかりと取組んでいきたいです! 

そんな中で、一本の桜の木が目に留まりました。

周りの木は津波で流され、塩害で枯れてしまっている中、桜の木だけは奇麗な桃色の花を咲かせておりました。

被災地の方々には、この桜の木に負けないよう、諦めずに、力強く復興をして貰いたいという気持ちを抱き、帰宅の途につきました。














連合会からのコメント

のりみさん土方姿が似合います。何しろ柔道の有段者。さすがに足腰がしっかりしている。市会議員でおそらくこういう作業が出来る人は、のりみさんしかいないのではないでしょうか。とにかく毎日本気で働く人間機関車のりみさんは金沢区の名物市会議員と言っても良いでしょう。汗水流して働くのがのりみさんの性分。これからも市会議員の代表格で頑張ってください。連合会も心から応援します。